第7話 -役目-
朝目が覚めるとすぐにやってきていた女性達に浴室へと連れて行かれた。
まだ半覚醒状態でされるがまま従っていると、タオルが肌に触れるくすぐったさで意識が漸くはっきりとした。
「はきゃっ!」
思わず小さな悲鳴が漏れた。
くすぐったさに身を捩りながらよくよく見てみると、女性二人が濡らした温かいタオルでわたしの身体を拭いているところだった。
その向こうでもう一人女性が服やら何やらを準備していた。
三人の女性は同じ服を着ている。制服か何かかと不思議に思い尋ねてみると、彼女達はこの王宮に勤める侍女らしい。
その内の一人が侍女長であることを聞いて恐縮してしまった。
意思の強そうな光を宿した瞳に、背筋をすっと伸ばした凛とした佇まいからその風格が窺い知れた。
わたしは萎縮して、あまりの恥ずかしさに慌てふためき、自分でやりますと告げるが、慣れているのか彼女達からは綺麗な笑顔を向けられ華麗にスルーされた。
そのままあっという間に服を着せられ、髪を結い上げられうっすらと化粧すら施された。
全ての準備が終わると、わたしは『すごいプロだ!』と感嘆の表情で思わず拍手をしてしまった。
此処だけの話、着替えにとドレスとコルセットを見せられた時には断固拒否させてもらった。
そんな身に着けたこともない様な豪華な衣装は恐れ多くて袖など通せないし、何より着せられたが最後、身動きすら取れなくなることが容易に想像できた。
なので、ドレスは丁重にお断りして、華美過ぎないものにしてもらった。白いシャツにハイウエストの紺のロングスカートだ。ドレープたっぷりのフレアのスカートは動くとふわりと広がり可愛らしい。
わたしの様子に侍女長は頬に手を添えて残念だわと溜息を零し、二人の年若い侍女はもっと着飾らせて下さいと嘆願してくる。
そんな面々に必死でその場を取り繕い何とか諦めてもらった。せっかく綺麗にしてもらったのに、冷や汗で服も化粧も台無しにしてしまいそうだと溜息を零した。
身支度を整えて部屋に戻るとソファの傍のローテーブルに食事が準備されていた。
三人はゆったり座れるロングソファーの反対側にはいつの間に運び込まれたのか、一人用のソファがあり神官様が座って書類と睨めっこをしていた。
「――…あの、ありがとうございました」
身支度を手伝ってくれた女性達にしたのと同じ様に深々とお辞儀をしてお礼を言った。
そんなわたしに彼は一瞬だけ目を向けたが、直ぐにまた書類へと視線を戻した。
「……食事をとった後で話を聞く。まずは朝食を食べろ」
ぶっきらぼうな物言いだったが嫌な感じは受けなかった。
ソファに座り、用意されていた食事を頂いた。
一口分ずつ切り分けながら口に運んでいると傍からぼそりと呟く声が聞こえた。―――綺麗な所作だな。と。
声が男性のものだったので目の前の彼が言ったことに間違いはないのだろうが、その内容がうまく聞き取れなかったので首を傾げると、何でもないと言われてしまった。
気になったが、しつこくすると仕事の邪魔をしてしまうので、尋ねることを諦めて食事を再開した。
食事を終えて紅茶を飲んでいると、ふと気になったことがあったので神官様の顔をじっと見つめていた。
昨日は悪夢を見ていたのかその表情は苦しそうで顔色も悪かった。
その後間もなくして再び寝たはずだが、隣で寝ていても呻き声など聞こえず夜中に起きることもなかった。
朝までぐっすり寝入ってしまったわたしはもしかしたら図太いのかとも思ったが、自分は結構神経質な方だったはずだ。人が近くにいると睡眠は浅くなり、誰かの気配がしたり物音がしたりするととたんに目が覚めてしまう。それがたとえ身内だとしてもだ。
それなのに朝までぐっすり寝ていたとは自分でも驚きだった。
神官様をじっと見つめているわたしに痺れを切らしたのか、彼は眉間に僅かに皺を寄せて、『何か用か?』と聞いてきた。
「――…昨夜は良く眠れましたか?」
「…………」
一瞬何を問われたのか分からなかったのか、顔を上げた彼の表情が緩み、その目を数回瞬かせていた。
そして逡巡すると小さく呟いた。
―――そう言えば、悪夢を見なかったな。と。
彼に意識を向けていたので、今度の小さな呟きはわたしにもはっきりと聞き取れた。
その言葉を聞いて、ああやはり悪夢を見ていたんだなと納得したと同時に、きちんと眠れたようで良かったと安堵の息を零した。
食べ終わった朝食の食器類もすっかり片付けられ、暫くゆったりとした時間を過ごしていると、スヴェンさんがいくつかの書類を手に部屋へ入ってきた。その後ろには昨日お世話になったジェイドさんもいた。彼もまたその手にいくつかの書類を持っていた。
スヴェンさんとジェイドさんに挨拶をし、昨日世話になったお礼を告げた。
ぐっすり眠れたようで安心しましたと言って二人とも笑顔を見せた。
二人が持ってきた書類は神官様が指示した物のようで、テーブルの片隅にそれらを置くとスヴェンさんはそのままテーブルの横に待機、ジェイドさんはわたしが座っているソファに座った。
「―――まずは、こちらの質問に答えてもらう」
「はい、わかりました」
斜め向かいのソファに座る神官様にそう告げられ、わたしは素直に返事をした。
ジェイドさんとスヴェンさんが同席するのは、これから行われる質疑応答の証人としての役割と、神官様が管轄していない部分に対する補足回答をする為らしい。
