1話 -いきなり始まる計算外-
ゴシック建築のような尖塔の古めかしい建物に午後の日が降りそそいでいる。
カンタベリー大聖堂。その荘厳さと建築物としての美しさから王都を訪れた人々は必ず立ち寄るといわれている観光名所だが、一般人が立ち入ることは許されていない。それでも十分に人々は満足してそれぞれの故郷へと帰っていく。
現在、大聖堂の中ではとある式典が催されていて、100人ほどの人間がいるが誰一人として無駄口をたたく者はいない。誰もが背筋を伸ばし厳しい表情をして、堂内には張り詰めた空気が満ちている。
「シャイタン・サブレ!」
壇上にいる壮年の男が厳めしい声で名前を呼んだ。
「ハッ!」
年季の入った座席から若々しい声がして、やや背の低いひとりの少年が立ち上がり一礼して歩き始めた。
その所作は礼節を重んじる者達でも文句のつけようがないほどに洗練されている。幼い時からしっかりとした教育を施されてきたことを如実に表していた。
「貴殿を特級宮廷魔術師に任命する」
少年が壇上へと上がって対面したところで壮年の男、宮廷統括長が言った。
「ハッ!」
少年がより一層力強い返答をした。
そして宮廷統括長の所作に連動した動きで、差し出されたバッジと任命証を受け取る。この時をもってサブレと呼ばれた少年は、選ばれた人間にしかなることのできない特級宮廷魔術師となった。
「粉骨砕身努力いたします!」
きっぱりとして頼もしい声が広い天井の隅々にまで響き、堂内は拍手に包まれた。
特級宮廷魔術師とは王族の最も身近で、王族の警護を行うものの事。
その身分は法によりしっかりと守られていて、有事の際には貴族の中で最も権力を持つ公爵に対してすら、刃を向ける権限を与えられている。
それは例えば誰かが王族に危害をくわえようとした場合のこと。不届き物が身分の低いものであるとは限らない。
例えばクーデーターを目的としたときのように、身分の高い人間によって引き起こされることも当然想定される。もしその時に特級宮廷魔術師が何の権限も持たなければ、王族を守ることができなくなってしまう。
だから貴族でなくともその身分が貴族のように保証されているのだ。全ては王族を守るため。だから特級宮廷魔術師は平民はもちろんのこと、貴族からも恐れられる存在だ。王族を守るという理由で自分たちの身を害されるのではないかという恐怖がある。
権力だけではなく給料も素晴らしい。あらゆる公務員の中でもトップクラスの給料を保障されていて、領土に恵まれていない貧乏貴族なんかよりも稼ぎが多いということも周知の事実だ。
そして何より素晴らしいのは定時になれば毎日きちんと帰れるということだ。警護にも十分な人数が確保されているので、決まった時間になれば担当が変わる交代制だし、休日もしっかりとある。
権力、給料、休日、全てをしっかり保障されてこそ、護衛は王族の身をしっかり守ることが出来るという思想だ。
当然のことながら志願者は多い。しかし選ばれるのはほんの一握り。いくら身分の高い人間の口添えがあったとしてもそれだけで特級宮廷魔術師になることはできない。
然るべき学校を然るべき成績で卒業し、王族に認められた人間だけがなることが出来る特別な仕事。そしてサブレはこれの厳しい条件を自分の手でしっかりと満たした。
ピンと背を伸ばしたまま利発そうな表情をしているシャイタン・サブレだが、心の内では叫びたいほどに興奮していた。
勝ち組!
今この時は俺にとって夢にまで見た栄光の瞬間だ。
特級宮廷魔術師となるために俺は子供のころから努力してきた。普通以上の才能を与えられていたことは事実だが、それだけでは決して無い。普通なら遊びまわりたい年頃の子供でも俺は遊ばなかった。精神としては普通の子供じゃないのでできたことだと思っている。
勝利者!
これからの人生は勝ち組ルート確定となった。今まで頑張ってきたリターンがこれからずっと返ってくるんだ。人生というのはスタートダッシュが肝心で、それを実行できた人間だけが恵まれた人生を送ることができる。
エリート!
頑張ってきてよかった、努力してきてよかった。俺は自分自身の力でこの地位を勝ち取った。
決して血筋だけで地位を手にしている無能な貴族共とは違うんだ。俺だからこそできたことだ。特級宮廷魔術師の地位を使って俺は自分の夢を実現させる。俺TUEEEはできなくとも、誰よりも満たされた最高の人生を手に入れるのだ!
ハーレムだ!
異世界奴隷ハーレムだ!
毎日毎日を多種多様な美女に囲まれたキラキラでピカピカで桃色の人生を手に入れるんだ!
「第5王女マリーゴールド様のために身命を賭して仕えるように」
「ハッ!」
ん?
ききまちがえ?
だいごおうじょまりーごーるど?いやちがうおれは、おれがつかえるのは………。
予想外の出来事に脳内がバグっている。
しかし体は礼節に一切の乱れのないまま正確に動いている。定められた角度で頭を下げ振り返って正しい姿勢で壇上から降りて自分の席に戻る。
おかしい、明確におかしいぞ、何が起こったんだ?なぜ第4王子サンジェルトではなく第5王女マリーゴールドなんだ?
