31話
「幡代は何か知っているのか? 覚醒者の事を」
「……まぁ、少しは」
バツが悪そうに俯く。
次に芦屋が浮き立つように、
「エマっちも実はバケモノなんだよ。ゆうっちが一番よく知ってるよね!」
「幡代がバケモノ……?」
「そう。知ってるんじゃない、ニュースでやってた事。この世界がおかしくなり始めたとき、バケモノの映像が流れてた、人が惨殺されたって内容のヤツ」
「関係ないだろ? 幡代には自我もあるし、それに覚醒者だ。バケモノじゃねえって」
「だ〜か〜ら! 察し悪いなぁ。あの映像に映ってたのがエマっちなんだってば」
「は?」
コイツは何を言ってるんだ?
……あれが幡代だった?
そんなわけがないだろ。自我のない殺戮衝動に駆られたようなバケモノと同じであるはずがない。
彼女は人間味のあるごく普通の人だ。
そう思いすぐさまかぶりを振り、否定する。
「いや違う。あれは完全にバケモノだった……コイツは──お前もそうだろ。確かに片腕だけバケモノと同じ黒い触手には変わりなかったけど、体全体じゃなかっただろ!」
「まだそんなバカげた事言ってるんだ〜?」
「そりゃそうだろ。俺が見てるのは──」
「なら、それを隠してたって考えたらどうなの?」
芦屋は俺の返答に対してわざと被せた。
嘲るようにして。
理にかなった発言に虚を突かれる。
言い返す言葉も見当たらず、ぐうの音も出ない。見えず、芦屋の言った事は少なくとも論理の上では否定しようのない事実であり、反証を試みる為の手掛かりすら見当たらなかった。
受け入れたくはないのに、理屈の前では抗う術を奪われる。否定するにしても俺の言葉は感情論になる。
けれど、この世の終わりを悟ったすべての始まり。
液晶テレビに映し出されたバケモノが幡代だった? そんなバカげた話を信じれるはずがない。
「お前……、本気で言ってるのか……?」
芦屋は不気味な笑みを浮かべて浅く、頷いた。
まるで秘密を暴く事に快感でも覚えているかのような。その無神経な笑顔に何かが軋む。
人間の形をしていながら、人間らしい情動を一切まとっていない──そんな異物感。
「覚醒ってさ、バケモノになる途中の事だよ?」
芦屋は欣快に言い放つ。
「完全にバケモノになるには時間がかかる。でも、私たちはもう人間には戻れないんだよ。だから中間。中途半端な存在──だからこそ苦しむし、壊れやすいんだよ……覚醒者ってそういう悲しい運命を背負った選ばれし者なんだよ?」
「……黙れ」
耳を塞ぎたかった。
けれど塞げなかった。
心の奥で鳴り止まぬ声が聞こえてしまう気がして──あのとき自分が黒い触手を見て恐れたのはバケモノそのものではなく、幡代に『バケモノが混じっている』と気づいてしまった自分の感情だったのだと、芦屋の言葉で思い知らされる。
「見たでしょ? エマっちの右半身。あれ、もう人間の見た目じゃなかったよね。血が通ってない、神経も通ってない。ただ動いてるだけの異形の一部に過ぎないんだよ」
「……………………」
些か同意できない。
聞くに耐えれなくなった俺は無言で、幡代に救いを求める。
「どうなんだよ……!?」
けれど「……芦屋さんの言っている事は正しいです」と、やはり俯いたまま答えた。
「私は言う通りバケモノと同じです。あのとき防犯カメラに映し出されたのも確かに私で間違いないです。神の啓示があった朝、私の手は黒い触手によって覆われていました。そのときにもうどうでもよくなったんです、すべてを投げ捨てたい衝動に駆られたような」
「お前、嘘…………だろ?」
「瞬く間に触手が私を呑み込んで。それから後はもう覚えていません……気付いた時には両手に真っ赤な鮮血と上半身が切り離された死体だけしか残ってませんでした」
本当だとしてもせめて、嘯いて欲しかった。
真実がこれほど心を苛むのなら知らぬまま、嘘に包まれていたかった。
