第59話 -再見-
ディーが目を覚まさず半月が経過していた。
癒しの魔法を使えるようになってからは、魔導石は使わず医術士のロナさん立会いの下、直接ディーにその力を使っていた。
「状態は安定しているし、むしろ良好と言える程なのですが…」
困惑の表情を見せるロナさんに、わたしもどうにか笑顔を作って返した。
「こうなると、何か目覚めを邪魔している要因があるとしか思えませんね」
緋の神官不在の状況が続き、神官達の間では業務に影響が少しずつ出だしていた。
姫様やグレン様達も、一時帰城した際にディーの様子を見に訪れ心配していた。
全体の状況を確認するや、すぐに他の場所で発生した魔物の殲滅に向かってしまい、心細い日々が続いている。
出発までの間に、表情の優れないわたしを心配した姫様達が声を掛けてくれていた。
「ディクスが目覚めない以外にも、気になることがあるのでしょう」
姫様にそう言われて、わたしは口を開きかけて言葉を呑み込んだ。
ディーの過去を見てきたこと、それ以外の紫龍と神子に関する出来事。
それらは意識のない間に見たことであり、はっきりとは思い出せないことも多々あった。
けれどそれらを思い出すと、様々な疑問が浮かんできて整理することができずにいた。
軽々しく口にできる内容ではないということもあったけれど、何よりも自分があらゆることを知らなさすぎるということが一番自分を悩ませていた。
「時期が悪くて一緒に行ってあげることはできないけれど、緋龍に会いに行ってみたらどうかしら」
「だな。少なくとも緋龍はこれまでの神子に会っているはずだから、色々知ってるだろ」
「貴方が行くと言うなら、信用の置ける魔術士に声を掛けておく」
王宮内に居る時も、どこかに出かける時も、いつだって傍に居てくれた頼もしい人達。そんな皆が居ない状態で、緋龍に会うために焔煉の谷へ行くことは不安の方が大きい。
それでもこうして王宮に留まっていてもわたしにできることなどないし、ディーは目覚めない。
図書棟に足を運んで色んな文献に目を通してみたり、管理官の人にそれらしい文献がないかと尋ね調べてみたりもしたけれど、事態を好転させるような資料は見つからなかった。
はっきり言って、ディーの傍を離れることも、ディーが傍にいない状態で焔煉の谷へ行くことも、どちらもかなり不安で仕方がない。
どうするのが最善なのか、決断することに迷いが生じる。
心が弱くなっていて、視線を落とし俯くと右の手首に着けていた腕輪が目に入った。
左手の指先で、そっと腕輪に嵌め込まれている石をなぞった。
疑問に思っていることをはっきりさせる、そのことに迷いはある。
ディーも、姫様達も居ない状態で、緋龍に会いに行くことに大きな不安も。
だけど、ひとつだけはっきりしていることがある。
ディーに早く目覚めて欲しい、ということ。
そのためにわたしにできることがあるのならばやるべきだ。
わたしは目を閉じて深呼吸すると決意を固めた。
「わたし、もう一度緋龍に会いに行ってきます」
迷いの方が強かったけれど、姫様達の言葉に背中を押され、わたしは緋龍に会いに行くことを決めた。
「護衛につく人材はこっちに任せてくれ」
「はい、お願いします」
その日の午後には、グレン様達が選出してくれた騎士三名と魔導士二名、神官一名にジェイドさんがディーの執務室を訪れていた。
「ユズハです。お忙しい中、ご協力いただき感謝します。よろしくお願い致します」
そう告げて深々と頭を下げると、ジェイドさん達も簡単に自己紹介をしてくれた。
そこには『彼』を追跡するときについてきてくれたレガートさんとリアンさんの姿もあった。見知った顔があることにどこかほっと安堵した。
「ユズハさんを含め八人の小隊となります。各個人それぞれが最善の判断で動きますが、一応総指揮は私が取らせて貰うことになりました。よろしくお願いします」
「ジェイドさんも一緒に行ってくれるんですか!?」
「はい」
にっこりと微笑んでジェイドさんが告げる。
てっきりディーの状態確認と、焔煉の谷に向かうに当たっての確認のために訪れたのだと思っていたので、予想外のことに喜びを隠せない。
