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71話 -川の流れのように-

 


「あの時俺は実験台を探していた。そんな中で奴隷商でお前と出会ったな、モルン。病気の妹と一緒に檻の中に入っていたお前を見つけて、俺は自分と同じくらいのお前は実験台にピッタリだと思った。そこで俺はお前に取引を持ち掛けた」


 現実感を感じない、まるで真っ白な靄の中にいるみたいだ。


「俺は言った「実験台を探している」とな。そしてお前が実験台になってくれればその謝礼として300万ゴールドを払う、しかしお前自身は恐らく死ぬことになるだろうと言った。しかしもし死ななかったら500万ゴールド払うとも言ったな、どっちにしても金は払うし奴隷からは解放するからそのあとは好きにしていいとな。そして妹のために病院を手配してやると約束してどうするかお前に聞いた」


「僕は引き受けました」


 声が詰まって詰まってようやく言うことができた。


「お前は死ななかった。それは俺の予想に反していたが実験の結果としては大成功だった。だから俺は約束通り金も支払ったし病院も手配した」


「そうです。サブレさんはちゃんと約束を守ってくれました」


「だからそれでもう終わりだ」


 冷たい言葉。


「もうこれ以上お前と一緒にいる必要はない。お前が手に入れたスキルは俺が欲しくて欲しくたまらなかったスキルだ。お前には失望した、もう二度と俺の前に姿を現すな」


 振り返ったサブレさんが背を向けて去っていく。


「サブレさん!!」


 背中が遠ざかっていく。


「サブレさん!!」


 いつの間にか地面に座り込んでいた僕は立ち上がろうとしたけど体に力が入らなくなっていて顔から地面に倒れ込んだ。


 土と涙の味。


 嫌だ、絶対に嫌だ。このままサブレさんに捨てられて一生会えなくなってしまうなんて、もうサブレさんと一緒にいられなくなってしまうなんて、もう話すことができなくなってしまうなんて、もう一緒にご飯を食べることができなくなってしまうなんて、もうなにも教えてもらえなくなるなんて、もう一緒に笑えないなんて、もう驚かせてもらえないなんて、もう名前を呼んでもらえないなんて。絶対に嫌だ。


 スキルを使う。


 下腹を意識して強くそう思う。去っていくサブレさんを引き留めるためにあのスキルを使おう。サブレさんを止めるんだ。


 強烈な頭痛、眩暈、寒気が一瞬に、一気に押し寄せてきて死んでしまうんじゃないかと思った。


 けど止めようとは思わなかった、これに耐えなければもうサブレさんと二度と会えなくなってしまうと思った。


 僕はサブレさんの目の前に立った。


「お前、いつの間に俺の前に回ったんだ」


 こんなに驚いているサブレさんを見るのは初めてだ。いや違う、あの時もそうだった。サブレさんが僕の体に文字を書き込んだとき、体が捩じ切れるんじゃないかと思う苦しみが襲ってきた。


 死ぬと思った。


 けど死ねないと思った。ウミカを残して自分が死んでしまうわけにはいかないと思った。諦めたら死んでしまうことは分かっていた、諦めた瞬間に体の中にある白い塊がバラバラになってしまって、それが死ぬっていうことだとわかっていた。


 だから耐えようと思った。苦しくて苦しくて今すぐに手放してしまいたい痛みを掴んでいつまでも耐えよう、そう思った。


 何も見えない暗闇の中でずっとずっとバラバラになりそうなのを頑張って耐えていた。何もわからなくてずっとずっと我慢していたらいつの間にか少しずつ痛みは弱くなっていって消えていった。


 そして気がついたら僕は血みどろの地面の上で死が遠ざかっていったのを知った。今のサブレさんの驚いた顔は開いた扉から差し込んできた朝日の中で見た時と同じくらい驚いていた。


「サブレさんのスキルを泥棒してしまってごめんなさい。僕の体の中に入ったスキルはもう取り出すことはできないと思います。ごめんなさい」


 頭が痛くて視界がぐるんぐるん揺れる。


「だったら!だったら僕がサブレさんの代わりにこのスキルをサブレさんのために使います、だからどうか、どうか許してもらえませんか。どうか、どうかお願いします。僕はこれからも絶対にサブレさんがそばにいて欲しいんです、お願いします」


 体が寒くて熱い。


「今初めて使いました。これはウミカの時間をゆっくりにするスキルです、僕はこのスキルも全部サブレさんのために使います。もしウミカがサブレさんのことを恨んでいてサブレさんに何かしようとしても僕がこのスキルを使ってウミカを止めます!ほかのスキルも全部です、全部サブレさんの言うとおりに使います!だから、だからどうか僕のことを赦してくれませんか、お願いします、お願いします」


 足がどうしようもなく震えて倒れ込んだ僕は、地面に頭を擦り付けて頼んだ。どうにかして許してもらいたくて頼んだ。


「見ただけでコピーできるのか」


「サブレさんどうか許してください、お願いします」


 また地面に頭をつけようとしたとき、額に感じたのは柔らかさと暖かさだった。


 眩暈と頭痛でどうしようもない頭が手の平によって支えられた。大好きなサブレさんの手のひらによって支えられた。


「本当に俺のために使ってくれるんだな?」


 その言葉は僕にとって光。


「はい!本当です」


「お前は何があっても俺の味方だな?」


 僕の答えは決まっている。僕とウミカがふたりとも無事でいられるのはサブレさんのおかげなんだ。


「はい!味方です」


「わかった」


 僕の体はサブレさんによって引き寄せられた。


「お前がそこまで言ってくれるなら話は別だ、さっきの言葉は全部取り消させてくれ。頼むモルンこれから俺の傍で俺のために力を使ってくれ、もしお前が俺のためにその能力を使ってくれるなら、きっと俺は俺の夢を実現できる。お前のことも悪いようにはしないから俺に任せておけ!」


 熱い抱擁。


 嬉しい、僕は許されたんだ。よかった、よかった、よかった。ありがとうございますと言いたいけどなぜか言葉が出てこない。嬉しくて嬉しくて涙と鼻水が大量に出てくる。



 激しい頭痛と眩暈、寒気と熱さ、全身の痺れ。初めて使ったスキルは確実に僕の体に代償を与えていた。体がぐるんぐるん開店していて今自分が立っているのか、座っているのか分からなくなっていく。



 引き寄せられた体の揺れは、体に対するスイッチだった。


 自然に。


 川の流れのように自然に。



 サブレさんの背中で。


 胃の中にある全てを、僕は一気に吐き出した。



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