第9話
今井の言葉に、烈はクッキーを喉に詰まらせ咳き込んだ。明里がコーヒーの入ったマグカップを烈に渡し、背中を軽く叩いてくれた。烈はすっかり冷めたコーヒーを喉に流し込み、ようやく呼吸を落ち着けると明里に礼を言う。
花咲がマッチングアプリ? どういうことだ?
「あー、ごめんね。今、烈くんと一緒にいてね。彼がちょっと咽せたんだ。それで今の話は本当なのかい?」
「うん。今から写真を送るね。アプリのプロフィール画像なんだけど、後ろ姿が花咲さんっぽいの」
少しして明里のスマホに、今井からのメールが届く。明里と烈が画像を確認すると、確かに雰囲気が萌絵に似ている。
「私にはこれくらいしか提供できないけど……」
「いや、十分だ。こちらも正直手詰まりでね。今井さんからの情報提供はありがたい」
「役に立てて良かったよ」
「あ、一つだけ頼みがある。このことは……」
「分かってる。内緒ってことでしょ? 花咲さんについて色々憶測が流れてるみたいだし、まだ花咲さんだっていう確証もないしね」
「うん、お願いするよ」
通話を終えた後、明里と烈は再度画像を確認。
画像に写っている女性は後ろ姿で顔が見えない。萌絵のいつもの髪型とも少し異なる。ただ、今井の言う通り、雰囲気は似ている。
画像は自室で撮影されたもののようだが、背景は画像処理でボカされており、萌絵だと断定するものを見つけられない。女性が着ている服についても、烈はそもそも萌絵の私服姿を見た経験がないので、服から判断できず。左手に指輪が見えるが、それも烈には見覚えがない。
「花咲さんだと言われればそうだし、そうでないとも言える。とどのつまり、分からない」
烈も明里と同じで、本人だとは自信を持って言えない。
……いや。
「花咲だ。コイツは絶対花咲」
「何故、断言できるんだい?」
明里の疑問に、烈は画像のとある部分を指さして答える。
「耳?」
「この右耳のところに、特徴的なホクロがあるだろ?」
「小さくて見づらいけど、星型のホクロがあるね」
「これと同じものが、花咲にもあるんだよ」
以前、クラスメイトの女子達が花咲の耳のホクロを目ざとく見つけ、面白がって笑いながら触っていた。そのことを烈は覚えていた。
明里は冷たく目を細める。
「……随分と彼女をよく見ていたんだな? 耳のホクロまでじっくりと、細かく」
声のトーンが露骨に下がったので、烈は明里の機嫌が悪くなったのだとすぐに分かった。今のどこに機嫌を損ねる要素があったのかと困惑するが、あらぬ疑いをかけられているようなので、とりあえずは誤解を解くことに。
「俺の席は花咲の後ろの席だからな。自然と目に入るんだよ。クラスの女子もよく触っていたし、なんとなく覚えていたんだよ」
「……ほう。……ほう」
弁明するも、明里の視線は冷たいまま。
とても居心地が悪い。明里の目つきは烈を詰るようなものだ。
俺、何か悪いことしたか? やっぱり、異性の体を見ていたのはよくなかったのか? 同じ女子の明里にとって、不愉快だったのか?
烈は非難めいた視線から可能な限り逃れようと、身を縮ませる。
しばらく烈を視線で責めていたが、烈が萎縮する様子を見たことで満足したようで、視線の温度を上げる。
「烈くんがクラスメイトの女の子を視姦していたことは許そう」
「視姦ってお前……」
明里の口から下品な言葉が出てきて、烈は思わず言葉を失う。
俺を変態みたいに言うんじゃねーよ。
「烈くんも年頃の青少年だ。女の子に興味を持つのもごく当たり前のこと。溢れ出るリビドーを制御できないのも仕方がない。そこら辺、ボクはきちんと理解あるからね」
「はあ……」
「だから、ボクをそういう目で見ることは許してあげよう。存分に君の劣情をぶつけ、愛でるといい。その代わり、他の女の子にうつつを抜かさないように」
なんかめちゃくちゃ言ってるなと烈は内心思うも、その感想を口に出すとまた明里の機嫌が悪くなるかもしれないので、曖昧な返事に終始。
「烈くん、花咲さんの妹、花咲菖蒲さんと会った時のことを覚えているかい? 彼女は花咲さんについて何か隠していた」
「覚えてる。明らかに挙動不審だったからな」
そこで烈は明里が何を言わんとしているか分かった。
「もしかして……」
「うん。彼女が隠していたのは、このことだったのかもしれない」
姉がマッチングアプリに登録していたことを隠したいのは、妹としておかしな反応ではない。だが、先の菖蒲は単に恥ずかしくて隠していた等ではなく、もっと複雑な感情を抱いているように見えた。少なくとも、烈にはそう思える。
「だけど、素直に答えてくれるのか? あん時は拒絶が凄かっただろ?」
「もちろん手は打ってある。実はね、あれから菖蒲さんとメールなどでやりとりをしていてね。彼女と親しくなり、ある程度の信頼を得られている。今なら答えてくれるだろう」
菖蒲から事情を聞き出す準備を裏で進めていたとは。相変わらず抜け目のない奴だと烈は感心。
「それにしても、なんで花咲がこんなアプリに登録しているんだ? あいつ、友人は十分すぎるぐらいいるし。あ、彼氏が欲しかったとか?」
「それはないだろう」
「なんで?」
「……」
明里は答えず、何か言いたそうな表情で烈を見るだけ。否定の根拠はあるようだが、烈には何故か言わない。
回答を待つ烈に対し、明里は小さなため息を吐く。
「とにかくだ。まずは菖蒲さんと会って、彼女が隠していることをなんとしてでも聞き出す」
「そうするしかないか……」
菖蒲から烈の知らなかった萌絵の裏事情を聞いてしまうかもしれない。単にマッチングアプリへの登録以上の、衝撃的な事実の可能性がある。
萌絵の暗い部分を知るのではないかと、烈としては気分が重い。
一方の明里は少し楽しそうだった。
「菖蒲さんの話によっては、捜査が大きく前進するだろう。さて、何が出てくるかな?」