頭の芯にまで焼きついてしまう。
月並みな表現になるが、ショックだった。
『……両手に真っ赤な鮮血と、上半身が切り離された死体だけしか残ってませんでした』
言葉の意味を理解するのに幾分か時間を要した。
音を奪われた静寂の中で俺の脳内に浮かんだのはとある日のリビングで家族と見ていたニュースの映像だった。
人間の腕とは思えない大層な触手が蠢き、呻き声とともに血の雨が降り注ぐ。
映像の中で誰かが叫んでいた。だが、音声は途中で途切れていた──何かが起こり、これ以上流すのは規律的にも好ましくないとして処理された、あの光景。
「……あれが……お前だった……?」
声が震えていた。自分でもわかる。
幡代エマが、他でもないあの場で人を殺していたという事実。
どれだけ否定してもそれは彼女の口から今、語られ紛れもなく肯定されたのだ。
──もう疑いようのない真実として。
「だとしたら、俺もバケモノって事になるじゃないか……」
「理論上、そうだね」
芦屋は制服のリボンを直しながら、退屈そうに言葉を漏らす。
「覚醒者って、無料で貰える代物なわけじゃないって事だよ。そんな抽選みたいな〜名様に当たりますっておかしいでしょ。つまり、世界を救う私たちがなんの対価も払わずに力を分け与えられるのって不合理じゃん!」
「力を使う代わりに代償を払わなければならないって事かよ」
「そーゆーこと! 神様も身勝手だよね〜ホントに」
要するに、覚醒者が持つ力が代償だというわけだ。 代償が力の原資──与えられた力を使えば使うほど肉体をすり減らす消耗品に過ぎなかった。
俺の右目も例外ではない。今思えば不可解だったと覚醒者の力が発現した時点で気付くべきだった。
右目が白く澱み始め、視力が衰えてきている事に違和感を持つべきだった。
だとすれば、幡代はどうなるのだろうか。
あれほど力を使ったのだからその代償も到底計り知れないはず。肉体は今にも悲鳴を上げている。
不可解だった点すべてが線となり、一貫性のある真実へと変わっていく。
「……氷室さん。黙っていてすみませんでした」
顔を伏せ、細かく肩を震わせる。
罪悪感を強く噛み締めるように普段の冷静な幡代の面影は感じなかった。
その瞳は自責の念を放ち、嘘を言っている風には見えない。
誤魔化しもあやかしも効かない純粋無垢な面持ち。
彼女は小さく震えた手を胸元でぎゅっと握る。
「私は人間として生きたかった。無意識でも人を殺した感触は消えません……今でも生々しい血を、自分が殺した事実がフラッシュバックするんです……だからせめて、人類の為に犠牲になりたいんです。それが私の定められた贖罪だから」
「………………」
様々な思いが交錯し、混沌としていた。
驚き、怒り、疑念、安堵、そして……共感。
幡代のエゴ──俺が胸裡に抱くものと比較しても変わりなかった。
ベクトルが違えど、決意と広義的に捉えれば概して違うと断言できない。勇気が内包しているか否か。
だから、否定する気にはなれない。
僅か、いや。大いに違うのは彼女が他人の為に死ねる人間だったという事。
俺には……そんな覚悟はなかった。人の命を背負って戦う事も代償に耐えて戦い続ける事も。
今の俺にはそのどれ一つとして明確な意思を持てていない。けれど、そんな幡代の生き方を──否定する事は自分の生き方をも否定してしまうから。
年下の彼女より精神も肉体も強くない俺が否定しても空威張りになってしまう。
醜悪な嫉妬心と不甲斐ない恥辱心を言葉にするような幼稚な人間ではない上に、仮にそれをして更に惨めな思いになりたくないからだ。
傍からは胸裡に秘めた葛藤は見えもしないだろう……想像を絶する苦悩だと思う。
陳腐な言葉では言い表せないくらいに彼女の言葉は深く、鋭く、そして何よりも重かった。