「ユズハさんに何かあっては、義弟が目覚めた時、顔向けできませんから。精一杯務めさせていただきます」
「(主に命の危険が…)」
「(辞退した奴、数知れず…)」
「(無事に帰って来られますように…)」
「(目覚めたグリフォード様とは絶対に目を合わせてはいけない…)」
初めて対面する方達は小さく何かを呟いていたが、その声はわたしまで届かなくて首を傾げる。
すぐ傍にいるレガートさんは眉尻を下げ視線を逸らし、リアンさんは満面の笑みを見せているが口を真一文字に引き結んでいた。
*・*・*
前回、焔煉の谷を訪れた時と同様の行程を辿って目的地へと向かった。
違うのは、焔煉の谷へと続く森に足を踏み入れてすぐのところで緋龍が待ち構えていたということだった。
「どうして…」
「ソナタガ来ルコトハ分カッテイタ。授ケタ鱗カラアル程度ノコトハ伝ワッテキテイタカラナ」
周囲に緋龍以外、魔物の気配も感じられないようで、ジェイドさん達は辺りを警戒しつつもほっと安堵の息をついていた。
「神子、ソナタノ問イニ応エヨウ。ソノ方ラハ、城ニ戻ッテイルガイイ。話ガ終ワレバ神子ハ我ガ送リ届ケル」
「しかし、それは…」
ジェイドさんが難色を示した。心配してくれているのだとその険しい表情から分かった。
しかもフィレントの街ではなく、城まで戻れと言っているのだから躊躇するのも当然だった。
「王宮まで送ってくださるんですか?」
「アア。アノ者ノ元マデ連レテ行コウ」
緋龍の言う「あの者」が誰を差しているのか、全員がすぐに思い至り視線を交わして頷き合った。
「緋龍、貴方にお任せてしてよろしいのですね?」
ジェイドさんは鋭い視線で緋龍を睨むように見つめ、再度確認した。
「アア、任セロ」
「彼女にもしものことがあれば…」
「肝ニ命ジル。我モ、アレの怒リハ買イタクナイ」
緋龍のその言葉を聞いたレガートさん達は半眼になっている。彼らの後方で一緒についてきていた神官は大きく頷いている。わたしだけがぽかんとして首を傾げている。
「あれって、エルヴィス様は誰のことを言っているのですか?」
「アレハアレ、ダ。根底ハ同ジ。厄介ナコトニ変ワリナイ」
「「「「「「「あぁ…」」」」」」」
同時に放たれた「あぁ」に既視感を抱いた。何か最近似たような反応ばかり見ている気がする。
ぐるりと彼らを見渡すと、目があったジェイドさんが苦笑を零した。
「それならば、お任せします。大事な神子様をくれぐれもよろしくお願いします」
「分カッテイル」
緋龍に再度念押ししたジェイドさんはわたしに向き直った。
「不安だとは思いますが、大丈夫ですか?」
「はい、緋龍と話をすることは知るためにも必要なことです」
「王宮で、帰りをお待ちしています」
「はい」
「ディクスのためにも、無事に、そして早めに戻ってくださいね」
「はいっ」
「私達のためにも、ね」
最後にそう言ってジェイドさんは片目をつぶって見せた。固かった表情が崩れて、いつもの穏やかな彼の笑顔にどこか安心した。
くすりと小さく笑って、わたしも笑顔で「はい」と返事をした。
「神子、近クヘ」
緋龍に促され、わたしは緋龍の傍へと近づいた。
以前も思ったが、緋色の鱗に覆われた巨躯はとても大きい。
畏怖し、恐怖に震えてしまいそうな存在であるのに、わたしを含め全員が平然としていられるのは、緋龍に全く敵意がなかったからだろう。
むしろ包み込み護ってくれているような穏やかな気配が伝わってきて、皆わたしを心配していながらも、この国で一番の強者である緋龍にその身を託すことを、思うところはありつつも受け入れているようだった。
身を屈めた緋龍の傍によると、その黄金の瞳がじっとわたしを見つめてきた。
「神子、ソナタニシカ話セナイコトダ。ヨッテ我ガ作リ出ス異空間ヘ向カウ。ヨイナ?」
「はい」
わたしの返事を聞いた緋龍は、その前足でわたしを引き寄せると目に見えない何かを辺りに展開した。
心配そうにわたしを見ているジェイドさん達に振り返ると「いってきます」と笑顔で告げた。
彼らの返事を聞く前に視界が遮断され、次の瞬間には目の前の緋龍とわたし以外、何もなく何も聞こえない、果てしなく真っ暗な空間が続いている場所に立っていた。




