14 再清算
駅から南方向に行った住宅地の中にはまだ日のある内から怪しい光を放つ夜店がある。
外壁は周囲の家々に寄せた白を基調としているが、一度入口を覗けば『LOVE』と書かれたピンク色のネオンが光り、まだ九月なのにクリスマスの残骸みたいなイルミネーションを巡らせた窓が迎えてくれる。
「こうしてくっ付いてるとぉ、なんだかドキドキするねー」
「ドキドキはするっす。でもちょっと離れてもらえないっすかね?」
その一室を借りた小雀先輩と私は渚後輩が誘い出したタッくんが訪れるのを待ち構えている。
外観のこじんまりとした雰囲気とは異なり、内部は濃厚な南国のエロスが漂っていて、部屋中に充満した甘ったるい香の煙が一層中にいる者の思考を鈍らせる。
入ってみれば意外と広いクローゼットは小雀先輩の危険な匂いで満ちている。恐らく様々な化学物質や道具を作る過程で自然と染み付いた香りなのだろうが、これがどうにもまったく嫌な匂いがせず、むしろ二、三周回って「芳しい」と錯覚させる。
やんわりと拒否られた先輩は「ちょっとくらい」と拗ねた様子を見せるものの、ウォークインと呼ぶには狭いまでも、二人入ってもこれだけ余裕があるクローゼットとなればどうにも「そういう理由」を意図して設計されたのかと勘繰りたくもなる――狭い空間で致すことで満たされる性的なナニか。
設計と言えば「設計の鬼」と私が勝手に崇めているオガ先輩だが、今や『失踪した生徒たちの生き血』とまで評された噴水の件での謹慎処分も明け、自由の身となっている。と同時に、滝代が起こした事件の生き残りである「クソ野郎」のことを市街中血眼になって探し回っているらしい。
もしもポンッと辻堂辰巳がオガ先輩の前に現れたのなら、問答無用でたちまち引き殺され、一も二もなくミンチにされることだろう。
小雀先輩いわく、それでは全然面白くない。大切な人を弄んだ非道な輩には地獄すら生温いと思えるほどの苦痛を刻み付けてやりたい、とのことである。
これには無論私も賛成で、こってり濃厚ラーメンを好んで食べるとは思えないほどサッパリしたオガ先輩に任せては、それこそあっさりと殺されてしまうと思い至り、敬愛する先輩から情報を求められても敢えて知らぬ存ぜぬの態度を押し通しているという訳だ。
『本当にICCAとはもう会ってないんだよね?』
『うん。このTHCをもらう時に少し揉めちゃってね。もうずっとブロックしてる』
小雀先輩が用意した小型のインカムを通して外部にいる二人の会話が聞こえてくる。
「殺したいほど憎い」と言った渚後輩はその対象と案外上手く対話を進め、このラブホテルまで誘導できたようだ。
姉の梢を心底愛している妹の渚。しかし当の梢は渚とも幼馴染である辻堂辰巳に密かに恋心を抱いている。さらに悍ましいことに、その辻堂が梢ではなく妹に劣情を催している。
その負のサイクルを断ち切るため、渚後輩は殺意に耐えながらも必死に演技を続けている。
『そっかぁ、よかった。正直、ICCAはイカれてるよ。たぶん今でも俺を狙ってるんじゃないかな』
『考え過ぎ。他のことは置いといて、今日は楽しもうって言ったじゃん』
『そうだった。はぁ、でもまさか渚がもうTHCを使ってたなんてね』
廊下に響く足音が扉の前で止まり、古いディスクシリンダー錠がカチャリと回る。
クローゼットに空いた格子状の隙間から二人の様子を観察する限り、今のところまったくギクシャクした感じはない。むしろ興奮冷めやらぬ調子で渚後輩に抱き付こうとした辻堂が手の平を前に制されている有様で、見ているこちらまでがもどかしい気分になっているくらいだ。
さすがに制服でラブホに入る訳にもいかず、小雀先輩が用意した如何にも遊び慣れした女が着ていそうな露出の多い衣服をまとった渚後輩が案外良い雰囲気を醸し出している。
根が生真面目な彼女が、普段からは微塵も感じさせない要素を前面に押し出すからこその威力に違いない。元々かなり整っている部類の顔立ちもよく手伝っている。
ちなみに小雀先輩と私は商店街の年季の入ったアパレルショップで購入したシミラールックを着こなした少し残念なバカップルを演じている。
「先にシャワー浴びてきたら。その間に用意しとく」
言下にTHCべイプをチラつかせた渚後輩は若干前屈みのまま浴室を目指す辻堂に笑顔で手を振りベッドに腰を落ち着けた。
