第62話 -決意-
お待たせして申し訳ありません。
暫く泣き崩れ激しくせり上げていた嗚咽がだいぶ治まった頃、緋龍はまたぽつりぽつりと話しだした。
「他者を想う感情は、何よりも相手を癒す力となる。多ければ多いほど、その力は絶大なものになる。だから神子、そなたはそのままで、そなたの【魂の番】を想い続ければ良い」
「…わたしの【魂の番】…?」
真っ赤な目で見上げ首を傾げているわたしに、緋龍はふっと小さく笑ってからわたしの頭を撫で、柔らかな笑顔を見せた。
「そなたの傍に常に在る者。その者がそなたの【魂の番】だ」
「それって……」
ただ一人の顔が浮かぶ。
その人であって欲しいとわたし自身が願っているからなのだろう。
違うと言われるのが怖くて、明確に彼の名を口にすることができないでいた。
「あれはとても危うい。そなたを失うような危機が訪れれば、間違いなく怨龍となるであろう。元々、強大な力も持っているが故、怨龍となってしまえば、この国は瞬く間に焦土と化すだろう。それだけでは収まらぬやもしれぬな」
「………」
緋龍の目は遠くを見つめている。
その瞳にはほんの少し、呆れの感情も混じっているように見えた。
「無茶はするな。あれを救えるのは、そなただけだ。そしてそなたを護れるのもまた、あれだけだ。双方らが穏やかに共にあることが、今後の平穏に繋がる」
緋龍が誰のことを差して言っているのかははっきりしない。けれどその言葉の端々から、この空間に至るまでのジェイドさん達を含めたやり取りの数々から、どうにも彼の人を差しているのではないかと思えてならない。
「自身の【魂の番】が誰なのか、明確に言葉にしないのは不安か?」
わたしが感じている不安が顔に出ていたのか、緋龍は敢えてそれを問いかけてきた。
隠しても仕方がないことなので、わたしは素直に頷いた。
「もしわたしが思っている人物でなかったらと思うと、不安ではあります」
「ふむ、それもそうだな。だがしかし、そなたが思う人物で間違いないと思うぞ」
その言葉に僅かに俯き彷徨わせていた視線を緋龍へと向けた。
「あれが幼き頃に、我は加護を与えた。その直後にあれは大切なものたちを失い、感情が爆発し【兆し】を迎えた」
緋龍が語る言葉に静かに耳を傾けながらも、胸はどくどくと煩く脈打ち落ち着かない。
掌をぎゅっと握りしめて溢れそうになる感情を必死に抑え込んだ。
「あのまま激情に身を任せていれば、怨龍となっていたであろう。だが、あれは出会った。自身の【魂の番】に。自身を鎮めることのできる唯一の存在に」
一旦言葉を切ると緋龍はわたしへと視線を向けた。
その瞳にはかつて加護を与えたその存在への慈しみと憐れみと、我が子を見守る親のような親愛の情が見て取れた。
「そなたが鎮めたのだ、ユズハ。そなたが、あれを救った。【時渡り】の力をもってして時を超え、憤怒の感情が紋様として形作る前に、幼き者に現れた兆しを散らしてみせた。もう誰のことだかわかるであろう?」
緋龍の声はこれまで聞いたどれよりも穏やかで優しくわたしの耳に届いた。
不安に胸を打っていた鼓動は、安堵と歓喜へと変わり体中にじんわりと広がっていった。
「はい、はい。エルヴィス様。ありがとうございます」
わたしが出会った幼き者。それはたった一人しかいない。
夢の中で起こった出来事だとしか思っていなかった。
幼いディーに会ったことも、その一つでしかないと。
大切な人達を失って感情を爆発させたディー。
左肩に刻まれていた緋龍の加護の紋様が、朱から黒へと変わっていく様を見た。
それを止めたくて、ディーが怨龍になってしまうなんて嫌で、周囲を拒絶する彼に必死で手を伸ばし、その小さな体を抱きしめた。
これまでに見てきた神子と紫龍の夢とは違って触れることも叶った。
幼いディーの姿から、過去に起った出来事なのだとは思っていた。
過去に介入することは未来を変えるということ。
安易にそれを行ってよいものではない、ということは嫌でも分かる。
けれどあれだけは、ただ見ていることなどできはしなかった。
だって、それをすれば失われてしまうのが分かっていたから。
わたしの大切な人が失われてしまう。
それだけは、たとえ未来を変えてしまうことになったとしても、絶対に嫌だったから。
「あれが怨龍とならずにすんだことで、変わった未来もある」
緋龍の言葉に含まれているもの、それが何となくわかった。
未来が変わったことで、本来受けずにすんだはずの災いに見舞われてしまった人がいるのだ。
何処とも知れない場所で、誰とも分からない人が苦しみ、悲しんだのだろうということが。
それでも、わたしはどうしても今を間違えてしまったとは思いたくなかった。
自分勝手で自己満足。
怨龍を怨恨の感情から解き放ち、世界に平和をもたらす者としての使命を追っている神子が、天秤にかけるでもなく選び取ってしまった大切なもの。
