第58話 -癒しの力-
本編です。閑話と続けてUPしています。
話の関係で、ディーの魔導石をアメジスト→アレキサンドライトに変更しています。
それは不思議な感覚だった。
場所は過去のグリフォード邸で間違いない。周りは今もまだ焔に包まれていて目の前には小さなディーの姿もある。
けれど先程まではっきりしていた自身の体の感覚がどこかおぼつか無いのだ。
地に足がついていないような状態で、体がふわふわしている。
幽体離脱して意識だけが動き回っていたらこんな感じになるのかなとどこか呑気な考えすら浮かんだ。
それに少し前までの慌ただしい感情が、嘘のように心が晴れ渡っている。
目の前に広がる光景は変わっていないのにそう思えるのは、『彼』と同じ禍々しい気配をその身に宿らせ始めていた小さな体が、悪しきものから解放され温かい優しい気配に包まれているからなのだろう。
意識を失ってもいまだ涙を流し続けるディーの手は、両親の衣をぎゅっと握りしめたままだ。
焔は消えることなく邸を燃え上がらせているが、光の粒子を含んでいるのかキラキラとした輝きがそこかしこに降り注いでいる。
そして何よりもこの焔は、熱い、痛い、苦しい、恐いなどの負の感情を拭い去っているように感じた。
辺り一面が優しい気配に包まれている。
苦悶の表情を浮かべていたはずのディーの両親も、穏やかな顔をして目を閉じている。
きっと大丈夫。
そう感じてわたしはディーの頭をそっと撫でて、泣き続けている目元に触れるだけのキスを落とした。
手首に着けている腕輪がじんわりと熱を持ったことに気づいて顔を上げると、視線の先でディーの両親から小さな光がふわりと飛び出してきたのが見えた。
その光は腕輪につけられた魔導石の一つ、ディーがくれたアレキサンドライトへと吸い込まれて消えていった。
同時にわたしの胸には温かなものがじんわりと広がる。
――貴方の無事を祈っています
――強く、前を向いて進むんだ
―――ディクス、俺達の大事な息子。私達はどこにいても、お前を愛している
大事な人を思う優しい気持ちに触れて、胸がいっぱいになる。
それと同時に、その大事に思う相手ともう一緒にいられないことに対する悲しみがジクジクと胸を刺した。
「ディー、この先の未来で貴方を待っているから。また会おうね」
もう一度ディーの頭を撫でてから、両親の衣を握りしめている小さな手を見ると、母親の衣を握っているその手の中には紫色の輝きを発している宝石があった。
「もしかして、あれがディーの魔導石に……」
わたしに出来ることなんてほとんどないけれど…。
「ディーを、護って」
紫色の宝石を握りしめるディーの手に自身の手を重ねぎゅっと優しく握りしめ魔力を込める。
温かな熱が掌を介してディーの方に流れていくのを感じた。
「お願いね」
ディーの手の隙間から僅かに見えるその宝石に指先で触れてから立ち上がる。
何をするかなんて決めていたわけではないけれど、わたしはこの邸の至る所で奪われた命を、彼らが負ったであろう感情をそのままにしておけなくて自然と体が動いていた。
体の重さも全く感じることはなく、地面を軽く蹴るだけで前へふわりと体は飛んだ。
邸中を見て回り彼らの元を訪れると、わたしの懸念は杞憂だったことが分かってほっと安堵した。
息のある人は一人もいなかったけれど、彼らは皆誰一人として苦悶の表情は浮かべておらず、穏やかな顔をしていた。
そしてキラキラとした光の粒子はあの部屋だけではなく、邸内の全ての場所で降り注いでいて、眠る彼らを優しく包み込んでいるように見えた。
「良かった」
*・*・*
浮上した意識に瞼を開ければ、そこには真白な天井があって、ふいに横を見れば隣のベッドにはディーの姿があった。
小さなディーの姿ではない。
わたしがこの世界に来て会った、大人の男性のディーの姿にほっと安堵した。
