半人間
長い電車の旅で、どうやらわたしはひどく混乱しているようだ。自分が誰なのかもわからなくなることが度々ある。
と、その時──。
二人の話し声が聞こえてきた。
「実は私、半人間なんです」
その言葉に、わたしは戸惑った。
聞き間違いだったんだろうと、返事をせずまた正面を向く。
突然、横からそんな話をされるなんて、たまったものではない。
ましてや、こんな話を……。
「半人間なんですよ私は。絶対に人には言わないでくださいね。内緒ですよ」
また半人間は繰り返した。
今度は話しかけられたことを認め、わたしは顔を向けた。
「はい?」
半人間は深刻な顔で、わたしのことをじっと見据えて、こくりと頷く。
「あなただから打ち明けるんですよ」
「はぁ」
「突然、見ず知らずの人間から、そんなこと打ち明けられて、変なやつだとお思いでしょう? でもね、どうしてもあなたにだけは、言わずにおれなくなってしまって。あ、いや”半”人間でしたね。失礼」
半人間は自嘲気味に笑った。
いよいよ変なのに絡まれたものだ。
と後悔をするそばから、まただ。
「半人間なんですよ私は。本当です。信じてください」
「と言いますと?」
黙っていればいいものを……我ながらマヌケ臭いことを聞き返してしまった。
こんなことなら、最初からずっと無視を決め込んでいればよかった。
「だから、半人間なんですよ」
半人間は、念を押し言った。
「んん? なんですって」
「はい。半人間ですよ」
「半人間……」
「そう。半人間」
もう横を見ようとは思わなかった。
暫くは無言。
次また話しかけられても、もう言葉を返さないぞ、と誓った。
が、しかし。
「そうですか。ひどい仕打ちをしますね。あなたは悪魔だ」
「はい!?」
瞬間的に、わたしは顔を向けていた。
今、わたしは不満げな顔をしているだろう。
しかし、わたしが顔を向けるのと同時に、半人間は顔を正面に戻していた。
この車両には今、わたしと、その頭のおかしな半人間の二人だけだ。
暫くは沈黙が続いたが、半人間は徐に口を開いた。
「いえ、それは少し言いすぎました。悪魔だなんて……。
だけども、こっちは恥を覚悟して言ってるんですよ。そう何度も聞き返さなくていいでしょうに」
「すみません」
なぜ、わたしが謝らなければならないのか?
全くもって納得がいかない。
「いいんですよ。誰だってそりゃあ──」
と続けようとする半人間。
癪だったので構わず半人間の話の腰を折ってやった。
「ところで、半人間というのは、なんですか」
「ほほぅ。そうですか」
半人間は、そうきますか、としたり顔。
心なしか口元に笑みを携えている。
「なんです?」
「いえ」
今度ははっきりと、口の端で笑い、正面を向いてしまった。
益々もって、わたしは不愉快な気分になった。
しかし、気にはなる。
「あなたは、その、半人間……」
問い正そうとしたのだが、こんなおかしなこと、一体どう聞けば良いのか、些か勝手が分からない。
普通に生きていれば、そんな話になるはずもないのだから。
「そうですよ。私は見てのとおり半人間です。正真正銘のね。それがどうかしましたか」
「いや心苦しいのですが、そういうことじゃなく、まず根本なことから……」
「ええ。ええ。仰ってください」
話すほどに、わたしのほうが下手になっていく。
半人間はまた、わたしに顔を向けていた。
口元の笑いはそのままに、いくぶん友好的な微笑だ。余裕すら浮かんでいる。
「あなたが半人間なのですね」
「もちろん、もちろん。だからさっきから、そう言ってるじゃないですか」
「わたし、その半人間というものが、なんなのか分からなくて」
「またそれですか」
然もわたしのほうが”何も知らないおかしなやつ”とでも言いたげな、そんな顔つきだ。
「いえ、知ってますよ、知ってますとも。今少し失念しまして」
「失念ですか。そうですか、そうですね。ええ、失念もしますよ、そりゃあ」
奥歯に物が挟まった言い方だ。
まるでわたしが責められてるようだ。
わたしは、いつしか懇願するような喋り方になっていた。
「本当なんです。もったいぶらないで教えてください」
「本当に知らないと?」
「はい、本当です。お聞かせください」
一拍置いて、半人間は吹っ切れた表情で。
「もういいんですよ。忘れてくださいな。あなたは知らない。そして私は半人間。もうそれでいいじゃないですか」
本来、こんな話に付き合うこと自体、おかしなことだ。
なのに、と。
わたしは聞かずにはおれない。
「わたしが半人間だと思ったのは、なぜですか」
返事はない。
馬鹿にされた気分だ。
