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明日見明里は退屈が嫌い  作者: 河野守
第4章 対決

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第6話

 烈は柳を迎え撃つための準備を整える。ズボンのポケットを弄り、その様子を見た柳は足を止めた。自分と同じくなんらかの武器を取り出すのではと、警戒しているのだろう。

 烈のポケットから出てきたのは、柳のようなメリケンサックの武器ではない。一組のナイロン声のグローブだった。

 これは、烈の父親が趣味のバイクに乗る時に使っているグローブ。父親は現在単身赴任でバイクに乗れていないと嘆いている。どうせ使っていないのだから、勝手に持ち出しても大丈夫だろう、父親の部屋から探してきたのだ。

 ただのグローブだと見た柳はうすら笑いを浮かべた。自分のメリケンサックに比べれば、グローブなど恐れるに足りないと考えているのだ。

 烈は柳に向かって右腕を伸ばし、手のひらを上に向けて指を折り曲げる。

「そんなところで突っ立ってないで、早くかかって来いよ。どうした?」

 柳は額に新しい青筋を加える。

「……剛村。俺はな、お前のことが嫌いだったんだよ。お前のその反抗的な目がな!」

「奇遇だな。俺もだよ。常に人を見下したあんたの目が大っ嫌いだった」

「……口を慎めよ、クソガキ!」

「グダグタ言ってないで、とっとと来いよ。それとも土壇場でビビったか? なら、土下座しろよ。剛村様、ごめんなさい、許してくださいって。そしたら、痛い思いはさせずに、拘束だけで済ませてやる。俺はあんたと違って優しいからな」

 柳が女子供からの挑発に弱いことは、これまでの彼の言動から分かりきっている。そして、柳は今の烈の挑発にも簡単に乗せられた。意味不明な奇声を上げながら、柳は勢いよく烈に突進。拳を大きく振りかぶり、烈の顔目掛けてパンチを繰り出す。

 烈は手の甲で柳のパンチを受け止める。烈が装着したグローブの各所には、頑強なプロテクターが入っている。メリケンサックの攻撃を受けても負傷することはなかったが、金属の打撃による衝撃で烈の手は軽い痺れを覚えた。

 柳は烈に反撃させまいと、ひたすら拳を繰り出す。防戦一方の烈を見て、柳は暗い笑みをこぼし始めた。

「なんだよ、剛村? さっきの威勢はどうした? やっぱり、ガキのお前は俺には勝てないんだよ!」

 学生時代からスポーツをしている柳は体格が良く、筋肉量も同年代の平均を大きく上回る。身体能力が落ちる中年だとはいえ、柳の膂力はとても強い。メリケンサックによる打撃を受け続ければ肉はミンチになり、骨は粉々になるだろう。

「……」

 殴られている烈だが、彼に焦燥の気配はなし。傍目からは柳のサンドバックとなっているように見えるが、その実は違う。柳の攻撃を受け止め、逸らし、的確に防御している。消耗しているのは、むしろ柳の方である。なりふり構わず殴り続けているため、体力がすり減っていき、パンチのキレも落ちてきていた。

 そして、柳はとある致命的な見落としをしていた。

 目の前にいるのは、ただの男子高校生ではない。

 不幸にも多くの事件、事故に遭遇し、そしてそれらを切り抜けて生き残ってきた、猛者なのだ。

 柳の疲労が溜まってきたのを見計らい、烈は攻めへと転じる。口の中に溜めた唾を、柳の顔に飛ばす。唾は右目に入り、柳は視界を半分奪われる。目に生じた突然の痛みに柳は動揺し、攻撃を止めてしまった。

 そこを逃す烈ではない。

 柳の懐に飛び込み、鳩尾に鋭いボディーブローを叩き込む。身体を突き抜ける深い衝撃に、柳は体をくの字に折り曲げる。嫌な汗を浮かべながら、咄嗟に反撃のパンチを繰り出す。だが、苦し紛れに放った攻撃は退屈な遅さで、烈にとって見切るのは容易。自分の腕を柳の腕に絡めてパンチの軌道を制御しつつ、柳の顔面に強烈なクロスカウンターを叩き込んだ。