早速神官様の質問が行われ、――名前、は昨夜聞いたなと呟きその後は年齢、どこの国から来たのかなど聞かれた。
国の名前については『日本』と答えたが、この世界には存在しないそうだ。
どんな国かと聞かれ、問われるがままに空飛ぶ乗り物の飛行機やガソリンで動く車、スマホやパソコンといった電気製品、文明や治安についても話した。
わたしの話を聞けば聞くほど神官様はその眉間に皺を寄せ、ジェイドさんは目を真ん丸に見開いており、スヴェンさんは感嘆の声を漏らしていた。その様子に首を傾げていると、神官様から『信じられん話だ』という呟きが聞こえてきた。
「―――文官達が聞けば飛びつきそうな道具ですね」
情報処理に長けた機械について簡潔に伝えるとジェイドさんが溜息を零しながらそう言った。
「―――電話ですか、それがあれば速やかな情報伝達が可能になりますな」
この世界では手紙や人による伝令、時に魔法による連絡といった手段になるそうで、スヴェンさんも興味津々のようだ。
「―――車に、飛行機。移動が短時間で行え、防衛にも力を発揮しそうです。ユズハ様の世界は素晴らしいですね」
「―――…はぁ」
わたしの話に目を輝かせているジェイドさんだったが、わたしから言わせてもらえば、魔法が当たり前に存在しているこの世界だって十分魅力的で素晴らしいと思う。便利な電気製品がないのは少し不便かもしれないが、魔法の方が素晴らしい。
この部屋の明かりも魔法によるものらしく、ランプの中にビー玉くらいのサイズの石が入っている。
魔導石というらしく、それが魔力を感知して光ったり消えたりしているそうだ。
ランプ以外のものについても似たり寄ったりで、核になっている魔導石に魔力を流して使用するらしい。そこまで話を聞くと果たしてそれらはわたしに扱えるのだろうかと青ざめてしまったが、神官様曰く、わたしにも魔力があるらしい。
え?何それ?ほんとですか!?
自分では欠片も感じられないのでどうやったら魔力が使えるのかすら分からないが、想像の中でしか有り得なかったそれらの恩恵が自分も受けられるのかと思うと喜びに震えた。
「―――簡単には、いかないだろうがな」
神官様がぼそっと不穏な呟きを零したが、取り敢えず聞こえないふりをしてスルーしておいた。
その後もいくつか質問され、それにスラスラと答えていくと神官様は深々と溜息を零した。
そして、わたしは異世界からの来訪者であるということが確定付けられた。
「―――聞きたいこととは?」
一通り確認すべきことが終わったのか、神官様はわたしに告げた。
今度はわたしが質問していいらしい。
*・*・*
わたしが気になっていたことはあらかた説明してもらえた。
今は未だ答えられないと言われたこともあるが、『今は』ということならその時が来れば教えてもらえるのだろう。
現在この国では瘴気が発生しているという。
魔物が活性化し、その数を徐々に増やしているのはその為らしい。
瘴気は普段から発生しているが、それは国内のごく限られた場所のみで、その枠を越えて国中の至る所で発生するのは国の存亡に関わる重大な危機が起こる前触れなのだとか。
数十年から数百年単位でこの世界のどこかで起こるそれは、その現象を鎮静化することのできる力を持つ者がいないと対処できないらしい。
今回その力を持つ者を呼び寄せる為、召喚の儀が行われ、その結果わたしが呼ばれたのだ、と。
話を聞いていても雲の上のことのようで実感がわかないが、ともかくわたしが日本でないフォストゼアという国にいるということだけは理解が出来た。
課せられた役目の大きさに一瞬眩暈を覚えたが、やってみたいと思う自分がいることもまた確かだった。
出来ないことは出来るようになればいい。出来ないときは別の方法を考えよう。
それがわたしの持論だ。
場合によっては安直だと思われるがこれまで特に問題が生じたことはなかったからこれからも大丈夫な気がしていた。なんとなく、だけど。
さして驚愕するでもなく始終落ち着いた態度で話を聞いていたからか、神官様の眉間には皺が寄っている。
何やらぶつぶつと呟くような声も聞こえる。
警戒されているのかな?とも思ったが、そうではないらしい。
ジェイドさんに『思ったよりも冷静ですね』と苦笑を零された。
その言葉にわたしは―――だって、なる様にしかならないし?と答えるとジェイドさんと神官様は揃って大きな溜息を零した。
ジェイドさんに至っては更に『さすがグリフォード殿が結んだ縁だけのことはある』と明後日の方向を見ながら呟いていた。
その言葉にわたしは首を傾げるばかりだった。
スヴェンさんが用意してくれた紅茶を飲み一息つくと、ジェイドさんは必要な情報は確認が取れたと、持ち込んだ書類を整理し始めた。
その様子にわたしは気になっていたことをもう一つ思いだし、彼に尋ねた。
「ジェイドさん」
「はい」
わたしが呼びかけると彼は書類整理していた手を留め、わたしの方へ振り返った。
「昨日部屋を出ていくとき、わたしが神官様に悪さするかもと言ったら『そんなこと絶対にありえませんよ』って言ったのなぜですか?」
わたしのその言葉を聞いたジェイドさんはぽかんとした表情をした。
スヴェンさんは苦笑を零している。
神官様はというと驚愕に目を見開いた後、眉間に皺を寄せて片方の手で頭を抱えていた。
三者三様のその様子にわたしは首を傾げて三人を交互に見つめていたのだった。