「わたしが半人間だと気づいたの、どこですか?」
少々むきになり、語気が荒くなってしまった。
しかし考えを改めた。これが最後だ。
返事がないのならそれでいい。好都合じゃないか。
もうこの話は終わりにしよう。そして次の駅に着くまで寝た振りでやりすごそう。
そう思い始めた矢先。
「いえ。私はそういうことは全く分かりません」
ぶっきら棒に言った。
いくぶん斜に構えた態度でだ。
「さっき、あなたは自分が半人間だって言ったでしょう。怒らないで教えてくださいよ」
「怒る? あなたが?」
「違いますよ。あなたがですよ」
「私に怒られるようなことを、なにかしましたか?」
全く、嫌味な言い方だ。
それっきり、半人間は黙ってしまった。
どうしてこんなことになってるんだろう。
わたしはただ、電車に乗り、正面をずっと向いていただけだ。
そこへ突然、見ず知らずの人間に、いや半人間に「実は、私は半人間なんです」と告白されたのだ。
きっとこの半人間は、わたしも仲間だと言いたいのだ。
でなければ、そんな告白をするわけがない。
わたしは確信を持った。
だから、その馬鹿馬鹿しい話にも乗ってやる、振りをした。
「で、そのですね……」
半人間は眉一つ動かさず、正面を見据えている。
「その……つかぬことを伺いますが。あなたもしや、わたしが半人間じゃないかと? そう仰りたいのではないですか?」
途端に半人間は声を立て、ぱっと明るい顔に変わった。
「そうですかーっ。いやぁ、そうだと思った。そうですか、あなたも?」
「と、言いますと」
「いや、今あなた言ったじゃないですか。私に打ち明けてくれましたよね。自分は半人間だと」
「そんなことは言ってません!」
思わず声を荒げてしまった。
なのに、半人間は意も返さず、ニヤリと笑った。
「それはおかしいですね。おかしいですよー」
「なにがそんなにおかしいのです?」
「いえ、だって。あなたが半人間ではないのに、なぜ『わたしが半人間じゃないかと仰りたいのですか?』なんて訊くんでしょうか。それはおかしいですねー」
「わたしは半人間なぞ、そんなヘンテコなものではありません」
言い足りない。
なにか、この半人間を、わたし同様不快な気持ちにさせないと気が済まなくなった。
そう思案していると、あることを思いついた。
わたしはそれを言ってみることにした。
「その半人間とは、もしかすると”半人前”のことじゃないですか? それなら分かります。言葉の意味としても通じますからね」
些か嫌味が過ぎたかと思ったが、悪いのはこの半人間だ。
わたしの皮肉に、一体どんな顔をするだろう。怖い気もしたが、反応に興味もあった。
しかし半人間は、淡々とわたしの言ったことに訂正を入れた。
「いえ違いますよ。半人前とは、一人前じゃない。一人前の半分の能力しかない。そういう意味ですよね? 私が言っているのは”半人間”です。正真正銘のね。
私や、そう、あなたのように」
もうわけが分からない。
自信を持ってそう言っている。
わたしの言った嫌味など気にも留めていない。
なのに、わたしが半人間じゃないと言うと、それは違う。と気がすまない様子。
次第にわたしは自分が本当に、半人間じゃないのだろうかと考え始めていた。
と、その時──。
また別の声が聞こえてきた。
酒井の横に、もう一人座っていた。
これから全人間へと生まれ変わるわたしたちと違い、彼女は事態を全く飲み込めていない様子だった。
自分が犯した罪も、これから辿る運命もまだ何も知らない。
「よかった。間に合ったようね」
もう一人の半人間がそう言うと、酒井は屈託の無い顔で返した。
「やあ、やあ。偉く遅かったじゃないですか。裁判は終わったのですか」
わたしは一瞬、不思議そうな顔をした。
「あら、こちらは?」
「旅は道連れ。いや、本当に道連れになりましたな。こちらの人は半人間。正真正銘の半半人間ですよ」
半人間はわたしのことを、そう言って紹介した。
「こんにちは、たった今、紹介にあずかった、わたしが半人間です」
わたしも悪乗りをしてそう答えてやった。
しかし、返事は返ってこない。
一瞥をしたきり、半人間の横に腰を降ろす。
「これで半人間が三人出揃いました」
なるほど、新たな半人間のご登場というわけか。
こうなったらもう、トコトンまで付き合ってやることに決めた。
「そちらの方はなんて言ってるのですか? 自分は半人間だと自覚していると?」
新しい女の半人間がそう言って、怪訝な視線をわたしに向けた。
「自覚はないと思いますよ。自分が半人間であることを、まるで覚えていない。いや、まあ。それが普通なんですが」
なにを言ってるんだろう?
