飛花落葉
「諦めるな、馬鹿野郎!」
目を閉じ掛けた玄焚の視界で、九狼が叫んでいた。
「負けを認めたら、ただ死に逝くだけだ!」
俺はこんなに叫ぶ九狼を見たことがない。それほど何か伝えたいことがあるのか…?
「何度挫かれても、燃え上がる。それが『火柱』だろう?お前は『火柱』になるんじゃないのか!」
そうだ。俺は『火柱』になるんだ。『火柱』が何かとかではない。俺が『火柱』なんだ。負けた上で、抗うのが俺なんだ!
玄焚はがっしりと双牙を掴んだ。
牙を掴んでしまえばこちらのものだ。武器がない以上、勝つことはできないが、相手の得物を捉えてしまえば、『負けることはない』。例え、振り回されようが、引き摺られようが、俺がこの手を離すことはない!
「そうだ、玄焚。そのまま手を離すなよ。」
「うるさい。分かってる。」
揺れ動く視界の片隅で、九狼が軽やかに宙を舞った。
「霧嶋流槍術 奥義『飛花落葉』」
怒号とともに九狼の槍があっという間に獣の五体を貫いた。
暮れ始めた斜光を求めて、血飛沫が鮮やかに舞った。
先程まで鼻息を吹き荒らしていた獣は、ひとしきり震えた挙句、静かになった。
「な……。」
九狼の強さに思わず俺は沈黙していた。自身があれほど苦戦を強いられていた相手に、絶対的な一撃を加えたのだ。
明らかに俺より強い。『火柱』の候補から外れたとは言え、実戦の経験でいえば俺を遥かに凌駕している。牙獣の動きに右往左往することなく、的確かつ洗練された動きをみせたのだ。
「これくらい普通だぜ。この牙獣もこの林道ではよく見る。お前はもっと実戦を積んだほうがいいな。」
槍についた血液を払いながら、九狼は静かに沈黙を破った。
「なぜ九狼はそんなに強いんだ?」
「いつもこの林道で訓練している。牙獣にもよく遭う。城内で呑気にちゃんばらごっこしている連中とは違うんだ。」
圧倒的な力量の差を見せられては、反論を口にする余裕もない。何も答える気になれなかった。
「大丈夫だ。お前も30匹くらい同じ牙獣を狩れば、多少は動けるようになるさ。」
珍しく九狼が笑った。純粋な笑顔というよりはこちらに期待する笑顔だ。紛いなりにも応援しているらしい。
玄焚は僅かに安堵した。師匠が亡くなった今、独り身で『火柱』になれるとは思っていなかったのだ。
しかし、そう安寧な気分ではいられなかった。
牙獣一匹に遅れを取る有様だ。
現に、自身の力の及ばぬ様を、まじまじと見させられたばかりだった。
「だが、『火柱』になるには完全に力不足だ。師匠曰く、『火柱』になるには技と心の両方が重要らしい。」
「だろうな。なんにせよ、今まで『火柱』になった人間はいないんだろう?それがなんであれ、お前の師匠すらなりえなかった存在にお前はなろうとしてるんだ。一朝一夕でなれるものでもないだろう。」
確かにそうだ。あの師匠も『火柱』になることができなかったという。今の俺が目指していることさえ、馬鹿馬鹿しいことなのだ。
「それに技量なんて毎日しっかり鍛錬すれば自然と上がるものだ。今はまだ心配せずともいいだろう。」
九狼はなぜこんなに力付けてくれるのか。曰く「よくいる」牙獣との戦闘で、俺は既に生きることを諦めたのだ。師匠なら叱っていたかもしれない。
「…なんにせよ、科兎山へ急ごう。九狼の言う通り、今くよくよしてても仕方がないな。」
「そうだ。俺は『火柱』になれないみたいだが、お前が『火柱』になるのを助けることはできるはずだ。それに俺も科兎山に用があるしな。」
どうやら九狼も来るらしい。道中で技を教わるのも悪くない。
しかし、夕暮れが穏やかに近付き、少しずつ夜の帳を降ろし始めていた。
徐に茜に染まっていく空を傍目に、食料用の猪肉を横たわった牙獣から採取する。
俺たちは再び、目的地である科兎山へ向けて出発した。




