第10話
その日の夕方。夕焼けのオレンジの光が小さくなり、丁度夜に切り替わろうとしている時間帯。
列と明里の二人は駅前のカラオケ店に来ていた。以前の今井の件で訪れた店だ。
捜査の疲れを癒すための気分転換として、歌いに来たわけではない。
待ち合わせをしているのだ。待っているのは花咲菖蒲である。
先ほどの打ち合わせ中に明里が菖蒲にアポイントメントの連絡をメールで送ったのだが、今日にでも会えるとの回答がすぐに返ってきた。
善は急げということで、急遽夕方に会う約束を取り付けた。待ち合わせ場所にこのカラオケ店を選んだ理由は、今井の時と同じで盗み聞きされずに内緒話ができるから。
菖蒲が来るまで、烈が事件の資料を見ながら待っていると、明里が烈の裾を引っ張ってきた。
「なんだ? トイレか? 俺がこの部屋で留守番してるから、行きたいなら行ってこいよ」
「違うよ。てか、女の子に向かってデリカシーのないことを言うんじゃない」
「じゃあ、なんだよ?」
「菖蒲さんが来るまで、ちょっと歌おうかなって」
「はあ? 歌う? ここには遊びに来たわけじゃないぞ。俺にはデリカシーうんぬん説教しておきながら、自分は待っている間歌いたいって……」
「烈くん、ここはどこ?」
明里は烈の抗議を遮り、質問を投げかけてきた。
「どこって、カラオケ店だろ」
「そうだ。カラオケ店。カラオケする場所だ。この場所の存在意義は、カラオケをすることなんだ」
「……うん。だから?」
「だから、歌わなければカラオケに失礼じゃないか」
よく分からない理屈である。
長々と問答したが、要は明里が歌いたいだけ。
「君もボクの美声が聴けるんだ、悪い話じゃないだろ。君は小さい頃、明里ちゃんのお歌上手で好きー、結婚して一生聞かせてと喜んでいたじゃないか」
「いつの話だ。てか、最後の部分は絶対言ってない! 誇張すんな!」
烈の言葉を無視し、明里はカラオケマシーンのタブレットを手に取り、選曲。曲を入れようとした時、扉のノックで邪魔された。扉を恐る恐る開けて顔を出したのは菖蒲。
「ごめんなさい、遅くなりました」
今日の菖蒲は通っている中学校の制服ではなく、年相応の私服姿。
菖蒲が明里と烈の正面のソファに腰を下ろすと、明里は持っていたタブレットをテーブルに置き、にこやかな笑みを作る。
「菖蒲さん、何か飲むかい?」
「じゃあ、オレンジジュースを」
「食べ物はどうする? 夕方だし、お腹は空いていないかい?」
「少しだけ」
「好きなものを頼むといい。今日は烈くんの奢りだ」
「いや、お前が奢るんじゃないのかよ!」
「男だろ。君が奢りたまえ」
「なんて時代錯誤な……」
烈達のやりとりを見て、菖蒲は吹き出す。その様子に、烈は菖蒲が自分達と大分打ち解けていると感じた。以前の彼女は緊張気味だったが、これなら隠し事を話してくれるかもしれない。
今の漫才のようなやりとりは、恐らく明里の計算なのだろう。場の空気を和ませ、菖蒲の心を開かせるという。烈も明里のノリに便乗することに。
「ったく。しょうがねえな。俺が奢ってやるよ。男に二言はない。菖蒲ちゃんも遠慮すんな。食べたいもん言いな」
「じゃあ、この苺のパンケーキ、頼んでもいいですか? 学校の寮が厳しくて、こういう甘いものを普段食べられないんですよ」
「いいよ。いいよ」
「じゃあ、ボクはスーパーギャラクシーチョコレートパフェにしよう」
「値段高! お前は少し遠慮しろ!」
なんとか明里のパフェを安いものに変えさせた後、烈は備え付けの電話を使い、フロントに注文。少しして店員が注文の品を持ってきたので、烈が受け取り雑談しながら飲み食いを始める。
「菖蒲ちゃんさ、君の通っている学校だけど、ここからかなり遠い場所じゃなかったっけ? 来るの大変だったんじゃないの?」
「あー、今、私は実家にいるんですよ」
「実家に?」
「はい。学校から家庭が大変だから少しの間休みなさいと、数日前に家に帰されたんです」
「そうなんだ」
現在、青薔薇の貴公子事件について、報道が過熱している。萌絵の殺害以降、新たな事件は起きていないが、テレビ局はこぞって特集を組み犯人探しをしている。
所謂オールドメディアと称される人間達はまだ理性的だ。
再生数稼ぎに執心する動画配信者達が被害者の遺族に付き纏ったり、被害者と遺族の職場に突撃取材を敢行している。
菖蒲の中学校にも、そういった連中が来ているそうだ。菖蒲を不埒な輩から守るためだろうが、他の生徒に悪影響が及ばないように体良く菖蒲を厄介払いしたのではと、烈は少々穿った見方をついしてしまう。
烈達は探り探り会話をしばらく続けた後、ようやく明里が動き出す。
「……雑談はこの辺にして、そろそろ本題に入ろう。ボク達が菖蒲さんを呼び出した理由だ」
空気が一気に引き締まる。数瞬まで笑っていた菖蒲の顔は堅いものへ変わった。菖蒲も呼び出された理由をなんとなく察していたようだ。
「単刀直入に聞こう。お姉さんについて、ボク達に隠していることがあるね?」
「……」
目を逸らし、口を一文字に結ぶ菖蒲。明里は構わず続ける。
「お姉さんは、マッチングアプリに登録していたんじゃないのかい?」
菖蒲は目を大きく目を見開く。何か喋ろうとするが、この場を切り抜ける言葉が思いつかないようだ。口を開けて、無意味な音を出すだけ。
菖蒲の反応から、明里の言葉が当たっていることは明白。問題は菖蒲が事情を全て話してくれるかどうか。この先どうしようかと烈が考えていると、明里が動いた。
明里は菖蒲の隣に移動し、親しげに自分の胸に抱き寄せた。優しい声音で語りかける。
「菖蒲さん、世間の一部がお姉さんについて色々言っているのは知っているかな?」
「……はい」
「夜な夜な友人宅を遊び回る不良少女だの、男を漁る尻軽女だの、好き勝手に根拠のない話を面白おかしく言っている。中には殺されたのは自業自得だと、放言する人間もいる。悔しくないかい?」
「……悔しいです」
「そうだろう。飛び交う噂を駆逐するためには、どうすればいいか。真実を見せることさ」
「真実を?」
「うん。真実だけが邪推を消し飛ばす。お姉さんを殺害した犯人を捕まえ、事件の経緯を世間に広める。そうすれば、お姉さんの名誉は回復する。ボク達は必ず犯人を捕まえる。お姉さんの無念を晴らす。そのために君の協力が必要なんだ」
「私の協力……」
「ボク達に協力してほしい。君が隠しているお姉さんの秘密にも、きっと何かしらの理由があるはず。そして、それは事件解決の鍵になる」
実に巧みな話術だな。
黙って明里達の会話を聞いていた烈はそう思った。
しかし、菖蒲の口を開かせるための戦略とはいえ、明里のやり方は卑怯だと感じる。萌絵の名誉を持ち出されたら、拒否なんてできない。
菖蒲は目を閉じ黙考。自身の中で葛藤しているらしく、目尻が時折痙攣する。
烈達が黙って待っていると、菖蒲の中で決心がついたようで彼女は目を開けた。
「……分かりました。お話しします」




