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ごはんとワルツを  作者: 明石家にぃた
3/48

ツナの存在感とは

正直はじめて食べたときは面食らったアレ。

「カレーが食べたい!」

 仕事用のボディバッグと一緒に、愛用のショッキングピンクのエコバッグが勢いよく床を跳ねた。

 ぼんっ、と鈍い音を立て、エコバッグの中身がフローリングに散らばる。

 もう、ほんと今日は疲れた。

 退勤三時間前からずっと、頭の中の電卓が秒給をカウントし続けるくらいには。

 身体が疲れるのはいつものことだが、あからさまに不機嫌な上司を刺激しないように仕事するのは本当に骨が折れる。

 そもそも本来私は、人の感情の機微に対応できるほど細やかな性格はしていない。

 終業時間まで爆弾を落とさなかっただけ、褒められて然るべきだ。

 それどころか欲求に従って、帰宅途中にスーパーにまで寄ってきたのだから、いっそスタンディングオベーションで表彰されてもいいとさえ思う。


 エコバッグとそこから転がり出た野菜、ぶん投げた衝撃で角のへこんだカレールーの箱を拾いあげ、私はそのまま台所へ向かった。

 人参と玉ねぎ。

 じゃがいもは冷凍するとスカスカになって美味しくないので、普段はあまり入れない。

 それからブロッコリー。

 うちのカレーの野菜はだいたいこんな感じ。

 実家のそれとは具材が異なるが、家族で食べるものと私一人が食べるものの中身は、違って当然。


 たんぱく質はとりあえずある物。

 その日の冷凍庫事情で、豚だったり鶏だったり海鮮だったりする。

 今日は何が残ってたかな、と、ふんふん鼻歌を歌いながら冷凍庫を開け……絶望した。

「うっそだろー……」

 そういえばそうだ。

 ひき肉はこないだつみれ鍋にしたし、ベーコンは先週ナポリタンにして食べてしまった。

 豚ロースは……あ、昨日の生姜焼きか。

 他にもから揚げ用のもも肉があるが、すでに酒と醤油とショウガ、おろしニンニクでがっつり下味がついている。さすがにこれは使えない。

 いや、味的にはカレーになら使えなくもないとは思うが、冷凍状態でなお目視でわかるレベルでにんにくが見え隠れしているものを使うのは、女子にはちょっと難易度が高い。

 明日も仕事だし。


「卵はあるけど……目玉焼き?」

 もしくは溶き卵でも美味いとは思う。かきたま汁のカレー味、みたいな。

 だけど今日はめちゃくちゃスパイシーなカレーが食べたくて、辛口のルーを買ってきてしまった。

 卵と合わせるなら辛口ではなく甘口、せいぜい許せて中辛までだろう。

 いや勝手なこだわりなんだけども。

 ていうか、今日はもっと肉々しいものが食べたい。


「となると……他にたんぱく質あるかな」

 ついでに買ってきた好物のシチューのルーを保存食用の戸棚に入れようとして、私は気づいた。

 あるじゃないですか。

 下ごしらえもなくすぐに使えて、かつ肉々しく、それどころか保存もきく上に大した値段でもないので必ずここに買い置きがあるという、大変優秀なたんぱく質が……!


「庶民の味方!ツナ缶!」


 思わずノリで、特撮ヒーローの変身ポーズをしてしまった。

 大丈夫。

 誰も見ていない。

 でもちょっぴりさみしい。


 気を取り直して調理に入る。

 人参は大きめの乱切り。何故なら好物だから。

 でもって、玉ねぎは指の幅ぐらいの細さにスライス。

 大きさを揃えろって?知るか!

 私はごっつい歯ごたえの人参と、煮込んで半溶けのテロテロになった玉ねぎが好きなんだ!

