小動物の行方
科兎山中腹。獣道。
昼前の温もり始めた光を黒い鱗が反射した。今尚、跳ね回る魚を緋い眼をした男が担いでいた。
黒い刺が幾つも付いている尾鰭をそのまま鷲掴みにしている。それでいて、全く痛そうにしていない。そればかりか、大きな欠伸を怠そうに吐きながら、湖から遠ざかるように歩いている。
緋い眼球から放たれた視線の光は科兎山を隈なく見つめていた。
太陽が出てきた所為か、至る所で動植物が動き始めていた。しかし、人間の蠢く都市町村とは打って変わり、不動にして不変なる自然を思わせる。
数羽の小鳥が辺りを飛び回った。
そのような周囲の環境を見ながら、どうやら目的の場所まで辿り着いたのか、男は歩みを止めた。
担いでいた魚を切り株に叩きつけ、素早く小刀を取り出して黒い鱗を剥ぎ始めた。
そのまま、近くに貯めてあった水で鱗を綺麗に流したかと思えば、すぐに慣れた手付きで魚を三枚におろした。
一口の大きさに切り分け、いつの間にか燃え盛っていた焚き火の上の鍋へと入れた。魚の切り身は清澄な透明度を失い、白く濁った。
さて、そこへ栗鼠と白鼻芯の特徴を併せ持ったような小動物が現れた。
背中に小さく巻かれた羊皮紙を背負っているみたいだ。まるで今まで野を越え山を越え谷を越えてきた、その足跡を思わせる汚れぶりだ。小動物の身体そのものも塵芥を纏い泥だらけの様子であった。
小動物は焚き火に煽られるくらい近付くと、漸く、鳴き声を発した。か細く高い……まさに助けを求める悲鳴にも似た音だ。
その声に男は緋色の瞳を向けた。
「鍋食うか?」
「ぴゅゆ。」
「冗談だ。」
見ると、男が笑っている。
数年振りに笑ったかのような引き攣った苦笑だ。
「お前がここにいるということは、つまり、そういうことだ。」
「ぴゆ?」
「紅穂おやじに言われてきたんだろ?お前も苦労人だ。ま、俺が言えたことじゃない。」
「ぴゅゅ…。」
「そう落ち込むな。役目はしっかり果たしている。現に俺の元にお前は来た。それだけで充分だ。」
男は小動物の髭を撫でた。
「紅穂が滅ぼうが、『火柱』が上ろうが、俺の気にすることじゃない。だが、おやじにには借りがある。」
「ぴゆう?」
「ああ、ま、仕方ないってことだ。…そうだな。」
男は暫く緋色の眼を閉じた。何か考え込むかのような素振りだ。
「あと少しでここに『火の器たる者』が来る。それまで待て。」
小動物は肯くように鳴くと、知らず知らずのうちに出されていた煮物の皿に、頻りに鼻を動かした。
漸くその任を免れたかの如く、背負ってきた羊皮紙を下ろす。しかし、今尚その古びた紙は読まれることがなかった。
それ以降、男が五杯分に及ぶ鍋を食べ切るまで、お互いに口を開くことがなかった。
太陽が天海を余すことなく照らすに連れて、山容水態の鳥や獣たちも徐に動き始めた。




