第53話 -根源-
ガラの街へ向かう途中で気づいた腕輪に嵌め込まれた魔導石が発するシグナル。
どんな理由で点滅しているのか分からず、確認している時間もないことから後回しにせざるを得なかったそれ。
宿舎で見た時は一定間隔で明るくなったり暗くなったりしていたのに、点滅パターンが変わっていることがどうしても気になってしまい無視することができなかった。
ガラの街に近づくほど三回連続で点滅する石の明暗は強くなり、無性にわたしの心を騒ぎ立てた。
もたらされた情報を元にディーが魔物の討伐に向かう場所に優先順位をつけ部隊を配属したことは聞いていた。
向かっているガラの街も近くに魔物が発生したことから、その優先度が高いことも分かっていた。
ガラへ向かうことが正しいのだと理解している。けれどそのことを考えると不安が増していった。
曖昧ながらも感じるぞくりとする気配が背中を這い上がってきて「そっちじゃない、それでは手遅れになる」と何かが訴えてくる。
わたしにしか分からない石の点滅に、わたしだけが感じている不安。
説明し辛いこの状況では、行先を変更するなど誰も納得しないだろうとは思った。
けれど何かを訴えるかのように点滅を繰り返す石を見ていると、最早無視し続けることはできなくなってしまいディーに告げていた。そっちじゃない、と。
困惑しながらも馬の歩みを止め、わたしの言葉を聞いてくれたディーのおかげで石が指し示す方角を特定することもできた。
向かうべき方角が特定されたことで、わたしの不安を掻き立てるぞくりとする気配が鮮明になる。
なぜそれが分かるのか。自分でも理解できない感覚だったけれど、それでも思った。
この先に『彼』がいる、と。
先のグラヴィーで発生した魔物騒ぎで捕えられ護送中に忽然と姿を消した青年。
彼について覚えているのは、左腕の黒く変色した緋龍の加護の紋様とニヤリと不気味な笑みの形に弧を描いた口元。
思い返すと背筋が冷える。
得体の知れない気持ち悪い感覚が体を走り抜けた。
半信半疑ながらもわたしの言葉を聞き入れてくれたディーは部隊を半分に分け、片方をガラの街へ向かわせると残りの半数を率いてわたしが指し示した方へと馬を走らせてくれた。
最初に『彼』がいると告げた時にはまだあった不安。
本当に間違っていないのかと何度も自問自答していたけれど、馬が歩みを進める毎にぞわりとする嫌な感覚がだんだん強くなっていき、漠然としていた感覚が明確になっていった。
向かう先に『彼』は必ずいる。
そう確信に近い思いが頭を過った時、ディーの鋭い声が後方に向けて発せられていた。
「左上空より強襲!散開しろっ!!」
その言葉に咄嗟に左斜め上に視線を向けると、黒い大きな塊が見えて目を見開いた。
腰に回されていたディーの腕にぐっと力こめられると馬が右へと急転回し、体がその動きについて行けずがくりと揺れた。
予想できたはずの馬の動きについていけていなかったわたしは驚きのあまり小さな悲鳴を呑み込んだ。心臓が破裂しそうなほどにドキドキと脈打っている。
全員が瞬時に指示に従いその場を離れた一連の動きに、さすがに場馴れしている人たちは違うと驚きの連続だった。
隊列が組まれていたその中心部では、巨大な落石でもあったかのような爆音と土煙が上がっていた。
中心部には馬の五倍はあろうかというほどの巨大な何かの陰影がある。
それを囲むようにして全員が武器を構え対象の動きを注視していた。
緊張が走り土煙で視界が遮られている中、しゅるりと太い縄のような影が動き、隊列の一部へと襲い掛かった。そちらに気を取られ視線で追いかけていると反対側から爆音が響いて慌ててそちらへ振りかえった。
「…っ。風よ!」
背後で短く言葉を吐き出したディーがサッと腕を振り上げると、風が起こり地面から上空へと吹き抜け土煙ごと巻き上げていった。
視界が晴れたそこに居たのは、頭が獅子で背に翼があり尻尾が蛇という姿の巨大な魔物だった。
あ、あれって…キメラとかいう名前の…!!
