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第54話 -芽吹-


『彼』の姿を目に留めるとどこかほっとしている自分がいることに気付いた。

夢で見た過去の怨龍の脅威まではまだ至っていないことに対する安堵なのか。

それとも、歴代の神子たちの想いがそう思わせているのかは分からなかったけれど。


「なんて禍々しい気配…」


後方を走る魔術士の男性の呟きが耳に届いた。


「真っ暗で何も見えないぞ。あの中心に人がいるのか!?」


騎士の方からも信じられないと言った声が上がった。


部隊を分けたことで少なくなっていたメンバーの中から、戦闘経験が豊富で精鋭の部類に属する者だと中隊長が胸を張って送り出してくれた二人、それが騎士のレガートさんと魔術士のリアンさんだった。



わたしは前方に姿を現した闇の塊の中心部分をじっと目を凝らして見つめた。

全体をぼんやりと眺めるとただの暗い闇の塊にしか見えない彼の周囲。

けれどその『彼』自身に焦点を合わせ、『彼』だけに意識を集中してじっと目を凝らして見つめていると、だんだんと『彼』を包む闇が薄れていきその中心にいる人物の姿がやけにはっきりと映し出された。

濃く深い闇の中心に上半身裸の男性の姿があった。

その『彼』の姿に以前ガラの街で見た時と明らかに違う部分があることに気づき驚愕して目を見開き息を呑んだ。


闇に包まれているはずの『彼』の姿がなぜわたしには見えるのか分からないけれど、これが神子としての力の片鱗なのかもしれない。

わたしは目の前の『彼』の体に浮かび上がった痣から目を離すことができなかった。


以前見た時は『彼』左の二の腕にあった黒く変色した痣。緋龍から加護を受けた証である紋様が黒く変色し、体の表面に浮かび上がったもの。

そしてその黒い紋様から伸びた植物のツタのような模様。それが明らかに成長している。

前回見た時は手の指一本分程度の長さの僅かな芽吹きだったそれが、今は左腕全部を覆い指先まで到達している。しかもその模様は左腕に留まらず肩からあちこちへ分かれて更に芽を伸ばし、首を這い上がり左頬にも模様を描き、左胸へも到達している状態だった。


黒い模様があんなにも広範囲に広がっているなんて!


『彼』の体に広がる黒い模様を目にした瞬間に、これまで夢で見ていた内容がフラッシュバックして脳内を駆け巡った。

夢から覚めた時にその内容をほとんど忘れてしまっていたもの。

それが脳裏に浮かび上がった。




悲痛の叫びを上げながら血の涙を流し、自身の胸を掻き毟る人の姿。

爪が皮膚を割き、掻き毟った胸からも血が流れている。そして流れる鮮血の下、肌の表面に浮かび上がる黒い植物の模様が上半身を埋め尽くしていて、心臓の辺りでぐるぐるととぐろを巻き、そのツタの先端部分に赤みを帯びた毒々しい紫色の蕾がついていた。

その蕾は持ち主の心の叫びを受けて徐々に膨らみ綻んでいき、ついには断末魔にも似た叫び声が上がるのと同時に一気に蕾を開花させた。

蕾が幾重にも重なっていた花びらを大きく開かせた瞬間に、周囲には爆音と爆風が巻き起こり『人』であったその姿は次第にその姿形を変容させていった。


『ギィアオォオオオオオオ!!』


次に挙げられた叫び声は最早人のものではなく、その姿すらも人であったことなど欠片も残さない巨大な獣へと変貌していた。

吹きすさぶ風が土埃を薙ぎ払った後に現れたのは、体の表面が禍々しく不気味に黒光りする紫色の鱗に覆われた巨大な龍の姿。


信じられない光景に思わず叫びそうになった口元を両手で押さえているのは、今なのか夢でのことなのか。




「ユズハっ!」


背後から肩に回されていた腕にグッと力が籠められすぐ近くで自身の名を呼ぶ声がしてハッとした。

そろそろと背後を振り仰いでその声の持ち主へ視線を向けた。


「ディー……」

「大丈夫か!」


馬の歩みを止めわたしを心配そうに覗き込んでいるディーに頷くだけの返事をして前へと向き直る。

黒い植物の模様が徐々に体を覆い始めている『彼』の姿に再び目をやると、胸の奥には泣き出したくなるような痛みがじわりと広がった。


「目標発見に至りましたが手勢が足りません。どうすれば…」


ディーの傍に寄り、同様に馬の歩みを止め前方を注視していたレガートさんが話しかけてきた。

その表情には焦りが窺えた。

リアンさんも眉間に深い皺を刻み前方の闇を睨み付けていた。彼も同じく余裕は見られなかった。


前回『彼』を捕獲した時は姫様の聖属性の光魔法であの纏う闇を祓うことができた。

けれど今回は姫様はここにいない。あの時風魔法で支援してくれたルーク様もいないし、『彼』の攻撃からわたしたちを護ってくれたグレン様もいない。

ディーも魔力が全快していないので、あの時の半分ほどの力しか発揮できないはずだった。

わたしはというと怪我もしていないし魔力も減っていないので体の不調は何も感じていない。それなのに誰よりも戦いに不慣れで自身の魔力すら使いこなせない役立たずとくれば、『彼』との戦いは到底勝ち目のないものだった。