 グローブのプロテクターは烈の拳を守るのに一役買っていたが、攻撃に利用することもでき、柳のメリケンサックのように打撃の攻撃力を高めてくれる。

 烈の拳は柳の頬を的確に打ち抜き、柳を大きく後退させた。

「くっそ、くっそ……! ガキのくせに……!」

 殴り合いでは烈に勝てないと判断した柳はメリケンサックを外し、代わりに刃渡り五センチほどの折りたたみ式ナイフを取り出した。

「今度はナイフかよ。色々と持ってきたんだな。よっぽど呼び出しが怖かったのか?」

「減らず口を叩くな。クソガキが、とっとと死ねよ!」

 柳は両手で握ったナイフを前に突き出しながら、烈へと真っ直ぐに向かっていく。

 刃物を向けられれば、人間は恐怖から動きが鈍くなるはず。だが、烈は刃物を持った相手を相手と対峙したことは何度もある。

 殴り合った時に思ったが、柳は喧嘩のど素人だ。ただひたすら急所を狙ってくるだけ。フェイントを混ぜず、烈のカウンターにも対応できていなかった。決して反撃してこない、自分よりも弱い人間だけを相手にしてきたのだろう。

 ナイフを持ってからも、柳の動きは単調。烈の心臓しか狙っていない。

 狙いが事前に分かっているなら、対処は簡単。

 烈はナイフの腹を、横から拳で叩く。

 烈の本来の狙いはナイフを弾き飛ばすことだったのだが、安物だったのか、ナイフは真ん中から容易くポッキリと折れてしまった。

 柳は宙を舞う刀身を信じられないという表情で眺めており、その呆けた顔面に烈の右ストレートが炸裂。鼻の骨が砕けた鈍い感触が、グローブ越しに烈の拳に伝わる。

 烈は力を緩めず、そのまま拳を押し込む。柳は勢いを受け止めきれず後ろに吹っ飛び、泥まみれになりながら地面を転がっていった。

「が……あ……!」

 変形した鼻を抑え、耐え難い痛みで地面をのたうち回る柳。自身に影が降り、彼は恐る恐る街灯の光を遮るものに目を向ける。

 烈は柳を見ていた。冷たい目で見下ろしていた。

「あんた、何発、花咲を殴った?」

「へ、へえ?」

「花咲を殺す時、何回殴った? それ以前も花咲を殴って、多くの痣をつけていたよな? 花咲を殺すまで合計何回殴った?」

 柳を見る烈の目は、更に冷たいものへ変わっていく。

「なあ、教えてくれよ。何回殴った? あんたが花咲を殴った回数と同じ分だけ、あんたをこれから殴る。花咲と同じ苦しみを、あんたにも与える。当たり前だよなあ?」

 烈の声は暗い。とても暗い。聞いた者を身震いさせる暗さと迫力があった。

 殴った回数など、柳は覚えていない。萌絵の心情など気にせず、ただの感情の赴くまま殴っていたのだから。

「何回なんだよ? 黙ってないで教えろよ。早く、早く、早く……!」

 低い声で催促する烈。柳が答えるまで続けるだろう。もはや沈黙すら許されない。適当な回数を答えれば良いのだが、一、二回という回答は受け付けてくれない。烈が納得するには、それなりの回数を答える必要がある。だが、今の烈は尋常ではない。きっと殴り殺されるだろう。

 どうすれば自分の命を守れるのかと思考を巡らせるが、鼻骨の骨折の痛みで頭が碌に回らない。

「謝る。謝るから。俺が悪かったよ、剛村。だから、許してくれよぉ……」

「あ?」

 柳はプライドをかなぐり捨て、涙ながらに土下座をして必死に命乞いをする。だか、烈に許す気配など微塵もない。

 本当に殺されてしまう。

 絶望する柳に助け舟を出したのは、意外な人物。

「烈くん、そこまでにしておきたまえよ。やりすぎだ」

「でもよ……」

「それ以上は正当防衛として認められない。君も刑務所に入ることになるぞ。君はそのクズ野郎と同じになるつもりかい?」

「……分かったよ」

 烈の意識が明里に向いたのを好機と見たのか、柳は半分になったナイフを烈に向かって投げつけた。烈は咄嗟にグローブで防御。父親が有名なメーカーのものだと自慢していただけあり、表面の繊維が少しほつれただけだ。

 追撃が来ると身構えるが、柳は烈に無様に背中を向けて逃げ出した。

 彼の戦意はすでに無くなっていたようだ。

「烈くん、絶対に逃すな!」

「当たり前だ!」

 全力疾走で柳の背中を追いかける。だが、地面の泥濘に足を取られ、中々追いつけない。

 往生際が悪いんだよ。今更逃げても意味はねえのに!

 烈が石階段を降りたところで、けたたましい柳の悲鳴と耳障りなクラクションが烈の耳に入ってきた。

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