30話
次に目覚めたのは冷たい地面の上だった。
後頭部にコンクリートの感触、ひんやりとした感覚が脳の覚醒を呼び起こす。
精巧に配置された天井の鉄骨が視界に入った。無機質で冷たいその構造はまるで囚われた自分の逃げ場を封じる檻のようだった。
もしそこに、くだらなくも華やかなアイドルのポスターが一枚でも貼られていたなら、どれほど気が紛れただろうか。
色褪せた笑顔の一つでも、この硬質な現実を少しは和らげてくれたはずだ。
寝ても覚めても現実は変わらないらしい。
交差する鉄骨をしばらく眺めていた。
ここは……地下駐車場、か?
現実と夢の狭間。だんだんと現実にシフトさせてからゆっくりと上半身を起こす。
「大丈夫ですか、氷室さん」
「幡代か……俺は、どれくらい寝ていたんだ?」
「ざっと二時間程ですかね。気絶したところを私と芦屋さんで駐車場に運んできたんです」
「……あ、芦屋?」
「グッドモーニング……この場合はグッドアフタヌーンかな〜?」
ひらひらと手を振り微笑んだ芦屋を見て、ふとさっきの出来事が回顧される。
朦朧とした意識の中、最後に見たのは漆黒の触手と大きな風穴を空けられたバケモノの姿だった。
だんだん頭に霞んだ霧が晴れてくる。
訝る表情で芦屋を見遣った。
「……お前は、覚醒者だったのか。道理でお前の発言がおかしいと思ってたんだ」
「ゆうっちもだいせいか〜い! キミたちと同じだね」
「だな」
言いながらパーキングブロックに腰を下ろして、そっと煙草を咥える。
両ポケットを貪るが、肝心のオイルライターが見当たらない。
すぐさま、先ほどの戦いで使ったと思い出すと仕方なく、予備の百均ライターで火をつけた。
普通の女子高生から覚醒者の認識に変わった芦屋に訊ねる。
「で、あの親子はどうなったんだ? あの二人は大丈夫だったのか?」
「うん。大丈夫だよ〜、無事避難所に戻れたよ」
「そうか……無事ならなによりだ」
唇の隙間から吐き出した煙は空中に霧散した。
「それにこのショッピングモールにはバケモノもいなくなりましたし、ある程度は安全だと思います」
「つまり、民間人を助ける事ができたのか?」
「断定はできませんが一応のところは」
「だといいんだがな……またいつ出るかわかんねぇし。まぁ、あの仕打ちを忘れたわけじゃないけど今さら恨んでも仕方がないし」
その事実は確かに喜ばしい事だった。あの母と娘がちゃんと生きて、今も寄り添いあっている──それだけで十分なのだ。
自分でも驚いたのだが、柄でもなくいつの間にか俺は同情していたらしい。
合理的な損得勘定で動く俺からすればあの行動は矛盾していたように思う。
両親をなくした自分と重ねて見えたのだろう、だから放っておけなかったと考えれば辻褄は合った。
まさしくヒーロー気取りだと思いつつも心の中でかぶりを振る。
偽善行為であったのは明確だった。が、安心している自分も確かにいた。
自分が人間として必要不可欠なものをどうにかしてなくしてしまわないよう必死だったから。
自分は人間だ、心の中で何度も言い聞かせる。バケモノではなく一般人であり、凡庸なありふれた大学生であると。
まるで自己暗示のように誤魔化す事が唯一の精神安定剤になっていた。
──しかし、見透かされたのかとある芦屋の一言によりすべて瓦解した。
「え〜っと、あのね、ゆうっち。キミってもう人間じゃないよ?」
言葉の意味を測りかねて息が詰まる。
冗談にしては笑えない。
その妙な間に背筋がざわついた。
「……は? 急に何を言い出すかと思えば、見ればわかるだろ? 俺は人間だ」
「ううん。だから、人間じゃないって」
腹の中を読まれ、俺は狼狽した。
いつの間にかフィルターにまで火がきていた事も露知らず、指に熱が走ったと同時に靴の裏で火を消す。
不思議と忙しなくなり、手持ち無沙汰な状態になるとドクドクと、鼓動が高鳴って動悸が激しくなる。
芦屋のすべてを見通した目を見て怖くなり、視線を外す。
「でもさでもさ、エマっちも酷いんじゃない? なんで教えてあげなかったの? 私たち覚醒者は人間でもなければ動物でもないのに」
幡代は表情を変えず口を真一文字にしている。
何か重大な真実を隠そうとしている風にも見え、その何かは検討もつかなかった。




