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第57話 -黒焔-



燃え盛る邸の中でたった一人、命のある者がいた。

その子の姿を目にした瞬間に、どくんと強い鼓動が胸を打った。

部屋の前で立ち止まっていたわたしは、煩く騒ぎたてる胸を掌でギュッと押さえて深呼吸をすると、ゆっくりと部屋の中へ入っていった。


いつか見た、暗闇の中で蹲って声を殺して泣いている男の子の姿が、目の前の子と重なる。

背格好も同じくらい。

違うのはその髪色と、あの子はやせ細っていたっけ。と、随分前のことなのに、つい最近夢に見たかのように鮮明に思い出せた。


あの子の髪は燃えるような緋の色をしていたな。

指通りのよい髪は柔らかくサラサラで。

頭を撫でながら、「声を出して泣いていいんだよ」と繰り返すと、咳を切ったように声を露わに泣き出した男の子。

その様子にほっと安堵し、そして悲鳴にも似た泣き声を上げる姿に胸が痛んだ。


その記憶が鮮明に蘇り、胸を貫く鋭い痛みが走る。

喉の奥がひりついて、何か言葉を発したいのに口は音を紡ぐことなくはくはくと動くだけだった。


男の子の体からは赤い焔に似た揺らめきが立ち上っている。

以前の自分であったら、男の子が焔にまかれていると思っただろう。

けれど今は違う。ディー達に魔法の訓練をしてもらったから分かる。

この波動は焔属性の魔力だ、ということが。

そして、目の前の男の子が発している魔力から感じ取れるのはその属性だけではなかった。


この魔力をわたしは知っている。

冷たくもあり、暖かくもある。そして何よりわたしを安心させる、誰よりも強く自信に溢れた魔力。

わたしがこの世界に召喚されたその瞬間から、いつだってわたしの傍にあって、わたしを助けてくれた人の魔力。


「……ディー、貴方、なの?」


半信半疑ながらも、わたしはぽつりと言葉にしていた。

わたしはディーの幼少の頃を知らない。どんな子どもだったのか、どんな生活をしていたのか。どこの家の子どもで、髪の色も瞳の色も知らない。


以前に一度、ディーに髪の色について尋ねた時、彼はとても辛そうな表情をしていた。

それ以来、何となく尋ねることができなかったのだ。


目の前の男の子の髪色は、赤い魔力の揺らめきに包まれていてはっきりとは分からないが、黒に近い群青色をしていた。

瞳の色を窺うことは出来ないが、きっと緋色ではないのだと思われた。


男の子に近づき、その立ち上る魔力に手を伸ばした。


「――っ!」


指先が立ち上る男の子の魔力に触れた。

そして確信する。


「ディー!」


目の前にいる男の子が間違いなくディーであると認識したわたしは、その場に膝をつき小さな体へと手を伸ばした。

この子が縋りついている男女は、ディーの両親なのだとそう思い至り、胸が一層強く痛みを発した。


ディー、貴方はこんなにも小さい時に、これ程の惨劇に見舞われていたの?