ディーが怨龍になってしまった後の未来と、わたしが選んだ結果訪れる未来と、果たしてどちらが幸せな未来だったのか。
それは誰にも分からないし、想像することも難しい。
「過去を変えてしまったこと、後悔はありません。そのせいでこの先の未来が変わってしまったとしても、わたしは最善を選び取っていくだけです。全ての罪は甘んじて受け入れます!」
迷いなく言い切って、揺るぎない強い思いを胸に緋龍を見つめた。
不安がないとは言い切れない。
けれど、彼を、ディーを救えないこと以上に恐れるものはないから。
彼を失うことに比べたら、どんな痛みも感情も耐えられると思う。
それだけわたしにとって大きな存在になっていたから。
きっと最初から、この世界に呼ばれてそして最初に出会ったあの瞬間から、わたしはディーに心奪われていたんだと思う。
一瞬にして目の前に現れ、魔物の襲撃から助け出してくれた時のことがつい先ほどのことのように鮮明に脳裏に浮かび上がる。
一陣の風が起こり、目の前に現れた深紅のローブ姿の人物。
その時はまだ顔も声も、性別すらも分からなかったけれど。
確かにわたしの全神経に刻まれたその姿。
ディーと過ごした日々を思い返せば、胸の奥にほんわかと温かな感情が生まれ、口元には知らず笑みも浮かぶ。
彼の【魂の番】であることが、何よりも嬉しいと感じている。
ディーを救える力を持っていることを誇りに思う。
だから、何があっても強くいられる。
「我に言えることは一つ。怨龍がもたらす悲しみは、それ以外がもたらす悲しみとは比べものにならない程に大きく、広範囲に影響を及ぼすということ。防げるものであるなら、防ぐべきであるものだ。そなたの選択は、起ったであろう多くの悲しみを防いだことにもなる。多いに迷えばよい。決断が難しいときは、まわりを頼れば良い」
「そう、ですね。はい!」
「我もまた知恵を授けよう」
「ありがとうございます」
緋龍の言葉に早速もう一つ気になっていることを尋ねた。
「エルヴィス様、わたしがわたしの【魂の番】と穏やかに過ごすことで平穏が続くとしても、今は別の怨龍の危機に見舞われているのではないのですか?」
「そうだ」
「怨龍は悲しみの象徴。故に、怨龍を癒し鎮めるものまた人の思い。すなわち人々の誰かを大切に思う感情だ」
緋龍の言葉をしっかりと胸に刻んでいく。
これからわたしがすべきことがそこに示されているのだ。
「そなたはすでにたくさんの神子と出会い、その願いを託されている。神子の力を解放するには、人々の誰かを大切に思う感情が必要だ。欠片では足りぬ。多くの思いが必要だ。その思いが強ければ強いほど、多ければ多いほど、神子の力も強くなる。そしてユズハ、そなたはこれまでの神子達の願いだけでなく、歴代の神子達の【魂の番】を鎮める力をも受け継いでいる。故にそなたならば、他の怨龍であっても鎮めることができるであろう」
これまでに見た数々の夢の中で、神子達の願いを聞いた記憶はある。
目覚めた時には忘れていたそれらが、今は鮮明に思い出せた。
幼いディーに出会ったあの夢でも、残していく我が子へ強く生きて欲しいと願う両親の想いを聞いた。
そのことを思い起こせば、腕輪を彩る魔導石が温かな熱を持つような気さえした。
彼の人達の想いが、そこに宿っているのだとの確信が何故だかあった。
「でも、わたしにその力があるとして、どうやったら神子の力を使えるのでしょうか?わたしは魔法すらも、まだうまく使えません」
「そこは我にもまだ分からぬ。ただ、先に述べたように『神子の想いは言葉となり、風に乗って詩となり、怨龍の心に届いた』ということ」
少し前にも確かに聞いた言葉。
再度、緋龍の言葉を聞いて、わたしの脳裏にはディーが教えてくれた一説が浮かんだ。
緋の神子は、緋龍の為に彼を称える詩を詠いその心を尽くすことで彼の力を増幅する。
「もしかして詩って……」
「確かなことは分からぬ。だが、元々形作られ定められた何かではない、ということは言えるだろう。そして【緋】の神子とは、【緋龍】の神子というわけではない。緋の龍の元に現れし神子、の意だ。緋の龍の元に現れし、【彼の龍】を鎮める力を持つ神子。即ち我の治める地、このフォストゼアに現れた怨龍を鎮める役目を負う神子のことだ」
緋龍の言葉にわたしは驚きを隠せなかった。
緋の神子とは、緋龍の神子のことだと思っていたから。
「ですが、【緋龍の為に彼を称える詩を詠い】と…」
「緋龍の為にとあるが、【彼を称える詩】の【彼】が誰を差すかは、解釈の違いだ」
「!!」
「この国で、彼の者を紫龍へと誘う力は、元々は【緋龍】に与えられたもので、元を辿れば一匹の龍へと辿り着く。全ては繋がっているのだ」
目からうろこが落ちるとは正しくこのことだろう。
