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ごはんとワルツを  作者: 明石家にぃた
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やさしい温度

今回ちょっと短くなりました。

 ……身体の水分が、全部抜けきったかと思った。

 真っ暗な部屋で丸くなり、ぼんやりとした頭で思う。

 お祝いごとを素直に喜べないのは、本当に申し訳なかった。

 せめて顔だけでも取り繕えただろうか、と今さらながら心配になる。


 同僚が結婚するのだという。

 同じ職場の先輩と。

 彼が好きだというお菓子とはまったく異なる雰囲気の、職場イチのすらっとした美人と。

 

 よければ式にも来てくださいね、と渡されたギモーヴはフランボワーズの甘酸っぱさとしっとりとした触感で、材料はそれほど大きく変わらないはずなのに、あの素朴でふわふわの駄菓子とは似ても似つかなかった。

 

 仕事帰りに夕飯の買い物をしてくるのも忘れて、泣きながら真っすぐ家に帰った。

 止まらない涙に、私は思っていたよりも彼のことを好きだったんだな、と悟った。


 もういっそこのままじっとしていたら、夜の闇に溶けてこの気持ちも薄れていくんじゃないか、と思った矢先に、ものすごい近くから地獄の釜の蓋がずれたような音がした。

 

「おなかすいた……」


 人間は貪欲だ。

 どれだけ悲しくても、お腹はすく。

 センチメンタルとは無縁な、今もなおずりずりとずれていく地獄の窯の蓋。

 

 やけくそのように身体を起こし、冷蔵庫へ向かう。

 ふちが黒ずんだ使いかけのキャベツ、いつ買ったか覚えていない芽の生えた玉ねぎ、しなびた人参。

 こういうときに限ってこれでもかというほど傷んだ野菜ばかりが詰め込まれていて、本気でへこみそうになる。

「……よし、全部使っちゃうか」

 棚から大きめの両手鍋を出し、サラダ油をいくらか流し込む。

 最初は人参。

 頭だけ雑に切り落とし、適当な大きさに切る。


 いや、もっと、もっとだ。

 私はこいつらを、もっと細かく切らなければいけない。

 目の前のこと以外、何も考えられなくなるくらいに。


 すとん、すとん、と、台所には包丁の音だけが響く。

 切り刻まれた人参はもう、小指の爪ほどの大きさになっている。

 次は玉ねぎ。

 皮をむき、親指ほどに伸びた芽ごと切り刻む。

 芯の部分を取り除きながら、すん、と鼻を鳴らす。

 視界が歪むが、指さえ切らなければ気にしない。


 すとん、すとん、と一定の速度で響く音は、こんな気分のときでなければ、もっと軽やかに、もっとリズミカルに、まるで床のようにまな板を踏み鳴らしていただろうに。


 ほとんど液体に近いほど小さくなった玉ねぎもまた、先に入れた人参と一緒に鍋に放り込む。

 木べらで焦げ付かないように混ぜながら、じっくりと弱火で火を通す。

 ぱたり、とささやかに塩が落ちたのは見なかったことにする。


 玉ねぎが半透明になったところで水を入れ、火を強める。

 湯が沸くまでの間にキャベツを刻む。

 固い芯を取り、無心でざくざくとみじん切りにする。

 キャベツを鍋に入れる。

 思っていたよりもボリュームが凄い。

 ざっと目分量でコンソメ顆粒を入れる。

 ぎゅうっと押し込めるようにして、そのまま蓋を閉める。

 しゅんしゅんと蓋の穴から湯気が吹き出すのを、ぼんやり眺める。

 

 どれくらいそうしていただろう。

 気づけば鍋の蓋に押しつぶされていたキャベツは心なしか落ち着いた色になり、しんなりと湯に浸っている。


 美人じゃなくてもいい。これくらい淑やかな女の子だったら、せめて自分から話しかけるくらいは出来たかな、と思う。

 

 全ては結果論。

 どう取り繕ったところで、私は私にしかならないのだ。


 出来立ての野菜スープは、少しばかりコンソメの味が濃かった。

 食べられないほどではないが。

 

 その辺に伏せてあったどんぶりに適当に盛り付ける。

 食卓にもつかずにそのまま台所の壁に寄りかかり、スプーンを片手にスープをすする。

「熱……」

 だけど、私の気持ちが落ち着くまでどろどろに煮込まれた野菜たちは、問答無用で優しかった。

 具材を半分ほど食べたところで、ぐっとスープを飲み込む。


 ……ホント、私はどうあがいたところで私なのだ。

 これだけ落ち込んでいるのに、米が欲しくて仕方ない。


 いつものことながら、白いご飯は炊けている。

 白いご飯をスープのまだ残っているどんぶりに足し、少し考えてから冷蔵庫に買い置きしてあるピザ用チーズをその上に乗せる。

 そしておもむろに、まだ鍋に残っていた野菜スープを流し込んだ。


 音もなくチーズがとろけ、野菜がその中に沈んでいく。

 ごはんが花開くようにほぐれ、それらを抱きしめる。


 さっきまでは少しだけ濃いと感じていたスープは、母なる白飯に包まれてそのトゲを内にしまい込む。

 チーズのまろやかさが、それをさらに覆い隠す。

 完全に出尽くした、と思った涙が、またぽろりとどんぶりの中に落ちた。

「おいし……」


 自分がどれだけ頼りなかろうと、ロクでもなかろうと、考えれば考えるほど欠点しか思いつかなかろうと、私は他の誰かにはなれない。

 その気になればカレーだろうがシチューだろうがドリアだろうがトマトスープだろうが味噌汁だろうが、調味料の違いで自在に形を変えられるこのスープとは違うのだ。


 いっそ全部諦めてしまいたい、辞めてしまいたい、と思うこともある。

 どうせちゃんとした、普通の人間にすらなれないのなら。


 でも私は食べたい。

 どれだけ落ち込んでようとも、私の身体は食べることをやめようとはしていない。


 全部噛みしめて、飲み込んで、消化してしまえ。

 そうすればきっと食べたものが持つエネルギーの分ぐらいはまともな自分に近づけると、自分だけは信じてたい。


 今だけは甘やかそう、と心に決めた。

 少なくとも鍋一杯に残った野菜スープを、全てこの胃の中に収めるまでだけでも。


次回更新は5/25です。

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