11話
──俺が救世主、嘘だろ? ……まさか?
バカらしい。ただ、俺は平々凡々な学生生活を過ごしていただけなのになぜこんな事に巻き込まれているのだろうか。
嘘だと思いたい、悪態をつきたい気持ちが先行するけれど、能力も確かに偽りのない真実だった。
自分の身を通じて体験したのだからもう疑いの余地はない。
「信じられないと思いますが本当です。そして、氷室さんにはもう一つ能力があると私は思っています……」
「もう一つって……右目だけじゃないのか? 時間感覚とか正直、何言ってるのかさっぱりで状況を理解できない」
次に、幡代は俺の右手に視線を遣った。
「はい、気のせいかもしれませんが……右手から強いオーラのようなものが出ていた気がして。その、私の思い違いかもしれないので深くは受け取らないでください」
「……右手──は何もないな。右手から特にこれといった変化はないけど」
右手と言うと、カッターナイフを持っていた手だ。
撫でたり擦ってやっぱりなんの変化もない上に、右手首を押したり触ったり色々試行するが、特に不可解な点はない様子だった。
「まぁ、いい。ひとまず、今は少し休ませてくれ……精神的にも肉体的にも状況が追いつかないんだ……」
疲労の限界が押し寄せ、コンクリート壁にもたれていた体はまた地面へと着地した。
────母さん、父さん。
恐怖と悲しみ、不安。メランコリックな気持ちになる。様々な思いが交錯し、気付かぬうちに目頭を押さえていた。
双眸から滲む感情に抗えず、俺は俯く他になかった。
「父さん、母さん……何でこんな事に。ただ普通に暮らしてただけなのにこんな目に遭うなんて……」
涙とともに小さく呟く。
二度と食べられない母さんの手料理。もう感じられない父さんの優しさ。
二十歳にもなってこんなにも絶望したのは人生で初めてだった。
幾度も気が滅入る経験をしてきたけれど、それは比べる価値もない些細な出来事に過ぎない。
両親を殺したバケモノの黒い大きな体は知らぬ間にしぼみ始めていた。
水分が抜けてドス黒い血は冷風もあってかもう乾燥しつつある。
「…………クソッ!!! なんだってんだよッ!!」
胸 の奥底から煮え滾る感情に身を任せ、バケモノの残骸を思い切り蹴り飛ばす。
座っている事もあって、十分な力は伝わらず弱々しい。飛んだ距離は数センチにも満たなかった。
コイツを殺したからと言ってもう両親は返ってこない。その言葉を脳内で何度も反芻する。
頭では理解しているのに心だけが置き去りにされて伴わない。
果たしてこれからの展望は明るいものになるだろうか。
家も荒れ、自分を暖かく受け入れてくれる大事な人たちはもう死んでしまった。自分の心を壊すには十分。
幡代は一連の行動を見届けてから、やがて静かに言った。
「氷室さん、ひとまず暖かいところに移動しましょう。風邪、引いちゃいますよ?」
「ほっといてくれ」
即答。頭では理解しているものの、動く気にもならず蹲るしかなかった。
「それはできません。この寒空の下にいたら危ないです」
「……だろうな。けど、今は動く気にはなれない」
「………………」
数分の沈黙のあと、幡代の言葉が耳朶を打つ。
「なら、私の家に来ますか? 別段広くもないですけど。それで構わないなら」
「……は? 幡代の家? 急になんだ……?」
一通り泣きつくし赤くなった目を擦り、彼女を一瞥する。少しだが気分は楽になった。
子供相手にましてや女子高生を前にして、泣きじゃくってしまったのは少し面映ゆい気がしてならない。 なんて格好悪い姿を晒してしまったのだろう。
「私は構いませんけど。それに、あまり言いたくはありませんが、この有様じゃもう家として機能していません……仮に住めたとしても嫌な思い出が蘇りますよ」
割れた窓ガラスから風が吹き抜け、床は隆起している。