「お疲れ渚ちゃーん。よくできましたねー、エライえらいっ」
クローゼットから抜け出るなり、扉に付いた鍵のサムターンをテープと溶接器のような物で斜めに固定した小雀先輩は少し泣き出しそうな顔をした渚後輩の頭を優しく撫でて胸中に迎え入れた。
「もう少しの辛抱だからねー。あと少しだけ我慢がまん――。そうすればすぐにアイツをぶっコロ、分からせられるから」
トントンと一定のリズムで後輩の背中を撫で摩りながら、あたかも自分に言い聞かせるようにゆっくりとした口調で囁く。
「――お待たせ」
浴室から顔を覗かせた辻堂がバスローブをまとって寝室まで戻ってくる。
間一髪で再びクローゼットに収まった我々は不安顔を拭い去ったばかりの渚後輩の動向を見守る。
「なにそれ、全っ然似合ってないね。って言うかダサい」
緊張感を胡麻化すためなのか、いきなり本音とも取られかねない感想を吐露する後輩の姿に思わず唾を飲み込む。
「っはは、サイズが合ってないのかな。それより、もう準備できてる? もう待ちきれなくってさ」
何の躊躇もなくベッドに乗り上げた辻堂は緩く巻いたバスローブを開けさせながら、隅に座す渚後輩に向かってまっすぐ手を伸ばした。
後輩が手にするTHCべイプが目的なのだろうが、限界まで手を伸ばした拍子に股間に空いた隙間から屹立した一物が頭を覗かせる。
「はいっ、そこまでー。残念賞でぇーっす」
「誰だっ――!?」
両手に持った無針注射器が剥き出た辻堂の首と胸を捉え、中の液体が容赦なく注入される。
CBDと比べ幻覚や興奮作用が強く依存性も高いことから国内では違法とされているTHC。本来ならば煙にしてじわじわと楽しむはずだった物が、今では明らかに中毒症状を起こすであろう量を液体のまま瞬時に押し入れられている。
「くぁあっ! あぁっ!」
見る見るうちに恍惚とした表情を浮かべる辻堂の背後に回り、でき得る限りの憎悪を込めて四つん這いの股から剥き出た一物を本気で蹴り上げる。
「んぁがぁあああっ――! おぇええっ! かはっ、かはぁっ!」
両手で一心不乱に股間を押さえ込む辻堂は激痛に抗えず嘔吐し、体をがくがくと震わせながらヘコヘコと何度も腰を前後に揺さ振っている。
「ユキちゃーん、何やってるの? いきなりそんなにしたらすぐ気絶しちゃうよ?」
「……取らないと。切り取らないとダメですよ……」
私の思考は至ってクリアだ。辻堂にした行為も、それについて先輩が苦言を呈しているのも理解できる。
しかし、股間を露わにした男を眼前にした瞬間、意思とは関係なく湧き上がる衝動が抑え切れず行為に及んでしまった。
その衝動は、さながら排泄欲と同じように思える。一時的には我慢できるが、限界を迎える頃には最早自分の意思など遠く及ばない領域へと至っている。つまり、体機能維持としての「無」と排泄欲が満たされた際の「快楽」への希求である。
私はいま、無に憑りつかれ、強姦男が悶絶する姿を前に悦に入っている。
「はぁ、仕方ないか―。ユキちゃんが楽しいならそれもアリだねー」
小雀先輩は鎖の拘束具を男の手足に掛け、渚後輩と共に左右に引きながら男の体をベッドの上に大の字に開いた。
私は鞄から取り出したナイフを携え未だにバタバタと藻掻き苦しんでいる男を見下ろす。
「くぅっ! やぁ、やめろぉ……!」
これから私が何をしようとしているのか察したのか、男は更に抵抗の動きを激しくして拘束から逃れようと目論んだ。
近付くごとにジャラジャラとなる鎖がピンと張り、男の動向が手に取るように分かる。
薬の影響なのか、こんな状況にも関わらず男のそれは天を衝くかの如く屹立し赤く張り詰めている。
「なにを、しようとしているんですか……?」
訳もなく男の横面を蹴飛ばして靴のままベッドに上がる。それをどう固定したものかと足先で突いていると、小雀先輩が銀色に光る金属製の器具でそれらに根元からゴム製の輪を掛け器用に締め上げてみせた。
「どうせなら全部いっちゃいなよ。袋だけ残るのもなんだか寂しいでしょ?」
そう、確か去勢プライヤーだ。あの日の夜に滝代が呟いていた物。
――ああやって使うんだ。てっきり金属製の器具で直接鬱血させるのかと思ってた。
男の前で跪くことはしない。立った状態のまま、稲穂を刈り取るように腰を屈めて腹部擦れ擦れにナイフの刃を入れていく。
