16 展望
朝靄が掛かった街並みを取っ手のない窓からぼうっと見詰める。
寝間着のような格好のままベッドから半身を起こし、遠くに見る景色の微かな変化をただ目に映す作業。
もう長いことこうして過ごしてきた気がする。
「よっ、ユキちゃん」
誰かが私のことを呼び、窓に見る風景を手の平がチラチラと疎らに散らして見せる。
「どちら様ですか。どこかでお会いしましたか」
「何言ってるの。私だよ私。もう忘れちゃったの?」
とても綺麗な顔。どこか遠くを見詰めているかのような凛々しい切れ長の目――今は片方が白い眼帯に隠れている。
「……あ、あぁ……!」
「ね、思い出した? っていうかユキちゃん、こんなところで何やってんの?」
時に毒を吐く口元も引き結べば瑞々しく、中性的な顔立ちは短く切り揃えた漆黒のショートカットも相まって一国の王子様を連想させる。
ぐるりと頭に巻いた包帯から察するに、どこか中東辺りの皇太子を演出したものに違いない。
「滝代!」
形振りなんて構っていられなかった。
仮に幻でも何でもいい。どんな形であれ私のために会いに来てくれたことが堪らなく嬉しい。
ベッドから飛び移るようにして抱き付いた私を滝代は力強く受け止めてくれる。
「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」
「ははっ。相変わらずだね。なら私もいただきます」
もう絶対に逃がすまいと足まで絡み付いたまま滝代の胸元に顔を埋めて深呼吸を繰り返す。
すかさず仕返しとばかりに私の首元に滝代の唇が触れ、うなじの匂いを存分に嗅がれた。
やっている行為はどうあれ滝代の確かな温もりを感じる。
「本物の滝代だぁ……あぁ、生きててよかったぁ」
「大袈裟すぎでしょ。それよりユキちゃん、なんだか顔色良くなった?」
感動の余り涙と一緒に思わず鼻水や涎までじゅるりと胸元に付けてしまい「やべっ」などと思っていると、それを見透かしたかのように滝代の両手が私の頬を左右から挟み正面を向かせた。
滝代の指摘はもっともで、私の健康状態は措置入院前よりも格段に良くなっていた。
味がしないからという理由で家ではほとんどセルフネグレクトのような状態だったこともあり、丁寧に管理された病院食は素晴らしく健康に良い物らしかった――匂いや食感のレベルは著しく低かったが。
「や、ちょっと! それはさすがに恥ずかし――あ!」
不意に顔を寄せてきたかと思うと、あろうことかその唇から舌が伸び、私の鼻や唇に付いた様々な液が余すことなく舐め取られる。
「ふぁ……もうお嫁に行けないっ」
「どうして? ユキちゃんは私の嫁でしょ?」
「――くはぁー、言ったかんな! 言質取ったかんなぁ!? 逃げようったって逃がしゃしねぇかんな!!」
先よりも強く絡み付く私を軽く持ち上げた滝代は、図らずもお姫様抱っこの状態となった私の唇を奪った。
「お姫様、この後お茶会などはいかがでしょうか?」
「よくってよ――。面子は?」
「いつもの。オガちゃんとイッカにはもう伝えてある」
「オガ先輩も来るの!? 楽しみーっ!」
私の言葉を受け、ふと何かを思い付いた滝代はスマホを取り出し一つの画像を私に見せる。
「誰これ」
「誰だと思う? ビックリしたでしょ」
そう言われても記憶の中に思い当たる人物が存在しない。
どこかのラーメン店のカウンターで滝代と肩を組み、スッとしたキツめの美人顔で睨みを利かせたいかつい女。
滝代に負けず劣らず均整の取れた顔やスタイルはまさにクールビューティーの代表格。
二人とも同じ制服を着ていることから、学院の生徒ということだけは分かる。
「誰この綺麗なお姉さん。紹介してよ」
「やっぱり分からないかぁ――。正解はオガちゃんでしたー。なんかラーメンダイエットに成功したんだって」
「ラーメン!? じゃなくて、本当に!? これオガ先輩なの?」
ヒトってこんなに変われるんだ、と驚きを通り越して感動すら覚える。
ボリュームだけで言っても確実に半分以下に減ってるぞ。
ってかなんだその魔法の言葉は。ラーメン食ったら太るだろうが普通。
「ラーメンの種類変えたら『意外とイケる』ってなって、色々試してる内に『あっさり系』に目覚めたんだって」
「あーっ、ただの『こってり系』食い過ぎだったぁ!」
もう一度画像を確認してみてもやはり別人にしか見えない。だが、よく見てみると以前私に鍵開け技術をレクチャーしてみせたときの達人然とした面影があるようにも見える。
「ちなみに小雀先輩って、私のこと何か言ってた? 怒ってたりしない?」
「うん、言ってたよ。すっごく怒ってた。『もーっ、ぷんぷんっ』だってさ」
それはマジで信用していい言葉なんだろうか。ふざけているにしても、余りにも普段の小雀先輩すぎて逆に怖くなってくる。
「猛烈に憤憤状態だから、お前殺すね」みたいな意味だったらどうしよう。