たった一人、生き延びて……。


悪夢を見ていたと彼は言っていた。

その悪夢とは、この日のことを差しているのではないだろうか。

一人取り残された自分を、彼は厭うていたのかもしれない。


小さく震え泣いている彼をすぐにでも抱きしめてあげたくて手を伸ばした。

けれど…。


「どうしてっ!?」


わたしの手はディーの小さな体に触れることはなく、すり抜けてしまった。


「そんな!」


あの日の記憶が重なる。

迫りくる凶刃からエレスティーノ王女を助けたくて伸ばした手がすり抜けてしまって、見ていることしかできなかったあの時のことが。


よく見れば、男の子の服も所々が裂けボロボロになっていた。

ここに辿り着くまでにも何かしら危険なことに巻き込まれていたのだということが分かる。

そしてその破けた服の隙間から、ディーの左肩付近に緋色の淡い光を発する紋様が浮かんでいるのが見えた。


体に緋龍の魔力が定着するまで、その加護の証は体の表面に刻まれているとディーは言っていた。

そのことから考えると、今ここに居るディーは緋龍から加護を受けたばかりなのだろう。


目の前の惨状と彼のことを思えば、胸が一層苦しくなり、涙が滲む。

溢れる涙を乱暴に手で払い、わたしは何度もディーの小さな体に手を伸ばした。


けれど無情にも手は幾度となく彼の体をすり抜けてしまい、抱きしめることは叶わない。

そうしている間にも、ディーの体から立ち上る魔力量が増していった。


「うぁあああああああ!!!」


断末魔にも似た魂を揺さぶるディーの叫び声が、炎に包まれた邸の中に響き渡り、彼から立ち上っていた魔力はどす黒い焔の柱となって一気に周囲を包み込んだ。


「ディ……っ!!」


爆発したかのように一気に周囲へ広がった黒い焔の勢いに驚愕して閉じてしまった目を開けると、目の前で起こった変化にわたしは息を呑んだ。


目の前に居る男の子の姿は瞬く間に変貌していく。

群青色だった髪は緋色に、見開かれた瞳は紫色から緋色に。

そして左肩にあった淡く光を発していた緋龍の加護の紋様は、朱から―――黒、へと。


「……う、そ…」


その光景がにわかには信じられなかった。

緋龍の加護の紋様。その色が黒く変色していく。


「嘘、だって…、あれは、黒い、紋様は……」


黒く変色した緋龍の加護の証。

それを持つということは、『彼』と同じであるということ。闇を纏い、魔物を生む瘴気を作り出す存在になり得るということ。


これまで見たディーの姿が脳裏を駆け巡る。

不機嫌そうな顔、呆れたような顔、本気で怒らせたことも。

けれど一番に思い浮かぶのは、穏やかな表情で笑いかける優しい顔で。

「ユズハ」と彼がわたしの名前を呼ぶたびに、とくんと胸が鼓動を打った。

向けられる笑顔に、嬉しさでいっぱいになった。

真っ先に差し伸べてくれる手に安堵した。

その脳裏に浮かんだディーの姿が黒く塗りつぶされていく。



「……いや、だ。嫌だ、嫌だ!ディーがこんなにも苦しんでいるのにっ!いつもいつもわたしを一番に助けてくれる彼を!連れて行かないで!!」



小さなディーの体から立ち上る黒い焔はその勢いを増している。

先程までは感じていなかった熱が、肌をチリチリと焼く感覚が伝わってきた。

手を伸ばせば、近づいた分だけ焔の熱さが肌を焼いた。


「っ…」


目の前の男の子の左肩にある紋様はその殆どが黒く変色していた。

じわりじわりと色を変えていく緋龍の加護の紋様に視線は釘付けになっていた。

――だめっ!!


全てが黒く変色してしまえば手遅れになる!

無意識にそう思ってわたしは再び目の前の小さな体に向かって手を伸ばした。

黒焔に触れた指先が焔に焼かれ、意識が飛びそうなほどの痛みが襲う。


「っ!……今、助けないで、いつ助けるのよ!」


焔に焼かれる痛みが指先だけでなく全身を襲う。大声を出すことでその恐怖を振り払い、怯みそうになって僅かに引いていた手を再度伸ばした。

無意識のうちに溢れ出していた自身の魔力が、全身を薄らと覆うと先程まではすり抜けていた指先が目の前の小さな体に触れた。

どうしてとか、何が良かったのかとか、一瞬そんなことが頭を過ったけれど、そのことを深く考えるよりも先に、わたしは小さなディーの体を背後から思いっきり抱きしめた。

全身に黒焔が纏わりつき、あまりの激痛に一瞬意識が飛びそうになった。


「絶対に、ひとりにしないって、……約束したんだから!!」


わたしの決死の叫びに呼応して、体中の魔力が膨れ上がり、身に着けている装身具を彩る魔導石へも流れ込んだ。

耳に着けていたピアスが、腕につけていた腕輪の魔導石がその魔力に呼応して光を発する。

各魔導石に込められていた元の持ち主の魔力が、わたしの魔力の影響を受けて肥大した。


目を開けていられない程の眩い緋色の輝きが、自分自身から、そして身に着けていた全ての魔導石から溢れ出し、辺りを包み込んだ。


ディーの小さな体から溢れていた邪悪な黒い焔は、その緋色の光り輝く焔に呑み込まれ色を変えていく。

わたしはディーを抱きしめることで精一杯で気づいていなかったけれど、わたしから発した緋色の光り輝く焔は邸の隅々まで行き渡っていて、そこかしこで息絶え伏している人々を優しく包み込み癒していっていた。



体中の魔力を根こそぎ発していたわたしは、徐々に体が重くなっていった。


「ディー…」


呟くように彼の名前を呼んだとほぼ同時に、抱きしめていた小さな体からがくりと力が抜け、その重みが腕に伸し掛かる。

倒れ込んだ小さな体を片手で支え、その顔に掛かった緋色に染め上げられた髪をそっと脇に払った。

意識を失った男の子の頬を大粒の涙が伝う。


「と、さま…、かあ、さま…、みんな…」


小さく発せられた言葉に、わたしは再びぎゅっと両手でその体を抱きしめた。

そのままいつしかわたしも意識を手放していた。




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