中学(憧れと現実)
4月から、約1時間かけて電車に揺られ通学した。
眠い…。。4月でも朝晩はまだ冷え込む。
朝が弱い私には、きつかった。。
でも、ホームに行けば幼馴染や、同じ中学に通う友達がいる。
塾の時は、ライバルでも子供だから、塾の思い出や、先生のマネをして電車を待つ。
他の塾に通っていた、友達も自然と仲良くなっていった。
一番ともいっていい程遠くから通っていたので、学校が近づくにつれてかつてのライバル達
いや、友達が乗って来る。
何より嬉しかったのは、入学して数日後にたっちゃんが、声をかけてくれた事。
やっと近づけた。
その時は彼女になりたいとか、付き合いたいとか感情はなかった。
あくまで、憧れの人。。身近なアイドル。。
まだ、子供だから男女関係とか分からなかったのかもしれない。
入学式は異常だった事を覚えている。
なんて表現すればいいのか分からないけど…
軍隊的な感じな。
『目指せ東大』って理事長か校長が言ったのだけは覚えている。
朝、理事長か校長かな?とりあえず速記するの。
ありがたい言葉をね。
昔はだるかったけど、以外に役に立つことでもある。
瞬時にメモを取る癖がある(笑)
バイトでも、社会人でも役に立ったし。
日常生活でも、自分が後から分かる程度には取れるからね。
東大生のノートって本が一時期流行ったよね?
なんか繋がる気がする…
神童(幼馴染)のノートもキレイで、これも中学入ってもお世話になった。
帰りの電車の中で予習・復習するんだけど、私のノートは???な箇所がたくさんあって…
カバーできる以上に、先生が言った何気ない言葉もメモしてあった。
それが、意外とテストに出るんだ(笑)
やっぱ…『ささやく』んだろうね。
今、こうやって書いていると神童のノート売れるんじゃないかって…
いけない。。人は欲をかいてはいけないね☆
通学に慣れるのがまず大変で、土曜日も午前中だけだけど学校に行っていたから、土曜日地元に帰って友達と遊んで、日曜は寝てる生活だったな。
勉強は、神童がいたからなんとかなったしね。
中1は慣れる事が大変過ぎてあっという間に過ぎてしまった。。
でも、中学で他の地域の子と仲良くなれて楽しかった。
ちょっと広がった気がしたんだ。
東京や横浜には、ママが土日買い物に行ったりしていたから、よく行っていたけど。
自分の県でも、知らない事がたくさんあって。隣の県にまで、家族以外で遠征する事はなかったから。
毎日が冒険みたいだった。
私が中1の時は、父は意外と落ち着いていたんだ。
弟が小5で、父の母校の受験勉強していたから、やっぱり自分の母校目指すって嬉しいじゃん。
応援体制が凄かった。
一緒になって、塾の宿題解いたり。
やっとまともになったのかなって?
みんな安心したんだ。
でも一瞬だったけどね。
たっちゃんも、距離が近づいたと思ったのも一瞬だった。
サッカー部だったから、私より朝も早く帰りも遅い。
あまり触れ合う機会がなかったけど、たまに廊下やホームですれ違ったり、文化祭や体育祭などは一緒だから、ガンミしてた(笑)
ご拝見できるだけで、今日はラッキーdayみたいなね。
単細胞なので(笑)
神童(幼馴染)の一人、ユカ飽きれてた。
もう一人はケイゴ。サッカー部だから、たっちゃん情報くれたり。
ユカを無理やり誘って、ケイゴの応援とか行って試合観に行った。
一番知らなくていい情報は、ケイゴが隠してくれたんだ。
夢から覚めないように。
中学なので男女交際厳しいの。
なので…全然知らないんだけど。。
冬に、ユカとか地元の友達と遊んでたんだ。
そしたら、たっちゃんが女の子と手を繋いでた。
中1の時に、失恋した。。
女の子は、たっちゃんと同じクラスメイトだったらしく、私達の地元なら遠いから学校にもバレないからね。
ケイゴとユカは知ってたんだって。。
でも、二人は黙っててくれた。
そして、みんなに慰められた。
ハーゲンダッツ好きなだけ食べていいからって(笑)
ポッカリ空いた穴は中々埋まらなくて…中3なら彼女いるよな~的に思っても。
思えなかった。。
逆に、同じ中学にいるから彼女ともすれ違うようになり…辛くなる。。
早く高等部に上がってほしかった。
あんなに崇拝していたのにね(笑)