それと同時に、大丈夫だと思っていながらも小さなディーの元を離れるのは、やはり心配だったのだと気づかされて苦笑した。
ゆっくりと体を起こした時、部屋の入り口の扉が開いて、医術士の男性が部屋に入ってきた。
わたしが目覚めたことに安堵した彼は、体調や意識を失う直前の状況などを確認してきた。一通りの聞き取りが終わると、まだしばらくはこのまま休んでいるように言われた。
わたしはディーをちらりと見てから、彼にディーのことを尋ねてみたが、未だ目を覚ましていないと告げられた。
医術士の彼が部屋を出ていき一人になったわたしは、ディーのベッドの傍に椅子を持ってきてそこに座った。
布団の中からディーの手をごそごそと引っ張り出しその手に自身の手を重ねる。
ディーの体温は少し低く、わたしの手の方が温かい。
あの時小さな体から溢れていた邪悪な気配はもう微塵も感じられない。
それに、今この掌に感じるディーの熱も、わたしの掌では覆いきれない大きな彼の掌も、すらりと長い指も、あの小さく頼りなさげだった手とは違いわたしを安堵させる。
たまにどきどきと落ち着かない気持ちにさせることもあるけれど、やはりこの人の傍が良いと感じている自分がいる。
いつだったか、ディーに寄り添う美しく着飾った女性の姿を見て嫌だと思ったことがあった。
触らないでと、その手に触れていいのはわたしだけなんだからと。
ディーの傍にいることを許されているのはわたしなのだからと、そんな感情を抱いてしまって、傲慢で自分勝手な思い込みに自己嫌悪した。
あの時はどうしてそんな感情を抱いてしまったのか分からず、嫌な感情を抱いてしまったことに落ち込み反省した。
そう、あの時は分からなかった。けれど―――。
「ああ、そっか。わたし……。ディーのことが、好き、なんだ」
ぽつり零した言葉はすんなりと胸になじんで溶けていく。
ぽすんとベッドに頭を預けて、ディーの指先に額を寄せる。
その指はぴくりとも動かないけれど、生きている証である熱と、鼓動を刻む脈が確かに感じられて、安堵と少しの不安が滲んだ。
「ディー…。早く、貴方の声が、聴きたいよ……」
*・*・*
わたしが目を覚ましてからすでに五日が経っている。
『彼』に印を刻み、攻撃をうけて意識を失ってから数えると八日。
それなのに、ディーは一向に目を覚ますことはなかった。
容体は安定していたことから、部屋はディーのプライベートルームへと移動していた。
起き上がり自由に動けるわたしが、いつまでも医療棟の一室にお世話になるわけにもいかず、かと言って未だ目覚めないディーの傍を離れることに不安な様子を見せるわたしに配慮してもらった結果がそれだ。
申し訳ないと謝罪すると、ディーの治療に関わる人達からは逆に感謝された。
特段治療を施すわけではないが、要観察対象者である為、容体の急変などに備えて随時見守る必要があるが、日々忙しく動き回っている医療関係者としてはその対応も難しく、わたしに任せられるのならと喜色満面の笑顔だった。
その後、更に三日経ってもディーは目覚めない。
毎朝医療棟へディーの様子を報告に行っては魔導石を受け取った。
治癒魔法が付与されたそれは、目覚めないディーにとっての生命線のようなものだ。
栄養もとらず、排出もしない状態では体を健康に保つことはできないのだから当然だ。
ディーの部屋へ戻ると、わたしはその魔導石を彼の手に握らせ、更に自身の手を重ねて魔力を流すことを繰り返していた。
怪我や病気の治療と違って、状態維持のために施すこの治癒魔法はそれほど魔力も使わない。
しかもこの魔法は初歩に属するものらしく、初心者のわたしでも覚えられるだろうとのことで、今猛烈に特訓しているところだった。
「ああ、良いですね。そのままの状態を保ち、その光源を対象に移動させるようイメージしてしてください」
今わたしは、水を掬うような感じで上向けた掌に、ぼんやりとした光を発して浮かぶ白い光を見つめていた。
