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四章 覚醒の時 33話

 依然として静寂が満ちた地下駐車場。今一度、起こった出来事を反芻する。


 ショッピングモールの地下駐車場で起きた悲劇。

 あまりにも多すぎる情報を即座に受け入れられるような柔軟さは生憎、持ち合わせていなかった。


 なにしろまだ二十年しか生きていない。その事実を頭では理解できる。


 しかし、感情まで都合良く咀嚼し、気持ちを上手く昇華させるなんて器用さはない──要するに、ウブらしい自分が勝っていたという事だ。


「──俺は、俺は…………」


 言葉が出てこない。何も言えない。

 心臓が早鐘を打ち、胸が締め付けられる。


 そんな俺の様子を見兼ねた幡代は無垢な面持ちで、穏やかな声色で言った。


「氷室さんが気にする必要はないですよ。それに、私が嘘をついてしまったので──だから、好きに生きてください。覚醒者なんかではなく普通の人間として過ごしてください」


 唐突に突きつけられた現実。

 これまで死に物狂いで生きてきた、パートナーである幡代から放たれたらしくない言動。


 途端に突き放された感覚に苛まれ、思わず口走る。


「……は、何言ってんだよ? んな事簡単にできるわけないだろ」


「では、本当に大丈夫なんですか?」


 この一言が表していたのは俺の内に秘めた葛藤だと瞬時に気が付いた。


 言った直後、不意の出来事に情けなくぽかんと面食らった表情を見せてしまう。


「別に俺は普通だって……お前こそ急にな、何言ってんだ?」


 躊躇いの色を隠そうと、とぼけたように問い返すがそんな小細工が通用するような相手じゃない事くらい自分が一番わかっていた。


 幡代の洞察力と慧眼が誰よりも長けている事を知っている。それゆえに彼女は俺が今、逡巡しているという事実も、もちろん気付いているのだろう。


 つまり、内兜を見透かされているのだ。

 根本的に存在する合理的思考と感情によるセンチメンタル的思考の狭間で、もがき苦しんでいる事を。


「芦屋さんの事です……そして、これからの事も」


「……これからの事、か」


「氷室さんがどう思っているかも、知りたいです」


「……正直わからないんだ。俺は何がしたくて、何が正しくて自分の事さえも理解できない。ったく、変な話だよな?」


 自嘲気味に笑ったつもりだったが、口角がピクリと痙攣する。


 上手く笑えていないと悟った。

 幡代は何も言わなかった。ただ、じっとこちらの瞳を見つめている。


 自分の考えを──発言を吟味しようとする姿勢。


「……俺は誰かの正しさで動くのは無理なんだと思う。芦屋の考えも幡代の考えも二人の気持ちは身に染みてわかる。けど、どっちも俺の中では答えにならないんだ」


「じゃあ、氷室さんの答えはどうなんですか? 自分が何をしてどうするべきなのか」


「それがわからないんだ……」


 幡代と話す内に今まで、まとまらなかった気持ちが言葉として吐露される。


 乱雑な本棚が綺麗に整頓されるように二人の考えが混ざり、混沌とした思考も局所的に分離されていった。


 しかし、それでも自分の答えには辿り着かない。


「…………くッ」


 焦燥感が込み上げ、額から汗が滲む。


 冬なのにも関わらず、また一滴、二滴と。

 その脂汗を拭う事も忘れてしまうくらい俺は神経質になっていたらしい。


 なにかを言わなければいけない気がして、けれど言葉にしてしまえばそれが『答え』として固定されてしまう気がして怖かった。


 覚醒者として世界を救わない、戦いの中で恐怖心を抱かずにいれる。


 その痛みを忌避する逃げ道が一番合理的だと思っているのに反して、心では救わなくてはならない不可解な感情が入り交じっているのだ。


 そのくせ動かなくなった両親に「殺してやる」なんて啖呵を切った日を恥ずかしく思う。


 幡代のような度胸もないのに、口先ばかりで臆病だった自分に吐き気を催した。


『ダサい』そう思いながら、必死に言葉を絞り出す。


「……俺は、たぶん……怖いんだと思う」


「何がですか?」


「全部だよ。矛盾した自分の思いと行動に嫌気がさすんだ」


 自嘲気味に笑おうとするが、またしても口元が上手く動かない。


 幡代はほんの少しだけ目を細め、何かを噛みしめるように頷く。

 その仕草が妙に胸に刺さった。


「怖いのは当然です。私は自分が本当に抱いている思いと贖罪を信じるつもりです。芦屋さんのような合理的思考も一概に間違っているとは言えません……これだけ聞くと私が罪滅ぼしの為に救っていると思われるかもしれません」


「……………………」


「ですけど、心の底から世界を、みんなを救いたいと思ってます」


「全員が全員、幡代みたいな考えじゃない。でも、お前のようになれない俺はどうすればいいんだ? 煮え切らなくて、逡巡を繰り返す俺はどうすればいい?」


 食い気味に訊き返すと、一呼吸置いて答えた。


「なら……答えなんてもういらないんじゃないですか?」


「いらない?」


「はい。なんでわざわざ答えを出そうとするんです? 仮に氷室さんがそれを選んだとして後悔するくらいならもう、出さない方がいいです──人生に正解も何もないんですよ、きっと」


 俺は幡代の言葉を聞いて唖然とした。

 茫然自失とはこの事を言う。


 すべてを投げ出せたのならきっと楽なのだろう。重圧から解放されて自由の身になれるかもしれない。

 しかし、その代償に俺は人間として不可欠なものを失ってしまう気がしてならなかった。


 両親への言葉、さらに自分の気持ちを騙ってしまう事になる。見捨てたあと、俺はおそらく空虚な人間──生きる意味を失い、気力もなくなった人の形をする何かへと変わり果てる。



 ──それならば、変わらず人間として生きたい。


 胸裡で柔軟性のない俺が、まるで合理性に欠けた決断をした。


『答えを出さなくていい』幡代が発した言葉は凝り固まった自分の考えを融解してゆく。今まで何を悩んでいたのだろう、馬鹿らしく思うほどに彼女の鶴の一声に救われた。


「……だったら、誰かを救いたい。何もしないよりそっちの方が幾分か人間らしいだろ? つまり、幡代と俺は同じ穴の狢ってわけだ。お前がいなきゃなんもできねぇし、やる気も起きねぇよ」


「それを言うなら泥中の蓮、ですよ? 同じ穴の狢じゃ全然意味違います。あと、告白まがいの事言わないでくださいよ」


 そう言うと、彼女はわずかに微笑んだ。


「言ってねぇよ……ひとまず、よろしくな幡代」

「……氷室さん、こちらこそよろしくお願いします。改めて一緒に戦ってください。京都の異空間を取り除きに行きましょう」


「わかった。お前にばかり任せっきりじゃ恥ずかしいからな」


「ふふっ。さっきの戦いだって私に気を遣ってくれてたじゃないですか?」


「……何言ってんだよ。あれは……ただのエゴだ」


「それでも、ありがとうございます」

 

 照れくさそうに袖口をいじりながら、幡代はあどけなく破顔する。


 初めて見せたその笑顔に俺は魅了された。

 恋ではなく、表情が織り成す純粋無垢な性格と体躯に比例しない堂々たる様に。



 ──その人間らしさに心底、陶酔した。

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