「黒い……」
「キメラの亜種か、変異種といったところだろうな」
わたしの呟きにディーが続いて声を発した。
王城に居る時に見せてもらった資料にあった通常種とは色も大きさも違う。
資料では薄い色合いではあったが、獅子の部分と翼は明るい茶色、蛇の部分は濃いめの緑色をしていた。
人と比較して描かれていたそれは、背丈が大人の男性の二倍ほど、羽を広げた横幅が両腕を左右に広げて四人分程度の大きさだった。
だけど目の前の黒いキメラはその三倍はあった。羽も尻尾も全身が真っ黒で、目だけが赤く爛々と輝いている。本来尻尾も一匹の蛇であるはずが、五匹に分かれていた。
部隊を半分に分けたことで戦える人数も当然半分になっている。
巨大な魔物が一匹現れただけと捉えれば、そう脅威でもないのかもしれないが相手はキメラ。
獅子の頭からは焔を吐き出し遠距離攻撃も繰り出してくるし、大きな羽で自在に空を駆けるので、接近戦を主な戦い方としている剣や槍を持つ騎士らにとっては苦戦を強いられる相手だ。
更に尻尾までもが独立して攻撃を繰り出し、こちらの攻撃を跳ね除けるのでキメラの背後にいるからといっても自軍に有利にはならない。
尻尾の蛇が一匹であればまだ戦いやすかったかもしれないが、五匹もの数がいるともはやキメラには前後左右に加え、天地の上下においても死角なしであり、こちらにとってはかなり最悪な状況だった。
キメラ本体の動きを左右する目が多いことで、その四本の四肢すらもばらばらな指示系統によって動くので、獅子や蛇の視界に入っていなくても騎士らが近くに回り込んでいると、その脚で薙ぎ払われたり、土や石を蹴り上げて攻撃してきた。
「これでは迂闊に近寄ることもできないな」
小さな舌打ちをしてディーが戦況を見ていた。
目の前でキメラとの戦いに苦戦を強いられている騎士らを心配そうに見つめながらも、わたしの意識は遠く離れた位置で禍々しく蠢く気配を発する『彼』へと向けられていた。
ディーはわたしが共に馬に乗っていることもあってあまりキメラへ接近することはせず、離れた位置から魔法による攻撃を行っていた。
ここにいる全員でキメラを討伐するほうが、こちらの負傷者の数も抑えられるとは思う。
けれど多分それでは『彼』への対処が遅れてしまう。
そうなると状況はもっと広範囲にわたって悪くなるだろうことが予測される。
「ディー……」
わたしは片手で手綱を操り部隊へ指示を出しているディーを仰ぎ見た。
彼はちらりとわたしへ視線を向けると、素早く近くの騎士に次の指示を出してから一旦その場を離れた。
キメラの攻撃が届かない場所まで離れると、ディーは視線は戦場へ向けたままわたしへと話しかけた。
「奴のことが気になるんだろ」
「はい」
「俺もこの場を優先して留まるのは得策ではないと思っている。しかし…」
ディーが続く言葉を呑み込んだ。それは言葉にされなくてもわたしにも分かった。
戦況が悪すぎる。
キメラだけでも苦戦を強いられているのに、魔力の全快していないディーとほぼ足手纏いでしかないわたしの二人だけで『彼』を追っても、その悪行を止めることはできないだろう。
どうするのが最善か判断がつけられず、ディーが苦悶の表情を浮かべている。その様子を見てわたしも唇を噛んだ。
わたしがもっと力を使いこなせていればもっと違う今があったはずなのに。
悔しくて手をぎゅっと握りしめる。
神子としての役目を何も果たせていない。
残されている文献が少ないにしても、わたしほど力に目覚めるのが遅い神子はかつていなかったと思う。
これまでわたしを取り巻く環境にただ身を任せ、いたずらに時間を過ごしてきた。