「うっ……ぁっがぁああああああ――!!」
「うるさっ」
刈り取った物はそのままに、急に叫び出した男が余りにもうるさくて思わず顔面を何度も踏み付けてしまう。
「……うっ……うぅ……」
「せ、先輩! もうやめてください!」
気付けば、渚後輩が私の半身に抱き付くようにして動きを止めていた。
「お前、鵠召か……? 鵠召だろぉ!?」
ベッドから床に着地して間もなく、私から一歩離れた位置に佇む女子を見て不意に言葉が口を突いて出てくる。
「ッテメェ、散々逃げ回りやがってよぉ!! そのイラつく顔ぐちゃぐちゃにしてやんよ!」
「ひっ! やめてぇっ!」
伸ばした腕が空振り、苛立ちの元凶がいた壁に頭から激突する。
痛みはない。しかし避けられた悔しさによって更に苛立ちと謎の怒りが増幅される。
「大人しく殺されろや! テメェは死ぬべきなんだよなぁ!」
「――え、なんで開かないの!? どうしたらいいの!?」
「……ぷっ! あははははっ!! ユキちゃんおもしろーい!」
血の滴るナイフを前に突き出しながら、先から扉をガチャガチャさせる女子へと着実に近付いていく。
ベッドの上で爆笑している見るからにイカれた女はこの際どうでもいい。
「渚ちゃーん、いくらやっても無駄だよぉ?」
「どういうことですか!? 早くここから出ないと! あの人に殺されちゃう――!」
確実に仕留めるつもりで突進したが、間一髪のところでイカれ女が女子の腕を引いたのか、刺突の位置がずれて鉄扉の表面がガリッと削れる。
「おぉい、邪魔すんなよなぁ。テメェもぶっ殺されてぇのか?」
「はぁ。ユキちゃん、少し落ち着きなよ。先ずはあの男を殺さないとでしょ」
「――小雀先輩! 逃げてぇっ!」
初めて感じる肉の感触。
まるでナイフが体の一部にでもなったかのように柔らかな内部を掻き分ける感覚や溢れ出る温もりがゆっくりと腕を通して全身に伝わってくる。
「くふっ……ユキ、ちゃん……これって、追善供養になるのかな……?」
ナイフを腹部に立てたイカれ女が訳の分からないことを呟いている。
すかさず刃を引き抜き、カーテンで閉め切られた窓の方に逃げたアバズレ女の方に足を向ける。
「イヤァ!! こっちこないでぇっ!!」
「へへっ、この女面白れぇな? 行くに決まってんだろ」
『――お客様ぁ! いかがなされましたかぁ!』
一歩踏み出した途端、けたたましく扉を叩く音と共に男の声が響いてくる。恐らくこれまでの騒音を聞きつけてきたのだろう。
アバズレ女は窓を背にしてこちらの動きをじっと見ている。
男が扉を破って乗り込んでくるのも時間の問題――このまま逃げ続けられては面倒だ。
「なぁ、鵠召ぁ。テメェが手広から手を引くなら、見逃してやってもいいぞ」
「……前にも言ったけど、私、先生とはそういう関係じゃないって――」
「嘘つくんじゃねぇぞごらぁ!! ――あぁ、もういいや。ゼッテェ殺す」
怒りで血が上った頭にはもう思考する力は残されていない。
目の前の女を殺す――その一心が本能に変わる。
殺した後の爽快感を味わいたくて無の境地から生み出されたトリッキーなステップで女を翻弄し、確実に奥の壁へと追い込んでいく。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
「助けてぇ!! 誰か、助けてくださいぃ!!」
『――そこ、どいて!!』
窓の外から新たな女の声が響いたかと思うと、薄明りに浮かぶ影がカーテン越しにゆらりと動く。
その直後、凄まじい破裂音と共にガラス片が部屋中に飛散する。
生温い外気がムッと部屋に入り込み、僅かにカーテンを揺らす。
狭いバルコニーに立った女は腰丈ほど柄の長いハンマーを携え、ガラス片が散乱する部屋へと踏み込むなりブツブツと何かを呟き始める。
「なんナンだテメェ! 関係ネぇヤツはスッコンデロぉ!!」
「――説一切法清浄句門所謂、妙適清浄句是菩薩位、慾箭清浄句是菩薩位、觸清浄句是菩薩位、愛縛清浄句是菩薩位、一切自在主清浄句是菩薩位、見清浄句是菩薩位、適悦清浄句是菩薩位、愛清浄句是菩薩位、慢清浄句是菩薩位、荘厳清浄句是菩薩位、意滋澤清浄句是菩薩位、光明清浄句是菩薩位、身楽清浄句是菩薩位、色清浄句是菩薩位、聲清浄句是菩薩位、香清浄句是菩薩位、味清浄句是菩薩位、何以故一切法自性清浄故般若波羅蜜多清浄――」