「でしょうね。じゃなければ、そんな平気な顔をして座ってられないですからね」
ちょうどいい機会だ。
この二人の半人間が話すことを、暫くは黙って聞いていよう。
いづれボロを出すかもしれない、と、そう思った。
────ユラユラ心地よく揺れる振動。
わたしの体は、重石をつけられたように一旦大きく前のめりになり、傾き切ってから停止。
そしてまた、背もたれに押し付けられるように、ストンと体が元の位置に戻った。
電車が急ブレーキをかけ、止まった。
どうやらわたしは、本格的に眠ってしまっていたようだ。
目を覚まし、わたしは今しがた見た夢のことを思い出そうとした。
しかし、どうしても思い出せない。
なにか重要なことのようにも感じるのだが。
声は依然聞こえてきた。
あれからずっと半人間と、もう一人の女半人間は話を続けていたようだ。
前からの知り合いのようだ。
たかが夢だ。
まあいい。
思い出すのを止めたわたしは、いいことを思いついた。
まだ眠った振りをしておこう。
わたしが眠っていると思い、この二人は油断して、ポロッと溢すかもしれない。
もしかすると、この馬鹿げた半人間ごっこの真相を聞けるかもしれない。
そう思ったからだ。
「ここでお別れです」
ポンっとわたしの肩を軽く叩いた。
「起きてるんでしょ。もう眠った振りはしなくて結構です。こんなことを言うのもなんですが……短い間でしたが、楽しかった──。
ですよ? と言うのも変なんですが。
これから大変だと思いますが、まぁ頑張って……ください、とも私の口からは言えませんしね」
さて困ったな。
半人間は嘘を言ってる顔つきではなく、心底どう言えばいいのか困った様子だった。
ここで、あることに気づいた。
そういえば、この電車に乗って、初めて駅に停車した。
ここは一体?
「さ、行きましょう」
立ち上がった女半人間が、半人間を促す。
「ああ、そうですね」
促された半人間も立ち上がり、そのままドアのところまで行こうとして立ち止まり、振り返った。
半人間は、わたしのことを、心の底から憐れんだ目付きで見つめて、最後にこんなことを言い残し立ち去ろうとした。
「わたしはここで乗り換えです。あとは電車に揺られて、次の全人間へ、また戻るだけです。最後に私のことを思い出して欲しかったのですが、裁判を受けていないあなたには思い出す道理もない。しっかりと罰を受けてきてください」
「ちょ、酒井さん? 行きましょう」
この半人間は酒井という名前らしい。
いや、それよりも。
「どういうことなんですかっ。全人間だとか、また戻るだとか、裁判? それはどういったものなんですか? わたしにも分かるように説明して下さい」
「わたしも降りますよ。待ってください!」
席を立ち、既にホームへと降り立った二人の背中を追いかけた。
が、しかし。
どういうわけか、わたしはこの電車を下りれないようだ。
なぜだか分からないが、下りようとすると、目に見えないなにかの圧に押されて、どう頑張ったって一歩も前に進めない。
まるで、ドアを境にして、透明な壁に押し返されているようだ。
その時、女半人間が、振り返った。
ああ、そうだったのか……。
その人物の薬指には、見慣れた指輪がはめられていた。
わたしを冷たい目で見据えて、なんとも言えない表情をしていた。
「指輪……してくれてたんだ。ありがとう」
その人物は鼻の頭にシワを寄せて、軽蔑の眼差しでわたしを見た。
バタン! とドアの閉まる音がして、電車はゆっくりと走り出した。
ホームの切れ目を通過した時、わたしの視線が届いていないと思ったのか、酒井はその人物の肩を抱いていた。
なんて理不尽な……。
─おわり─
いえ。続きます…。