「イッカから聞いたよー。あのカフェに行ったんだって? なんで誘ってくれなかったの?」
「いやだって、その時『生きるか死ぬかの狭間』にいたんだよね。無理でしょ」
「『追善供養』とか散々言っちゃってさぁ。まぁ、プリン食べなかったから許すけど――。という訳で、今日はいつものカフェで決まりね」
「ちょっと待った」
話の流れから行きつけのカフェに即決しそうになるところに敢えて待ったを掛ける。
コーヒーや甘味を食べられるのは別に駅チカのお洒落なカフェでなくとも十分に堪能できる。
「山猫で十分でしょ」
「でも甘い物は絶対こっちのが種類あるよね」
「くっ! でもアイスは!? 山猫お手製のアイスクリームは絶品だよ」
「え? 普通にこっちにもあるよ、お手製アイス。しかもプリンにトッピングできるし」
衝撃的な発言の詳細を求めると、最近のカフェでは飲み物は言うまでもなく、スイーツの種類までもが充実しており、しかもトッピングにより様々な組み合わせが楽しめるのが当たり前だという。
「私の一押しはなんと言っても『固めのプリン』。ぐっ、きゅぷっとスプーンを刺したときの頼もしさと、口に入れたときに濃厚な卵とカラメルの風味が弾力のある身と一緒に噛む度にホロホロと崩れて混ざり合っていく楽しさがなんとも言えないんだよねー」
更に信じ難いことに生クリームやアイスのトッピングに加え、『アラモード』まで存在する。
「ま、まぁ、今回はその行きつけに付き合ってもいいかなぁって」
正直なところアイスクリームがある時点ですでに折れ掛けていた。アイス抹茶ラテがあるのは織り込み済みだが、更に『固めのプリン』があるというのだから、これはもう完全にこっちが折れるしかない。
なんと言っても『固め』というのが凄くいい。
「あのさ、一応私『措置入院中』なんだけど、外出とかってどうなの?」
「もちろんダメだよ。ちょうど私も抜け出してきたから」
言下に滝代の足はすでに病室を抜け、階段にまで差し掛かっている――私をお姫様抱っこに伴う恥辱に晒しながら。
「ち、ちょっと待って! せめて降ろしてくんないっ!?」
「だーめ。ユキちゃん足遅いしすぐ疲れるじゃん。それにほら――」
まるで周囲に私たちへの祝福を煽るかのように優雅に歩んでいた先までの余裕はどこへやら。
今となっては措置入院というペナルティを課せられている私に「外出禁止」なる掟を知らしめるべく追ってきた看護師たちを振り切るので手一杯の状況。
「おいこっちだバカども! 遅れてきたらぶっ殺すからな!」
相変わらずの物騒な物言いが幸いして瞬時にオガ先輩だと分かるクールビューティーが、緊急搬送用の通路から身を乗り出して大きく手招きしている。
『発破が必要ならいつでも言ってねー! スイッチ一つでバーンだから!』
「いらねぇことすんじゃねぇぞマッド女ぁ! オメェは黙って私たちを誘導してろ!」
オガ先輩の胸ポケットにあるスマホから小雀先輩ののんびりした声が漏れ聞こえてくる。
状況は至って最悪だが、三人とも元気そうで何よりだ。
「まさか自転車じゃないよね!?」
「ううん、今日は走り! たまには自分の足で動かなくちゃね!」
白馬から自転車、自転車からまさかの駆け足へとグレードを下げた王子様。
いや、むしろそれが本来の滝代のスタイルなのかもしれない。
臥薪嘗胆の日々を送ってきた彼女には地道に地を踏み締める姿が似合う。今更になって何もなかった過去に戻るなんて屈辱的な真似はできない。それは何となく私にも分かる。
未だ夏の名残を随所に散りばめた瑞那和の街並み。
バカみたいに息を上げながら駅まで続く路地裏を疾走する女生徒たち。
「ふふっ、あはははははっ!」
「なに笑ってんだオメェ! ふっ、マジでわけわかんねぇ!」
約束の場所までただひたすらに走り続ける道程に、彼女たちの笑い声が美しくこだまする。
内二名は犯罪者予備軍。ややもすると唯一の常識人であるオガ先輩まで世紀の大泥棒に成り兼ねない。
今頃女学院では文化祭に向けて着々と準備が進められている。
きっと私たちが立つ舞台はそこにはない――措置入院にサボり、物臭に無関心。
もしかしたら明日の一面を滝代と私の記事が飾るかもしれない。もしそうなれば益々文化祭どころではない。
良くて停学処分、最悪の場合退学処分の可能性も十分ある。
それでも私たちは前へと進まなくてはならない。
前のめりにバタバタと進み続ける「生」というバケモノにも後ろ髪はないのだ。
その時々を目一杯に楽しむことこそが生きる意味なんじゃないだろうかと今は思う。
「死」はその延長上にあればいい。
目下私のすべきことが分かった。
これから先もずっとこの人と付き合うことを見込んで、私は体力を付けるべきだ。
三食栄養のある物をしっかり食べて、効率的な筋トレなんかをしてもいい。
でないと私はこの町のみんなから指を差され、恥辱で頭がどうにかなってしまいそうだ。




