隠された『火柱』
科兎山に累陰が現れる少し前。
紅穂屈指の戦艦『紅鴉朱』は科兎山の峰を彼方に臨みながら、徐々にその速度を落としていた。
船内では甲斐性もなく累陰が騒いでいた。
紅穂王は慣れたように目を閉じている。否、慣れているわけではなかった。ただ、宦官の煩わしい喧騒の中で今後のことを考えていた。
私が『火柱』を上げたところで、この老耄に何ができようか。『火柱』さえも利用され操られるのは必定。
ならば、肉体も精神も洗練された紅祇十殿に上げてもらうほかないだろうか。
紅穂王は紅穂王自身の若かりし頃を思い出した。紅き瞼の裏側にいくつもの『火』と紅祇十の姿が浮かんできた。
紅祇十殿はお元気にしてらっしゃるだろうか。
数十年前、紅祇十は知る人ぞ知る『建国者』として紅穂の発展に寄与した。それは『火柱』を上げ、紅穂の国土を直接刺激し、農業漁業など各種産業を隆盛させるものだった。
自然が枯れ荒廃していた当時の紅穂にとって、それは渡りに船だった。
しかし、『火柱』は紅穂の国土と国民を燃やし、その殆どの命を奪う『火』を巻き上げた。
同時に、紅祇十の身体を蝕み、彼は普通の人間が息絶える外傷を負っても死ぬことが赦されぬ状態となった。本来なら私以上の高齢になっているはずだが、『火柱』を上げた時以来、老化現象を無視している。
きっと彼は『火柱』を再び上げてはくれないだろう、と紅穂王は予測した。
「…きっと、嫌がるに違いない。」
彼がかつて『火柱』を上げた時、紅穂の自然は活性化されたものの、そこに住まう人々のほとんどが息絶えた。
それこそ白裂の侵略を軽く越える規模の大火事が起こり、人々の住宅が燃え、文明機器を焼失させた。
当時、私はまだ紅穂の王ではなかった。
我が実父が紅穂王であり、私は王位継承権第三位の三男に過ぎなかった。
本当なら長男が王権を継ぎ、紅穂を治めるはずだった。
しかし、紅祇十殿が上げた『火柱』の『火』は王家をも燃やし、兄上方の命を取り去った。
即位することなどない、そう高を括りながら政に参加していた私にとって衝撃的な出来事だった。
碌に即位の準備もしていなかった私は良い王ではないかもしれぬ。
今でもそう思わない日はない。
その後、紅祇十殿の『火』は私と精鋭にして機密の紅穂軍とある女性によって鎮圧を行った。私は生き残った国民にこれは単なる大火事だと必死に嘘を吐き、情報を操作し、再び紅穂を纏め上げた。
こんな嘘吐きが良い王にはなれぬかもしれない。しかし、だからこそ陰湿な宦官の思い通りにはしてはならない。
紅穂王はけたたましく喚く累陰を一瞥した。
すると、突然、その宦官は一転して押し黙った。
ゆっくりと振り返りながら紅穂王の方を見て口を開いた。
「殿下、なぜ白裂侵略の折に紅穂を守る堅牢なる要塞『日烏』が機動しなかったか、ご存知ですかな?」
累陰は不可解な質問を紅穂王に向けた。