 切った野菜はラップをかけて軽くチン。

 時短出来るところは時短する。

 いつものことだが、白いご飯はすでに炊けている。


 ホント、予約炊飯という機能を考案した人にノーベル平和賞を授与したい。


 若干柔らかくなった野菜を鍋に放り込む。

 チンしたのは時短でもあるが、油で炒める工程を省略することでカロリーダウン、という意味合いもある。

 わーカロリー気にするとか、私めっちゃ意識高い系女子じゃん。

 そして先ほど戸棚で見つけたツナ缶を投入。

 ……ていうかここでツナ缶の油入れちゃったら、さっきのカロリーダウンの意味が無いのでは?とは思ったが、すでに入れてしまったものは仕方がない。

 ついでにツナ缶と一緒に発掘したサバの水煮もぶち込み、ざっくりとサバの身をほぐしながら炒め、水を入れて沸騰させる。

 沸騰したら火を止めて、二種類のルーを半分ずつ溶かせばサバカレーの出来上がり。


 カレールーのブレンドは、だいたいどこの家もやってるライフハックだと思う。

 もちろんご飯は大盛り。ルーもたっぷり。

 冷たい水はピッチャーで、ついでにボックスティッシュ。

「いた、だき、ます!」

 容赦なく大皿にてんこ盛りにされたカレーは、匂いからして辛い。

 ……やばい、辛くしすぎたかも。

 ごくりと唾を飲み込む。

 ええい、ままよ。

 勢いよくスプーンを差し込み、口いっぱいに頬張る。


 私がサバの水煮が入ったカレーを食べるのは、実は今回が初めてではない。

 実家にいたころに母親が作っていた、いわゆるおふくろの味、という奴だ。

 こんなイロモノカレーを、彼女はいったいどこで覚えてきたのか。

 それとも、今の私と同じシチュエーションに陥った若き日の母が、食べ盛りの娘たちに肉々しいカレーを食べさせたい一心で苦し紛れに放り込んだ結果なのか。

 今となってはわからない。

 以前聞いてみたことがあるのだが、そもそもサバカレーを作ったことすら覚えていなかった。

 ……ボケるにはまだ早いぞ、母よ。

 

「ふぐっ……ふ……ふぅ、うぅ……うぁぁぁ……」

 思わず出てくるのは、うめき声と涙。

 カレーが辛くて泣いているのか、今日の出来事を思い返して泣いているのか、よくわからない。

 ツナの油で多少マイルドになってはいるものの、普段食べている中辛よりもだいぶ辛い。

 辛さの向こうで、脚の生えたサバが大漁旗を振っているイメージが頭をよぎる。


 ヤーレンソーラン、ソーランソーラン、ソーランソーラン

 ハイハイ


 いやアレはサバじゃなくてニシンか。

 ちなみにどうでもいい話だが、よさこいとよさこいソーランとソーラン節はそれぞれまったく別なものである。

 個人的にはピーマンとししとうと青唐辛子ぐらい違う。

 そんなことをつらつらと考えながらも、涙と鼻水が止まらない。

 お皿のカレーが減っていくのと比例して、ボックスティッシュの中身も減っていく。

 辛い、というよりは痛い。

 だけどその痛みにべったりと寄り添う、魚の旨味と臭み。

 この辛さに負けてないとか、サバインパクトめちゃくちゃ強いな。


 かりっと、何か固いものが歯に触れた。

 サバの、骨だ。

 そのまま勢いよく噛み砕く。

 よく「骨のある人」なんて言い方をするけど、まさに今の私がそれだと思う。

 多少のストレスならば、こうやって何か美味いものを食べることであっけなく昇華出来るのだから。


「……っはー、食べたー」

 まだぐすぐず言う鼻をすすり、私は大きく息をついた。

 テーブルの上には、米粒ひとつ残さず綺麗に食べ尽くされ、空になったカレー皿。

 炊飯器の残りご飯の量から推測するに、確実に一合は食べていると思う。

 さすがの私の腹も充分に満たされた。

 食べる前までのどこかもやもやとしていた気持ちも、すっかり落ち着いている。

 しかし鍋にはまだ、半分ほどのカレーが残っている。

「っつーか、この辛さじゃさすがにお代わりする気力ないわ……」

 明日の帰りはスーパーで、リンゴとはちみつを買ってこよう。

 未だ部屋をなんとなく漂うスパイスと魚の香りに、ふと素敵なことを思いつく。

「……なんか水族館行きたくなってきちゃった」

 連勤明けの次の休みには、美味しそうな魚でも眺めながらゆっくりしよう。

 そして帰りに、魚介のパスタとか食べてにっこりするのだ。

次回更新予定は12/25です。

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