63話
「ウミカ!良かった、無事だったんだ」
暗がりの路地裏からまるで幽霊みたいな足取りで出てきた妹の姿にほっとして僕は涙が出そうだった。
「うん。全然大丈夫だったよモルン、ちゃんと終わらせたからもう心配ないよ」
「そう、よかった。えーとサブレさんは?サブレさんも無事?」
「もちろんあの人も大丈夫。きっともうすぐ来ると思う」
「よかった。聞いた?もう大丈夫だってよコロネさん」
「コロネ?」
「ウミカが助けたこの人の名前」
ベンチで震えている女の人を目で指し示す。
「あ、ありがとうございました」
紫色の唇を震わせながら言った。
「私、買い物をしていたんです。この通りの野菜は高いからここから少し奥に入ったところで買うためです。サイズが小さかったり虫に食われたりしている野菜が向こうでは安く売っているので。それで言われた通りの野菜を変えたので嬉しい気持ちになって歩いていたら知らない男に口をふさがれたままあの路地に引っ張られていったんです」
カツカツカツ、石畳をサブレさんの靴底が叩く音がだんだん大きく聞こえてきた。
「私馬鹿でした。ひとりで歩くときは周りをよく注意するように言われていたんです。お店のおじさんにたくさんオマケしてもらえて、可愛いからって言ってもらえて浮かれてたんだと思います。小さい子たちにいつもより多く食べさせてあげると思って、それで周りを見ていなかったんです」
「大丈夫か?」
サブレさんが僕たちのところに来てくれた。よかった、これで安心だ。もしあの男の人たちがこっちにきたら抱えて逃げようとは思っていた。けれど本当に守ることができるのかが不安だった。抱えたままでナイフを持った男の人たちから彼女を守れるかが不安だったんだ。けどサブレさんがいてくれれば安心だ。
「助けてくれてありがとうございました。おかげさまで助かりました、皆さんがいてくれなかったら私今頃どうなっていたことか」
コロネさんの目から涙があふれた。今までは出てなかったから心が落ち着いてきたのだと思う。
「なんだ思ったよりも子供じゃないか。モルンと同じくらいか?」
「私、11歳です」
「僕と同い年です」
「やはり世の中は危険だな、子供がおちおち買い物もできない世界か。次からは気をつけろよ、同じ目にあいたくなかったらな。それか鮫みたいな目で人間を淡々と殺していくような化け物じみた強さを身に着けるかどっちかだな」
「なんですか?」
「別に」
「私のことを言っていたりしますか?」
「別に」
またしてもサブレさんとウミカの間に緊張が張り詰めた。
「わたし、戻らないと………」
「え!どうして?」
コロネさんの言葉に驚く。
「あそこの路地に野菜を置いてきてしまって、だから戻らないといけないんです。大切なお金で買ったものなのであの野菜がないとみんなたべるものがないんです。だからーーー」
「戻るのは止めておけ」
サブレさんが強い調子で止めた。
「そうですよね。あそこの路地に行ったらまた同じようなことが起きるかもしれないですよね」
「いやそういうことじゃない。あそこに行ったら今日の夜は寝れなくなるぞ」
「どういうことですか?」
「どういうことかといわれればなぁ………こんな話を知っているか?暗い路地裏には鮫の目をした恐ろしい鬼婆がいるんだそうだ。その鬼婆はよく切れる包丁を持っていて、すばしっこい動きで人間の首を次々に切り裂いていくんだそうだ、人間の生首を自分の子供に食べさせるためにな。その鬼婆が出るかもしれないから止めておいた方がいい」
サブレさんがウミカのことを見ながら少し笑いながら言った。僕はそんな鬼婆の話なんか今までに聞いたことがないなと不思議に思った。
「まだ震えているじゃないですか、それなのに怖いことが起きたあの場所に戻るなんてあまりにも無茶だと思います」
ウミカが言った。
「幸いこの表通りには新鮮な野菜が沢山あります。ですのであの怖い場所まで戻らなくても大丈夫だと思います」
確かにここは新鮮な野菜を売る露店が立ち並ぶ通りだ。
「このお方は困っている女の人を助けてくれるとてもやさしいお方なので頼めばいくらでも野菜を買ってもらえますよ。お金持ちなので野菜を買うくらいのお金はこの方にとっては無いようなものなんです。ですので頼んでみるのたらどうですか?きっと買ってくれますよ。恐ろしい鬼婆以外には、ですけどね」
ウミカがサブレさんに振り返ると、にっこりと笑いながらいった。
その時、僕は生まれて初めて妹の目が少しだけ怖く見えた。




