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20話

 その音で俺は現実に回顧される。

 幡代は立ったまま、荒い息を吐いている。


「はあッ……終わりました」


 振り返ったその右目には、まだ赤い光が宿っていた。


 けれど俺は少しだけ安心していた。

 瞳の奥にわずかに俺を見つめる、幡代エマという人間本来の彼女の姿が垣間見えた。


「お前、その腕大丈夫なのか……? さっき吹き飛ばされたときに折れたんじゃないか?」


「大丈夫です。少しかすり傷を負っただけですから」


 幡代は答えると、薄く笑った。


「正直、覚醒の力はあんまり使いたくないんですけどね」


 駆け寄った俺の前で彼女の右半身を覆っていた触手がゆっくりと液体になって溶けてゆく。

 ぐにゃりと形を崩し、やがて黒い煙のように空中へと霧散した。


「…………腕が、治っていく……」


 右肩にある青くなった内出血の痣が引いていくとともに、外れていた肩もいつの間にか元に戻っていた。 卓抜な治癒能力も有している。


「見ましたか? 氷室さん。これが覚醒者の力なんですよ……まるでバケモノと同じですよね」


「………………ッ」


 ああ、言えるわけがない。

 自嘲気に話す幡代の前で否定する事ができなかった。内心で自分自身そう思ってしまったのだ。

 無言という名の肯定になっている事は承知なのだが、いざ面と向かって訊かれると言葉にできない。


 それを言えばバケモノと同じであると認めた気がしてしまうから必死に押し黙った。


「とりあえずお前が大丈夫ならよかったよ」


「ですね。私は特に致命傷も受けていないので」


「……動けるか?」


「はい」


 右の手のひらを開いたり閉じたりを何度も繰り返すと、幡代はコクリと小さく頷いた。


 すっかり無事とは言えないにしても、今は立っていられる程度には回復しているらしい。


「それにしても危なかったです。この子は一体……?」


 俺の腕の中で少女はまだ震えていた。

 さっき助け出されたばかりの身体を小さく折りたたむようにして、俺の袖をぎゅっと握っている。


「……大丈夫だよ。もう、怖いものはいないからな」


 そう声をかけると、少女はゆっくりと顔を上げた。

 涙と巻き上げた砂埃でぐしゃぐしゃの顔にかろうじて安堵の色が差す。


「あ、ありがとお……たしゅけてけれて」


 まだ恐怖の余韻が残っているのだろう。

 体はプルプルと震えて呂律は回っておらず、言葉足らずな感じが窺えた。


 少女が向けた視線の先には右腕をだらりと下げたまま立つ幡代がいる。その右半身はすでに元に戻り触手の痕跡はない。


 幡代は困ったように微笑むと、膝をつき少女と目線を合わせた。


「怖かったね。でも、もう大丈夫」


「うん、うん……」


 幡代の言葉を受け少女の頬にまた涙が伝う。

 今度のそれは恐怖のものではなく、安堵であった。


「キミはどこから来たんだ? ここは危ないから安全な場所にいないとダメだろ……?」


 そう少女に問いかける。

 なるべく優しく言ったつもりだったが──その瞬間、少女はビクッと肩を震わせて離れてしまう。

 ぱたぱた小走りで幡代の背中に隠れてしまった。


 ……は? なんでだ? 俺なんかしたか!?


 さっきまでの信頼感がスッと消え去り、代わりに遠巻きな視線を向けられる。


 小首を傾げ、何もわからずに当惑する俺に対して幡代は苦笑した。


「はぁ……全然ダメですね」


「何がダメなんだよ! 何もしていないだろ?」


「いくらなんでも不器用過ぎますね。彼女とか子供の世話した事あります?」


「……いや、ないけど?」


「やっぱり」


 やれやれと嘆息をつかれてしまった。

 どんな相関関係があるのだと不可解に思いながら、小首を傾げ彼女たちのやり取りを一瞥する。


「ほら、リンゴ味の飴ちゃん食べる? 甘くて美味しいよ?」


 どこから出したのか、掌の上に乗せられたのは透明なビニールに包まれたキャンディーだった。

 困惑した様子。少女は上目遣いで訊いた。


「いいの?」


「うん。これはね、お姉ちゃんが頑張った子にあげる特別なご褒美なんだよ? よく頑張ったね」


「俺にはないのか?」


「ないです」


「ひでぇな……」


「あ、ありがとぉ……お姉ちゃん」


 少女は少しだけ口元を緩めた。

 そして、いそいそと指先で包みを破って舌の上に乗せる。


「……あまくて、おいしぃ」


 欣快に放ったその一言がまるで、魔法のようにして少女の瞳に少しずつ光を与えた。

 臨界点まで達した恐怖が希釈する。ほんのひとときでも、飴の甘味が彼女の心を慰めていた。


 顔を綻ばせ、後ろの髪をくくったポニーテールが揺れている。


 涙で腫れてしまった目を拭って見えたのは小学生らしさを孕んだものだった。

 可愛いと率直に、ありのままに自分がその姿に見惚れていた。断っておくが決して犯罪性があるものではない。


 すると、活気を取り戻した少女は自己紹介を始めた。


「私の名前、浜辺玄(はるか)っていうんだ!」


「へぇ~! どんな漢字かな~?」


「うみのはまべにえーっと、えーっと……ふーげつげんたく? の、玄だよ!」


 ふうげつげんたく? 