住める可能性はない事はないが、家として機能しているかと問われれば、概して肯定しかねる状況だった。
「だとしても、さすがに親に了承を得なくちゃならないだろ。勝手に行って大丈夫なのか」
「別に大丈夫です。私は一人暮らしなので」
幡代はこくりと頷いて了承の意思を見せる。
がしかし、まだ高校生くらいの彼女の家に泊めさせてもらうというのは些か世の体裁に抵触する。
今の日本じゃそういった類には厳しいし、私情を勝手に持ち込むわけにもいかない。
呆れたように溜め息をつく。
「あのな、気持ちはありがたいけど女子高生がそんな事言うんじゃねえよ。俺は今年で二十一歳になる奴だぞ……俺の事はいいから早く帰ったらどうだ」
そう言うと、
「……はい? 私を何歳だと思ってるんですか、そんなピチピチの女子高生でもなんでもありませんよ」
「何言ってんだ、どっからどう見たって女子高生にしか見えない」
「……え、本当に言ってます? どこをどう見たら女子高生に?」
彼女はわずかに眉をひそめ、自分の胸を見ると不機嫌そうな表情を示した。
おいおい、違う。そういう意味じゃねえって……。
「京都府立女子大学、文学部。中国文学学科、二年生の二十歳ですよ」と、不満気な声色で付け加えた。
「え?」
嘘だろ……? こんなちびっ子が一個違い?
「……それ、本当に言ってんのか? 冗談じゃなく?」
「はい、本気です。信じれないようでしたら大学の学生証でも見せましょうか?」
幡代は財布から取り出しかけたが、俺は手で制す。
「……いや、そこまではいい。すまない、疑って悪かった」
「どうせなら信じてほしかったですけど……まぁ、見た目のせいなら仕方ありませんね」
言って、彼女は小さく肩をすくめる。
確かに身長も低いし、顔立ちもどこか幼く見える。けれどその眼差しは高校生と認識するには年不相応に冷静で何より、俺のような状況にある人間に対して自然と手を差し伸べられるような高校生にはない包容力があった。
おそらく大学生にもないだろう。
「……行きましょうか。ここにいても、風邪を引くだけです。あと、パンツとか色々一式は持ってきてくださいね? 私の家に男物は一切置いていないので……まぁ私の下着をつけるなら構いませんが……?」
「それでも構わない」
「……気持ち悪いんですけど。貸しませんよ絶対に」
身を引いて、小さな唇を歪ませる。
「アホか、ったく。冗談に決まってるだろ。それに意味不明な話をお前が振ってきたんだろうが」
「まあ、よかったです。冗談言えるくらいには回復したって事ですね」
俺は立ち上がり、ぐらつく体を幡代がそっと支えてくれる。
「どうだかな。とりあえず、荷物取ってくる。武器になりそうな物もあったらついでに持ってくるよ」
さきほどの戦闘で半ば崩れかけた玄関からリュックを取り出し、いくつかの生活用品を詰め込んだ。
着替え、洗面道具、スマホの充電器、それから……玄関に飾ってあった家族との思い出が詰まったアルバムだけは、どうしても置いていけなかった。
おそらく、二度とここには戻らない。荒廃し、いつかは家と呼べなくなる形になると思うとなんだか胸が締め付けられる思いに駆られた。
(おい、泣くな、俺…………)
また、涙が溢れそうになる前に早く出よう。今日で一生分の絶望を味わった。
一生分の涙を流した。それでも、生きるしかない。
荷物を肩に掛けて外に出ると、幡代は静かに待っていた。
街灯に照らされた彼女の横顔はどこか儚げで、それでいて芯のある強さを宿す。
「……行くか」
「はい。こっちです」
頷きとともに歩き出すと、幡代は俺のすぐ隣についた。
沈黙が少し続く。でも、それが妙に心地よかった。無理に話す事なんてない。
隣に誰かがいてくれるだけでこうも違うのかと、自分の反応に驚嘆してしまった。