「奴を捕縛するのは難しいだろう。だがどうにかして印だけはつけておきたいところだ」

「……印?」

「ああ。奴の肌に触れ、そこに直接術を刻み込む。そうすれば肉体が消滅しない限りずっとそこに印が刻まれ居場所を示し続ける」

「それって……」


その言葉を聞いたレガートさんとリアンさんの表情が険しくなった。

ディーは簡単に言ったけど、実施にそれを行うのが容易ではないことなど対象を見ればはっきりと分かる。

止まっている相手に印を刻むのではないのだ。

簡単に近寄らせてくれる相手でもないし、『彼』が纏う闇に触れて無事でいられる保証もなかった。


「印を刻めば追跡用の魔術を施した地図にその居場所を示す印が現れる。以前捕縛した際の俺の魔力の残滓はとっくに奴の闇に呑まれて役に立たない。奴に近づくのは危険だが、何もせずみすみす逃すわけにはいかない」


逃げた犯罪者の捕縛やそれに準ずる要観察対象者の把握などに限定して使用を許可されるという追跡用の術式。

緋の神官として政を正しく導く役割を担うディーだからこそ、使用有無の決定権を持つその魔法。使えるのもまた一部の神官だけだと彼は言った。


だとしてもディーだけを危険な目に合わせるのが嫌で、何か方法はないかと必死に考えた。

彼に直接触れて術を刻み込むなんて……。


「その印を刻むのって、ディーにしかできないんですか?」


背後のディーを振り返ることなく前方の『彼』を視線の先に捕えたまま問いかけた。

ディーは覗き込むように体を前倒しにしてわたしの様子を窺っている。

わたしは自身の腰に回されているディーの手に自分の手を重ねてぎゅっと握りしめて続く言葉を口にした。


「ディーのその魔法を魔導石に付与して『彼』に投げつけるとかじゃだめなの?」

「確実に肌に触れなければ印は刻まれない」

「……闇が阻んで届かない可能性もありますね」


ディーの返答に続きリアンさんも懸念を示した。

わたしは悔しくて唇を噛みしめる。


「いつもいつもディーばかりを危険な目に合わせるなんて……いやだ」

「ユズハ?」


思わず零した呟きはあまりにも小さくて誰も聞き取ることはできなかった。


神子に課された使命は瘴気を祓い、紫龍の復活を阻止すること。

『彼』が纏うあの漆黒の闇は濃い瘴気の塊なのだと思われた。

魔物があちこちで発生しているのは『彼』の気に触発されて魔物の発生源となっている場所が活性化しているせいだろう。


夢で見たことが現実に起こることなのだとしたら、『彼』の体に刻まれた黒いツタのような模様。あれが心臓に達しその先端に蕾がつけば最早紫龍誕生まで猶予はないということになる。

そのことを知っているのは過去の紫龍と神子の姿を夢に見たわたしだけ。

黒い模様と紫龍の関係はまだディーには伝えていない。つい先程夢で見たことを思い出したからなのだが、記憶が不確かな部分も多く確証が持てないというのもある。

それに今ここでディーに告げるだけの時間もない。


ぐっと奥歯を噛みしめて決意を固めるとディーに告げた。


「印を『彼』に刻む役目をわたしにやらせてください」

「「「!」」」


わたしの言葉にその場にいる全員が驚きに目を見開いた。


「だめだっ!」


瞬時にディーから鋭い声が発せられた。

背後を振り仰いでその顔を見上げれば、きつく眉根を寄せ睨み付けるようにこちらを見てくる視線とぶつかった。

腰に回されているディーの腕に力が入りしっかりと抱き寄せられてしまう。


「絶対に許可できない」


ぎりっと歯を噛みしめる音がしてディーが喉の奥から吐き出すように告げる。

余裕の感じられないその声にわたしの胸がつきりと痛みを発した。


「ディーには見えますか?あの闇の中にいる『彼』の姿」


わたしはゆっくりとこちらへ近づいてくる闇の塊に視線を移しながら問いかけた。

すぐに返事が返されることはなく、わたしはディーを含め傍にいるレガートさんとリアンさんへも視線を向けてその様子を確認した。

返事はなくともディー達の眉根を寄せ『彼』の様子を探るように睨み付けている表情が雄弁にその答えを示していた。


「わたしには見えるんです。『彼』の体に浮かび上がる黒い紋様も、『彼』がどんな表情をしているのかも」

「っ!」


告げた言葉に驚愕し彼らがわたしへ振り向くのを感じ取りながら、『彼』へと視線を向けたまま続きを口にした。


「『彼』に近づくことができるのもきっとわたしだけだと思うんです。確実に印を刻むには『彼』の姿が見えるわたしが行くべきでしょう?」

「……だめだ、そんな危険なこと…」


苦しそうに吐露されたディーの声が耳に届いて背後を振り返る。

見上げた彼の顔は今にも泣きそうなほどで、懸命に感情を抑え込んでいるのが手に取るように分かった。

わたしも同じ気持ちだからそれが良く分かってそっと微笑んで両手でディーの頬を包み込んだ。


「わたしでは『彼』の攻撃を防ぐことも、『彼』の動きを抑え込むこともできないんです。だからディーとお二人にはわたしが『彼』に近づくための隙を作って欲しいんです」


じっと見つめるディーの瞳が揺れる。これ以上ないほどにきつく寄せられた眉根。彼が少しでも気を緩めれば、その瞳から透明な雫が溢れだしそうだ。

わたしはディーを安心させるように笑みを強くした。

傍にいるレガートさんとリアンさんも賛成はしかねるようだったけれど、誰も他に良い案が浮かばないようでそれぞれが悔しそうに唇を噛みしめていた。


足を運んでくださる皆様ありがとうございます。

今後の展開の詳細を考えていて、まだまだ長くなりそうなことが発覚してががーんってなってます。

こんなに長くなるはずではなかったのですが…とほほ。

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