第61話 -魂の番-
龍の加護と紫龍の関係について聞いた後も、話はまだ続いていた。
「加護の紋が視認できる場合があることは、気が付いているであろう?」
「はい。加護を受け、授かった力が体になじむまでの間と、黒く変色してしまった場合の二つですよね」
「その通りだ。黒く変色する理由にも見当がついているであろう?」
「紫龍へと変わる兆し、ですか?」
「そうだ」
分かっていたことだけれど、改めて言葉にされると憤りを隠せない。
グッと歯を噛みしめ、緋龍の話に耳を傾けた。
「紫龍、後に怨龍となるには条件がある。元々加護を授かった者達は、誰も彼も総じて心根の優しき者達だ。意思が強く、大切な人を護る強さを欲した。そんな彼らが怨龍となるきっかけは、【憤怒】の感情だ」
「憤怒…」
「それも、大切な人を蹂躙され失った者の怒り、悲しみの感情。他者へ、そして世界へ抱いた抑えきれないほどの憤怒の感情。それにより【龍の呪い】は発動する。そなたも見たであろう、過去の龍達の姿を」
「はい…」
目の前で大切な人の命を奪われ、その悲しみと怒りで怨龍となった紫龍達。
これまでの緋龍の言葉から、怨龍となったのは元を辿れば加護を授かった一人の人間であるということだ。
男性が多かったのだと思う。
怨龍の傍らにはいつも、命を奪われた女性の姿があったから。
「加護の紋が黒く染まったからと言って、すぐに怨龍となってしまうわけではない。憤怒の感情が成長するにつれ、紋様も成長し、やがて芽吹きを迎える」
「!それは、あの心臓の真上に現れる花の蕾のような痣のことですね」
「そうだ。中には一気に芽吹く者もいる。だが多くは、元来の意思の強さと優しさ故、憤怒の感情を抑え込む者の方が多い」
「蕾が花開けば…」
「怨龍となる」
決定的な緋龍の一言に、一瞬呼吸が止まってしまったかのように息苦しさを覚えた。
気を抜けば、すぐにでも行き場のない悔しさをぶつけてしまいそうで、両手をぐっと握りしめて必死に耐えた。
「…怨龍となってしまえば、もう人には戻れないのですか?」
一縷の望みを掛けて口にした言葉は震えていた。
夢の中で見た過去の出来事の中には、傍らにいる女性と穏やかな表情で笑っている紫龍の姿もあった。
あの紫龍も、元は緋龍の加護を授かった一人であるのなら…。
「怨龍となるに至った【怨恨】の感情を、昇華させてやれば良い」
緋龍のその言葉に、わたしは喜びを隠すことができず目を見開いた。
けれど告げた緋龍の表情は、依然として険しいままだった。
そのことに不安な気持ちが掻き立てられた。
緋龍の表情から、その理由はすぐに思い当たった。
「簡単にはいかない、のですね?」
「…そうだ。大切な者を失った痛みは計り知れず、簡単に世界を滅ぼせるだけの強大な力を秘めている」
重々しい空気が流れる。
緋龍は目を伏せ、静かに続く言葉を口にした。
「そして怨龍となってしまったということは、【魂の番】を失っているということでもある」
「【魂の番】?」
「怨龍となるに至った者が【憤怒】の感情を抱くきっかけは」
問いかけるような緋龍の言葉に、わたしは先程彼から聞かされたことを思い出す。
「っ!大切な人の【死】……」
わたしが小さく呟いた言葉に、緋龍はゆっくりと頷いた。
「【魂の番】とは怨龍となった者にとって、自身の命よりも大事に思っていた者のこと。憤怒の感情を成長させ、芽吹きを迎えるに至るほど、彼の者にとって尊き存在であったということ」
「………」
「そして最も重要なことは」
一旦言葉を区切った緋龍は、静かに目を伏せ深く息を吐き出してから続く言葉を口にした。
「【魂の番】は、その怨龍にとっての【神子】であったということだ」
「えっ…【神子】……!?」
ああ、そうだ。知っている。