皆が何も言わないのを良いことに、実感がわかずどこか余所で起こっている出来事のごとく危機感も持たず、甘え過ぎていたこれまでの自分を思うと口汚く罵ってしまいたくなる。
自身の魔力についての検証も途中で中断したままであるため、結局のところどんな力を秘めているのかすら分からない。
『彼』が発していると思われるぞくりと悪寒のする気持ちの悪い気配が、その存在感を増しているようで焦りが募る。
何もできないにしてもわたしだけでも『彼』の元へ行くべきなのかもしれない。とそう思っている時、ディーが「行くぞ」と声を掛けてきた。
驚きに彼の方を振り向くと、いつの間に傍に寄っていたのかわたしたちの乗る馬の近くには、中年の騎士が一人と壮年の騎士に魔術士が一人ずつの三人が居た。
「ここは我々で対処します。今後の連絡は信号弾を打ち上げますので」
「ああ、そうしてくれ。すまない」
「いえ、ご武運をお祈りします」
「お前たちも、無茶はするな」
状況が分からずぽかんとしている間に、ディーは中年の騎士と話を続けていた。
彼は確か今いる部隊の中隊長の一人だ。
駆け出した馬の背からわたしは慌てて後方を振り向き、その場に残る人たちへ大声で「ご武運を!どうかご無事で!」と叫んでいた。
声が届いた人たちは各々が武器を頭上に掲げて返事を返してくれた。
「ユズハ方向はこのまま真っ直ぐでいいんだな」
「はい」
わたしは背中をディーに預け、鞍をしっかりと両手で掴んで疾走する馬の揺れに振り落とされないようにしている。
進む先を確認したディーが馬の腹を蹴ってさらに速度を上げた。
わたしたちを挟み込むようにしてその後方、左右にも一騎ずつ先程傍にいた壮年の騎士と魔術士が離れないようにピタリとついてきていた。
たった三騎だけで『彼』を追うのは無謀にも思えた。
けれどこれ以上の人員をこちらに割くことが難しい現状であることはどうしようもない事実。
わたし一人だけでも『彼』の元へ向かうべきかと悩んでいたのだから、それからすればディーに加え騎士と魔術士の二人もついてきてくれたのは喜ぶべきことだった。
わたしは気を引き締め直すと『彼』がいるであろう遥か先を睨み付けるように見据えていた。
巨大なキメラとの激しい戦闘音も遠く微かに聞こえる程の距離まで馬を走らせていた。
宵闇はすっかり成りを潜め、空は真っ青な色が何処までも続くすっきりと晴れ渡った快晴。
魔物の出現さえなければ、お弁当を持ってどこかに出かけたくなるくらいに穏やかな陽気で、心地良い風が木々の葉や草を揺らしていた。
そんな明るい日差しを受け、生き生きとした表情を見せていた周囲の風景の中で、わたしたちが向かう方向だけがその鮮やかな色彩を濁らせつつあることに気が付いた。
腕輪の宝石が繰り返している点滅と、胸に湧き起る焦りに似た感情が指し示すままに向かう先は、これまでと明らかに違った様相を見せ始めていた。
明るい周囲の風景の中、ある一点を中心にして暗くどんよりとした靄がかかったような様相を呈している部分がある。
馬が先へと進むごとに、だんだんとその景色の差が明確になっていった。
「あそこか」
ディーから低い呟きが零れた。
後方で馬を操っている騎士達からも困惑の声が漏れていた。
今のところ妨害行為はない。
更に距離を詰めると、遠くからでも視認できる異様な深い闇に包まれた一角が、わたしたちが進む先にはっきりとその姿を現した。
中心部を覆う闇は周辺よりも一層濃く、そこにいるであろう『彼』の姿形を視認することは難しい。
けれどその中心部を目を凝らしてじっくりと見据えていると、わたしにはなぜか彼の姿がはっきりと見えていた。
先の展開に悩み、更新が滞ってしまいました。
足を運んでくださる皆様ありがとうございます。