 聞いた事がないな……それにしても小学生にしては小難しい言葉を知っているんだな。

 今どきの小さな子の持つ語彙力に呆気にとられた。


「氷室さん、知らないんですか? 風月玄度──風に月に玄裳縞衣の玄、そして温度の度ですよ」


「……いや?」


 おいおい、わかりにくいな……もっと他の例え方はなかったのか? 勉強にはある程度の自負はしているが、頭をフル回転させてやっと理解できた。

 風月玄度もわからない上に、難解に言葉を細分化されてしまうと頭上に疑問符が浮かぶのも当然だ。


「いや、わかったけど……もっと大衆向けに説明してくれないと結構頭を使ったぞ……」


「風月玄度の意味ってすばらしい人の死を残念に思い、その人の事を思い出すって意味だったよね?」


「そうなの~?」


「おい、小さい子の前でなんて不吉な事言ってんだ……バカ」


「あ、ごめんごめん。なんでもないよ!」


 小さな声で幡代に呟くと、しまった表情で両手を前に出して左右に揺らした。


「すみません。ついつい、中国の歴史を大学で専攻しているもので……」


「厄介オタクみたいだな……」


「うるさいですね……」


 玄ちゃんは真意を読み取れないらしく、不思議そうに首を傾げていた。


 しかし、気にせず「ねえねえ」と、続けて訊ねる。これが小学生のいいところだ。


「お姉さんと、お兄さんたちは付き合ってるの?」


「「え?」」


 不意な質問に俺たちは顔を見合わせ、言葉が重なる。


「いやいや? そんなんじゃないよ?」


「ああ、そうだ。付き合ってない」


 焦った様子で俺たちは否定する。


「なんだ〜けっこんしてるとおもった!」


「「け、けけ、結婚……!?」」


 これも小学生の悪いところだろう。

 またしても言葉が重なった。なんだか急に肩の荷が下りた気がする。


 いかに子供が純粋無垢であるのかを思い知らされた。さっきまで死にもの狂いで戦っていた事を忘れてしまうほどに屈託のない、いじらしい表情。

 バケモノの蔓延る世界でなければどれほど幸せな事だろうか。


 話を変えようと、先駆けて幡代が口を開いた。


「えっとね、結婚はしてないんだけど。ひとまず自己紹介するね? 私の名前は幡代エマ……で、この横にいるお兄さんは氷室祐さんっていうんだよ? 掌に二人の名前書いて覚えてみよっか」


「うん……わかった!」


 言って、玄ちゃんは言われるがまま実践して見せた。


 その姿を見た俺は驚きを隠せない。まるで歌のお姉さん、あるいは保育士を見ているのかと錯覚してしまうほどに、子供に手慣れた幡代が違和感以外の何物でもなかった。

 人は見かけによらないとはこういう事だろう。


 横目にちらりと見遣りながら言う。


「お前が小さな子が得意だったなんて意外だな……てっきり、めちゃくちゃ苦手だと思ってたよ」


「そうですか?」


「ああ。普段の様子だとスンとして冷たい印象だったからな」


「私も意外でしたよ。氷室さんって小さな子が好きそうな印象を受けたので驚きました」


「正直なところちょっと苦手だな。てか、ロリコンって言いたいのか……? 彼女いない歴イコール年齢を拗らせて幼女が好きになったとかじゃねぇよ! 名誉棄損で訴えるぞ!」


 ……本当に心外だ。コイツから見て俺はどのような人間だと思われているのか不思議でならない。この歳になってロリコンも思われるのは相当ヤバいだろ。


「なんのおはなししてるの~?」


 耐えきれなくなったのだろう、玄ちゃんは会話に割って入ってきた。


 すぐさま、幡代は若干の喜色を顔に浮かべて彼女を見遣った。まだ小さい女の子にロリコンという不躾で煩わしいワードを覚えさせるわけにはいかない。


「んーん、玄ちゃんが偉いねってこのお兄さんと一緒に褒めてたんだよ」


「……え、! そうなの!?」


「うん、そうだよ」


 これまた目を見張る対応。

 さすがに俺にはできない。個別の塾バイトで幾度も小学生の低学年を担当した経験はあったが、ちゃんと勉強はしないしキャッキャと動き回るしで仕舞いには肩をバシバシ叩いてきた事もあった。


 無論、クソガキと比喩できる。その子たちに比べれば、断然この子は礼儀正しいと言えるだろう。

 ひとまず、玄ちゃんに関しては幡代に任せるとしよう。


 なぜか、俺は警戒されているみたいだし、何かと同性同士の方が都合も良いに違いない。

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