わたしは夢の中で、いくつもの想いを聞いたではないか。
相手を思いやる優しく、温かな感情の込められた女性の声を。
紫龍を想う、心を。
「怨龍の怒りを鎮めるのは【神子】の役目。【魂の番】である【神子】ならば、最も容易に鎮めることが可能だ。だが、これまで怨龍となった者の【魂の番】である【神子】の多くは、その役目を担うに至らず死している」
「………」
「怨龍を消滅させる術は三つ。一つ目が神子による【鎮魂】。二つ目は【自滅】。破壊や殺戮などを繰り返すことで、怨龍自身が怨恨の感情を昇華させ、後に消滅する。最後に三つ目が、他者による【討伐】。神子により【鎮魂】された龍体は、人の姿へと戻る。【自滅】は最悪の場合、国が亡びる。かつてこの世界で最初に怨龍が現れた国が、その途を辿った。【討伐】は言葉のとおりだ」
怨龍による脅威を収める方法は【鎮魂】【自滅】【討伐】の三つ。
その過程を思えば、どれも安易に選べるものではない。
その事実に、何とも言えない苦い感情が喉の奥に鎮座して、胸をしめつけた。
けれど淡々と語る緋龍の言葉の中に、一つの光を見つける。
神子により【鎮魂】された龍体は、人の姿へと戻る、というその言葉に。
「【鎮魂】に至った件があるのですか!?」
緋龍の言葉が途切れた瞬間に、食い気味で問いかける。
彼は少し驚いたように小さく目を見張り、そしてその問いに答えてくれた。
「…ある。だがそなたが思っているような光明とは言えぬぞ」
「どういうことですか?」
「怨龍となったということは、その者の【魂の番】は生命の危機に瀕しているということだ」
「っ!!」
息を呑み黙り込むわたしを、緋龍は慰めるような優しい眼差しで見つめ、残酷とも言えるその結末を教えてくれた。
「死の淵にある神子は、己の【魂の番】である怨龍が、悲痛の心のままに破壊と殺戮を繰り返す姿を見て、その者を想い言葉を紡いだのだ」
お願い、大切なあの人をたすけて。
泣かないで。貴方といられて私は、幸せだったわ。
あの子は優しすぎるから。
今度は二人で幸せになりましょうね。
どれも過去の神子の想いだ。
大切な人を想う慈しみの想い。温かで包み込む優しさが込められた願い。
「神子の想いは言葉となり、風に乗って詩となり、怨龍の心に届いた。その神子の思いによって、怨恨の感情を浄化された怨龍は、紫龍へと、そして人の姿へと戻る。だがこれまで繰り返されてきた歴史の中で、人の姿を取り戻した怨龍が【魂の番】と長く連れ添った例はない。いずれも、時置かずしてこの世を去っている」
「………」
「【魂の番】を失った怨龍は、例え人の姿に戻ったとしても、長くは生きられない」
ぽたりと透明な雫が零れ落ちる。
一つ、また一つとその数を増して、膝の上にだらりと落とした手のひらの上に、小さな悲しみの雨を降らせた。
「神子…」
「………っ」
緋龍の手が俯き涙を零すわたしの頭に乗せられ、ゆっくりと撫でる。
零れ落ちる涙は更にその数を増し、わたしは嗚咽を堪えることもできなくなっていた。
「ふっ……ぅ…っ」
「我慢しなくて良い神子。そなたの、過去の龍達を想う心もまた、次の神子の力となる。そなた自身のための力に」
両手で顔を覆い、体を丸めるようにして泣き崩れてしまったわたしの背を、緋龍の手があやすようにぽんぽんと優しく叩いている。
本当は温かな存在に縋って、その腕に包まれて泣き喚いてしまいたかった。
ディー、ディー。
貴方に会いたい。
傍に居て、今、わたしを抱きしめて欲しい。
貴方の手に触れて、その柔らかで穏やかな笑顔でわたしを安心させて欲しい。
ディー、貴方に、逢いたい。
悲しみの連鎖が引き起こす結末に、わたしは到底納得することなどできず、悔しくて、悲しくて、泣き続けていた。