わたしはこの空間で緋龍と話をしていく中で、何度この体験をしただろう。
思い込みが如何に視野を狭めるかということが身に染みた。
詩については緋龍にも良く分からないとのことで、【時渡り】をする中で、おのずと見えてくるだろうと言われた。
緋龍から聞いて初めて知った【時渡り】という言葉が、どういうものなのかを問うわたしに、緋龍は神子にのみ現れる力の一つだと言った。
夢だと思っていた事柄全ては、神子の【時渡り】という力によって見せられていた過去だと。
神子が夢を繋ぐことで、その想いと力を次の神子へと繋いでいく力、それが【時渡り】。
悲しい過去を見せることは、二度とそんな想いはさせない、そんな悲劇は起こさせないという強い決意を生むための布石。
悪の象徴としか語られない【怨龍】の心髄を伝えるための力。
「怨龍を鎮めることができるのは、その者を大切に思う想い。故に、怨龍となるに至った途を知らねば、鎮めることも出来ぬ。そういうことだ」
一つ一つのことが、わたしの中に確かな力となって息づいていくのが分かる。
知らなかったことがどんなに多いかを思い知らされた。
怨龍は世界を混乱に陥れ、悲しみを生む排除すべき存在。
そんな風に考えていた自分が、情けなくて、恥ずかしくて、大いに反省することになった。
歴代の神子の力を受け継ぐことは、彼の人達の悲しみも痛みも、相手を想う感情も、全てを受け継ぐことなのだと知った。
「【時渡り】はそなたが自由に扱える力ではない。何時、何処で、どのようにして現れるかは、我にも分からない。注意すべきは、夢に囚われないことだ。神子の力を受け取るには必要なことだが、心を寄せすぎれば壊れてしまう。それでは本来の目的が成されない。一人で立つ必要はない。まわりを頼り心を開けば、誰かを想う感情は更に大きくなる。その意味は、分かるな?」
「誰かを想う気持ちが神子の力になる。多ければ多いほど、大きければ大きいほど。エルヴィス様が先程口にされた、この言葉のとおりということですね」
「そうだ。だから神子、そなたは一人で頑張らず、まわりを頼るよう心掛けよ」
「はい。頑張ります!」
握り拳を作り意気込むわたしを見て、緋龍は少々不安そうなまなざしを向けていた。
大丈夫です!無茶はしません!
無意識の行動までは、ちょっと、かなり制御できる気がしませんが!
きっと、大丈夫!
*・*・*
その後も、緋龍と話したことはとてもたくさんあった。
そのどれもが大切なことばかりで、わたしがこれから行うべきあらゆることへ決意を新たにする機会となった。
最後に緋龍が付け加えるようにして教えてくれたこと。
それは加護についてだった。
わたしには既に魂の番が存在していて、その相手との強い繋がりができあがっていたがために、緋龍の加護を受けることができなかったのだそうだ。
わたしの【魂の番】がまだ存在していない、もしくはその番との繋がりができあがっていない状態であれば、緋龍の加護を受け取れただろうこと。
そして緋龍は、この世界に現れるその前からわたしの【魂の番】が存在していたことと、この世界にやってきたその瞬間から互いに強い繋がりが出来上がっていたことに、呆れているとともにかなり憤慨していたらしい。
「龍という生き物は、総じて嫉妬深い。そなたがほんの一部であれ、誰かに奪われるようなことになれば、あれは手に負えなくなるだろう。そなたは何よりもまず一番に、己の身を大事にしろ。それが全ての平穏に繋がる。決して先のような無謀な行動は取ることがないよう、慎むことだ」
「え、………はい。心しておきます」
わたしに加護を与えることができなかったことについて、緋龍は面白くなかったようだ。龍は嫉妬深いというその言葉は緋龍にも当てはまるのだろうか?
そっと窺うように緋龍を見つめていると、バツが悪いように僅かに顔を顰めた彼はふいっと視線を逸らした。
偉大な龍のその可愛らしいと言える仕草に、思わず笑みが零れた。そして大げさとも取れる、緋龍が口にした言葉に少し考えを巡らせた。
ほんの一部ってなんだろう。
奪われたらだめとは、何が大丈夫で何が駄目なんだろう。
キスはだめだとして、ハグもだめなんだろうか。
もしかして傷を負うのもだめとか言わないよね?
え、頭を撫でられるのは、大丈夫だよね?
でないと、ジェイドさんとかグレン様とか、結構な人に頭撫でられているんだけど。
え?どうなの?…ちょっと、本気で分からなくなってきた。
一抹の不安を覚えながら悶々と阿呆な考えに陥っていくわたしを、緋龍は微笑み温かいまなざしで見つめていた。
前回の更新から長いこと空いてしまいました。一度データが消失してしまったことで、内容が多少変わりましたが、こっちの方が良かったかもとも思いました。
行き当たりばったりの物書きで申し訳ないです。