見ているだけでも癒されるその暖かで優しい光は、癒しの力を纏ったわたしの魔力だ。
目の前にいて、声を掛けてくれるのは壮年の医術士の女性ロナ。
新人の指導係を担う彼女の教え方はとても分かりやすかった。
ディーのように感覚で感じ取れという無茶ぶりではなく、的確な表現を用いた言葉で臨機応変に伝えてくれるのだ。
ディーの教え方の場合、基礎知識のある人だったらすんなりと受け入れられるんだろう。
残念なことにわたしの魔法の基礎知識は本から得た以外ではほぼ皆無だし、魔法は身近にはなかった。
見聞含め、圧倒的に経験不足なのだ。
そして初歩に属する扱いやすい魔法だと教えられたこの治癒魔法。
聖属性に属する治癒魔法だが、わたしにはどうやらそれ自体を発動することができなかった。
それでも諦めきれず、聖属性の魔力を練り上げることができなかったわたしがどうしたかというと。
自身の魔力に癒しのイメージを重ねることで、それらを上手く融合させることができたのだ。
ディーに対して魔導石に付与された治癒魔法を発動させるたびに、その癒しの優しい波動をわたし自身も受け取っていた。
本当はわたし自身に作用しては肝心のディーに施すべき分が不足するのではないかと、気づいて早々に医術士に相談したが、ディーの容体を確認した彼らは全員が「問題ない」と口を揃えて言うものだから、わたしは唖然とした。
それから毎日ディーに治癒魔法の付与された魔導石を使用し続けた結果、わたしの中に治癒魔法を発動した時の感覚と、治癒魔法を受けた時の感覚のイメージが自身の中に出来上がったおかげで、聖属性とは別の治癒魔法がわたしの中で確固たるイメージを持ち発動に至ったのだろうと、ロナさんは言っていた。
日夜練習を重ねること数日、ついにわたしは治癒魔法らしきものを発動することができたのだ。
ディーに何かあってはいけないと、プライベートルームの窓から見える中庭のような場所へ出て練習していた。
窓を開けていたので、ベッドに寝ているディーの様子は、そこにいても窺うことができた。
魔法の練習なんて例え治癒魔法であろうと、何が起こるか分からなくて危険だと言う理由で、安定して発動できるようになるまではジェイドさんの監視がついていたけれども。
そしてそのことを知ったロナさんをはじめとする医術士の人達は大いに驚き、しこたま説教された。
わたしの身を案じてのことだから致し方ないとは言え、皆目がマジで怖かった上に、『無謀神子様』と嬉しくない称号を頂いてしまった(くすん)。
掌に浮かぶほんのり温かい優しい光を、テーブルの上に一つだけ置かれている無色透明のクリスタルへと移動させる。
クリスタルの真上に持ってきた両掌をそっと左右に開くと、中心にできた隙間から光が下へと零れ落ちていく。
無色透明のクリスタルの魔導石の上にちょこんと乗っかっていた光は、じわりじわりと石に吸い込まれるようにして同化していった。
「成功ですね!」
ロナさんが嬉しそうに声を弾ませて告げると、わたし達は手を取り合って喜んだ。
飛び跳ねるようにして喜ぶわたしを、ロナさんは優しい眼差しで見つめ頭を撫でてくれた。
「良くできました」
「はいっ!」
テーブルの上のクリスタルの魔導石を手に取ったロナさんは、それをわたしの手に乗せる。
「もしかしたら、ユズハ様の魔力はクリスタルの魔導石と相性が良いのかもしれません。何色にも染まっていない石は、貴方の色を受け入れやすいのでしょう」
渡されたクリスタルの魔導石をそっと指先で摘まんで持ち上げてみる。
無色透明な石の中心には、先程わたしの掌から移した癒しの力を纏った魔力が、ほんのり白い光を保ったままの状態で内包されていた。
亀更新なこの作品ですが、完結までがんばります。
当初は長くても40話程度のはずだったのに、おかしいなぁ…。




