29話
「やっほー、風神様のご到着だよ〜。さ、みんな吹き飛ばされないでね?」
そこには明らかな殺意が内含していた。
赤く、深く、そして無慈悲な──狂気染みた輝きが眼に帯び始める。
気付いた頃にはもう変わっていたのだ。
右目は真っ赤に染まり、右手には幡代と同じような漆黒の触手が絡みついていた。
真っ白だったダウンジャケットを呑み込み、漆黒に染め上げ、さらには生物的な動きで紆曲する。
思考が働かずとも俺は直感的に理解した。
──芦屋ひなみは『覚醒者』の能力を有している、と。
「芦屋さん……あなたは……」
「お見事〜! 大正解、エマっちには五ポイントをプレゼント!」
「まぁ、これを見ちゃったらもう答えなんだけどね〜〜。やっぱり0ポイントかな」
やけに欣快な様子だ。「ちょっと早すぎたけど、別にいっか」と、付け加える。
「じゃ、死んでもらうね。害虫は早めに駆除駆除! キモいし汚いし、触れられたくないからね〜!」
芦屋が触手を纏った右手を前に出す。
瞬間、突風が発生。
近くのガラス窓はガタガタと風圧に煽られ、瞬く間に粉々に割れてしまった。
並外れたその威力を受け、俺の体は後方へと勢いよく吹き飛ばされた。
見事に宙に舞って危うくエスカレーター付近まで飛ばされ、二階から落下してしまうところを幡代が手を掴んで引き寄せてくれたのだ。
もし、それがなければ今頃死んでいたかもしれないと思うと、ゾッとする。
「氷室さん、こっちに……!」
脱力した俺の体をしっかりと支え、風圧が遮られる壁に張り付くよう促した。
強烈な突風が芦屋から放たれる。出処は触手が繰り出す風の玉だった。
まるで小学生の語彙力だと思われるが、あれを見る限り『風の玉』という比喩は似つかわしく思う。
風を一点に濃縮したような──玉らしき何かからは想像を絶する圧力がかかっているのだろうか?
あるいは違う何か、思考を巡らせてみるも結局は憶測の域を出ないので神と未確認生物の存在を疑う事とほぼ同義だ。
考えるのはヤメだ、疲れた。
「……凄い風圧ですね。大丈夫ですか?」
「あぁ、幡代か。大丈夫って言ったら嘘になるな……」
「話さなくてもいいです。私に体を預けておいてください。しっかり支えますから」
「助かる……」
声を出す事で精一杯の状況。消え入る声で囁くと、芦屋の方へ視線だけを向けた。
記憶も断片的だった。
連続的な写真の羅列ではなく、カメラで一枚ずつ撮ったように不自然な整合性に欠けた写真。
要するにページの順番がバラバラになったアルバムを無理やりめくっている感覚と似ている。
「それじゃ、まったね〜。早くしんでくださ〜い」
芦屋の声に呼応して右手の風の玉は更に威力を増した。
途端に轟音が耳朶を打つ。
芦屋と対峙していたバケモノは悲鳴を上げる素振りもなく、正確には悲鳴を上げる隙もなかった。
解き放った風の玉はバケモノを貫通──そして、大きな体躯に風穴を空けた。
「よし。駆除完了!」
「芦屋さん一体あなたは……」
終わったのか。
幡代が安全を確かめ、視界から消えると俺は目を瞑った。
瞼が重い。倦怠感と脱力感。
大学生になってからこれと言って動かさなかった体に無理を強いたからだろう。
遠巻きに、
「……ん? 覚醒者だって──つまり、キミたちと同じだよ」
その言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。




