18話
京都駅は幡代の家からそれほど遠くはなく、ほんの十分から十五分程度で到着した。
霜月上旬にしては冷えている事もある上、車の利便性を改めて実感する。
「車、停めますよ」
「ああ」
デパートの地下駐車場に入り、停車した。
幡代も自分の運転技術を卑下していたが、運転していると体に感覚が馴染んでいたようだった。
『目的地に到着しました。運転、お疲れ様でした』 と、ナビの音声が入ると同時にエンジンを切る。
俺たちはシートベルトを外して、後ろの荷物を取り出した。
「ここからは何が起こるかわかりません。あのバケモノも多くいると思います、一緒に戦う上で覚えておいて欲しい事があります」
いきなり何を言い出すかと思えば、幡代は真剣な表情で人差し指を目の前に立てた。
「一つ目、民間人を第一優先でお願いします。それが私たち覚醒者の役目ですから」
そして、次は中指を立ててピースの形を作る。
「二つ目、どちらかが死ぬとわかった時は助けずに見捨ててください。二人とも死んでしまったら元も子もないので」
やけに真剣な目だった。関わりはまだ薄いが、生真面目な奴だという事はわかっていた。
「……わかった」
「よかったです」
幡代はふわりと長髪を揺らす。
俺は彼女の彼女の張り詰めた空気に圧倒され、頷く他なかった。
車の扉を閉めて地下駐車場を見渡す。数十台、あるいはもっと。
数百台近くは停められる広さだというのにそこに車の姿はなかった。
不審に思った俺は幡代に訊いた。
「ネットに流れてた場所ってここであってるよな? 人の気配がないし不気味な感じだな」
「車で遠くに疎開しているんじゃないんですか? 異空間が見つかっているのはまだ京都だけですし、それならここを離れるって選択は別におかしくないと思いますけど」
「それもそうだな。疎開って噂も出てたし」
駐車場内ではコツコツと二人の靴の音が反響していた。人がいないとこれほど不気味なものだと痛感する。
「エレベーターは使えないですね」
「……そうだな。階段で行くしかなさそうだ」
「そうですね」
エレベーターのボタンを押してみるが、一向に降りてくる気配はなかった。
カチリと子気味の良い音が鳴るだけ。地下駐車場からデパート内に繋がるエレベーターは作動していないようで、未だ復旧の目途は立っていないのだろう。
階段は特に目立ったバケモノ痕跡、段が崩れているといった事はなく、元の綺麗な形を保っていた。
しかし、一階の様子は違った。
「……ひどい有様ですね」
「ああ、活気に溢れていたデパートの見る影もないな。ほんとに」
「足元、ガラスが飛び散ってますので気をつけて歩いてくださいね」
明かりはついておらず、仄暗い。僅かに外光が差し込んではいるが、普段のデパートに比べれば言うまでもなく陰気な場所へと様変わりしていた。
大理石で敷かれた床のタイルは所々隆起しており、シャンデリアが割れたのかガラスが飛び散っていた。 柱には鋭い爪痕、血痕が残っている所から見てここにあのバケモノがいた事実を裏付けている。
「──つっても、人の気配もないな。バケモノの姿も見えねぇし、どうなってんだ?」
訊ねた俺を他所に、隣の彼女は頬を掻いて思考を巡らせているようだ。
「ですね。ひとまず二階に行きましょ──」と、幡代が何か言おうとした途端だった。
『ギ、ギャァァアアアッッ!! グガゥアアッ……!』
耳を劈く不快なノイズ音。昨日、俺が対峙したバケモノに近いものだ。
「氷室さん。行きましょう!」
「ちょ……ちょっと待ってくれ!」
その音を聞くや否や、幡代は走り出していた。
迷いのない足取りで音のした方向──デパートの中央吹き抜けの場所へと向かって駆け出していた。俺も慌てて追いかける。
「おい幡代! 一人で突っ込むなって!」
「民間人がいたらどうするつもりですか! 助けが必要かもしれないんです」
声を張り上げる彼女の背中からは、もはや躊躇いなど一切感じられなかった。
覚醒者としていや、それ以上に誰かを救いたいという信念のようなものを発している。
電気が止まって動かなくなったエスカレーターを二段飛ばしで駆け昇る。
駆け抜けた先、広がっていたのはガラスの天井から差し込む冷たい光が舞台照明のように降り注ぐ中央広場だった。
急に走った事で息が上がり、俺は膝に手をついた。そして、目前の光景に眉を顰める。
「おい、幡代……あれって」
「はい。わかってます」
『た、た……たすけて、たすけてっ!!』
見る限り、小学校低学年くらいだろう少女が尻もちをついて後ずさる。
閑静なショッピングモールの中で赤い目が四つ、足が六本生えている犬のような見た目をしたバケモノが少女に迫るのが視界に入った。
漆黒の毛に体長は熊くらいの大きさだろうか。ただの犬と断定するにはどうみても犬には見えないその異形に、俺はその場で立ちすくんでしまう。
微かな太陽の光を吸い込み、赤く光る四つの眼が俺たちを見据えていた。
「氷室さん、下がってください。私が助けに行きますので」
幡代は俺が呆然としたのを見兼ねて、サバイバルナイフを取り出すと、静かに息を整えた。
迷いは一切ない──まるでこの瞬間を何度もシミュレーションしていたかのような動きだった。
「ガァァァガァッ、ルァアッ……!」
バケモノがけたたましい唸り声を上げた。
どうやら少女を喰うつもりなのだろう、垂涎の的だとでも言いたげに。
その声は空気を震わせ、鼓膜の奥にまで響く。
獣の咆哮とは思えない、異様な音だった。