計算外だ。
特級宮廷魔術師になるには条件がある。その中でもっとも難しいと言われているのが王族からの指名。王立魔法アカデミーでどれだけ優秀な成績を収めようが王族から声がかからなければいけない。
俺は最高の条件で働ける特級宮廷魔術師になろうと決めていた。けれど何が何でも、というわけではない。
特級宮廷魔術師とは王族の護衛として常に王族の傍に寄り添うもの。そうなった場合に、いくら条件がいいとはいっても嫌な奴には仕えたくない。毎日毎日顔を合わせる人間が屑野郎だったらとてもじゃないがやってられない。
そこがこの職業の一番の肝だと思っていた。王族は王と違ってひとりじゃない。一番ストレスを与えられない相手の元で働きたい。
目を付けたのは第4王子サンジェルト。
特級宮廷魔術師になると決めた時から王族の情報はできるだけ手に入れるようにしてきた。普通なら簡単に王族の情報など手に入れられるものではないが、運のいいことに両親がある程度の地位に就いていたから頼んでやってもらった。
調査対象となるのは年齢が近い王族。
なぜならば同じ学校に通うことが可能だからだ。もちろんその学校に入るためには努力しなければならないし、ある程度の身分は必要だがうちの家であれば問題なかった。
学校は身分の高い貴族でなくとも王族と直接コンタクトできる数少ない機会だ。毎日顔を合わせてその王族の人間性を見ることが出来るのだ。
両親が仕入れてきた噂によると、サンジェルトは性格が大人びていて、周囲の大人に無茶なことを言ったりすることはなく、頭が良く体を動かすことも得意で、魔法使いとしての腕も抜群。
将来はこの国の大きな力となることが間違いないと言われていた。
この中で一番重要なのは性格。魔法使いとして2流だろうが3流だろうがそんなことはどうでもいい。その仕事上、近くにいなければならないやつがどういう性格であるかが重要だ。
だから俺はサンジェルトが入学するのに合わせてアカデミーに入学し、同級生となった。距離を縮めるには上級生でも下級生でもなく同級生がいい。
けれどすぐに本人に近づこうとは思わなかった。俺は人づきあいが全く得意ではなく揉めることも多々あるから簡単には接触できない。敵意を持たれてしまっては最悪だからだ。
思っていた通り同じアカデミーに通っていると、サンジェルトの人柄に関する情報は簡単に得ることができた。
もしもどうしようもないやつなら、特級宮廷魔術師の夢なんか捨てて違う選択肢を取ろうと考えていた。大人の前ではいい子でも、子供しかいない中でどうなるかは分からないと思っていた。
さんざん調べた結果、サンジェルトはやや変なことはあるが王族としては感情の浮き沈みが少ないし、下の身分の人間の話に耳を傾けることができ、人に譲ったり、過ちを認めて謝ったりもできるので、周りからかなり慕われているやつだった。
それが分かった時点で俺はサンジェルトに近づいた。そして学校生活を通じて親交を深めた。お互いに全く知らない仲でもなかったというのが、簡単に接触で来た理由でもある。
そうしてついには、卒業と同時に特級宮廷魔術師として引き立ててもらうという約束を本人と交わした。
だからこそ俺は第4王子サンジェルトの特級宮廷魔術師となることで間違いないと考えていたのだ。なにせ本人に直接頼んで了承してもらったからだ。
それがなぜに第5王女マリーゴールドなんだ?
もちろんマリーゴールドとは会ったこともあるし話したこともある。それは兄であるサンジェルトを通じてそうなったわけだが、マリーゴールド本人に対して特級宮廷魔術師として仕えさせて欲しいなんてことは、一言も言ったことはない。
そもそも俺の知る限り、王女が指名する特級宮廷魔術師は女性が選ばれるのが普通だったはずだ。それなのになぜ俺が選ばれるんだ?
思いっきり男だぞ。異世界奴隷ハーレムを実現させるために子供のころから本気で頑張るくらいに男なんだが。
うつろなまま任命式は進行していき、そして終わった。終わると同時に俺にはどうしても早急に、やらなければいけないことがあった。
「どういうことでしょうかサンジェルト王子」
それはサンジェルトを問い詰めること。
「何だいその堅苦しい喋り方は、いつも通り普通に喋ってもらって構わないよ」
笑っている顔に腹が立つ。
「もう学生ではありませんので」
やや語気を強め王子に問いかける。
アカデミーにいたころはサンジェルトの要望に従って普通に喋っていたがもうそれはできない。自分としてもつい最近までため口で喋っていた相手に敬語を使うのは変な気分だがしょうがない。
特級宮廷魔術師は特別な職業だ、なりたい人間なんかごまんといる。そいつらに変な噂を広められてせっかく手に入れた地位を失うことなんかとても看過できない。
「なんだか調子狂うなぁ」
「王子」
「わかったわかったちゃんと説明するよ」
少しだけ目に力を入れると、降参とばかりに掌を上に向けておどけたような表情をした。イケメンだからそれだけで映画スターみたいに見える。女ならきゃーきゃーいう所だろうがそれどころじゃない。納得する説明をしてもらわないことには怒りが収まらない。
せっかく手に入れたサブレの人生勝ち組ストーリー。
ずっと努力を重ねて手に入れた証であるその一歩目からして、すでに道を踏み外してしまっていることにシャイタン・サブレは気付いていた。