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第51話 -意識-


体を起こし、ディーから渡された水で喉を潤す。

染み込むように喉を流れ落ちていく感覚に随分と喉が渇いていたことを悟った。

空になったグラスをディーがサイドテーブルの上に置く姿をぼうっと眺めながら今後のことについて尋ねた。


「これからどうするんですか?」

「魔物の出現地点を危険度別にランク分けしている。最も危険度の高いところから順に殲滅に向かう」

「…そうですか」


聞かなくても分かってはいたことだけれど、改めて確認するとどうしても不安の方が先に立ってしまい声は暗くなってしまう。

ディーに向けていた視線も少しずつ下がってしまう。

続く言葉を発することができずにいると、ディーの手のひらがそっと頭を撫でそのまま頬に添えられた。


「ここに残るか?」


静かに告げられた言葉にゆっくりと顔を上げれば、眉尻を下げ不安げな様子をみせるディーの姿が視界に映し出された。


頬に触れたディーの少し低い体温にほっと安堵したのも束の間、そんな言葉を投げかけられたことにズキリと胸が痛みわたしは間髪入れずに答えていた。


「嫌です!何もできないけど、足手纏いにしかならないかもしれないけど、置いて行かれるのは嫌です!ディーと一緒に行きます!」


わたしの少し大きくなった声に驚き目を僅かに見開いていたディーだったが、一拍おいて表情を緩めた彼は「そうか」と安堵の滲む声で小さく呟いた。


頬に添えられていた彼の手がそのまま後頭部へと回され緩やかに抱きしめられる。


「絶対にお前のことは護って見せるから、一緒に行こう」

「はい」


抱きしめられたまま告げられる言葉に返事をして彼の肩口に顔を埋めれば、彼の体温と自身を包む彼の香りに安堵と不安、自身の不甲斐なさからくる痛み等、いろんな感情がせり上がってきてじわりと涙が滲んだ。

しばらくそのまま彼に身を委ねていると、ディーがぽんぽんと背中を優しく撫でてくれた。

一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせ顔を上げると、腕を緩めたディーがこつんと額を自身のそれと触れ合わせた。


じわりじわりと止めどなく溢れてくる不安が表情に現れているだろう。

先程自身を襲った強い恐怖を覚える感覚が頭から離れない。


わたしを見つめるディーの顔にも不安と困惑の感情が現れていた。

目を閉じて深呼吸をすると、周囲の音を拾う余裕ができたのか、窓の外から聞こえる喧騒が耳に届いた。


まだ深夜とも呼べる時間帯で室内は闇に包まれている。窓から見える空も同じく闇色を纏っている。

それなのに本来ならば人々は寝静まり、開いているのは酒場くらいと思われる時間帯であるにも関わらず、家々が灯す暖色の温かい光が闇夜の中に明るく街を照らし浮かび上がらせていた。


「ディー、外が…」

「ああ街の至る所で準備が進められている」


聞こえてくる喧騒はこの建物の外だけからではないようで、街中の至る所で非常事態への対応が行われているらしい。


暗闇はものを見えにくくするだけでなく少しの物音だけでも人々の恐怖心を煽る。

夜間想定の訓練も行われてはいるが、嗅覚も聴覚も人の数倍も優れている魔物相手では、ほぼ視覚に頼って行動する人間はあまりにも不利である。

人が動き出すには一番避けるべき時間帯であることは間違いなかった。

それでも一刻を争う事態に夜明けまで待っていては被害が大きくなるばかり。難色を示す騎士たちが多い中の苦渋の決断であったようだ。


「俺たちは夜明け直前に出発予定だ。準備ができたら少し寝ておけ」


そうディーは言うが、わたしは先程まで寝ていたようなものだ。

頭はまだぼんやりとしていて考えも纏まらないけれど、今休息が必要なのは明らかにディーの方だ。


「わたしは十分休めました。ディーが休んでください」

「まだやることがある」

「わたしが代わりにできることならやっておきますから」

「しかし…」


わたしがディーの代わりにできることなどほとんどない。

それでも彼の顔に滲む疲労を見れば言わずにはいられなかった。

魔力だってまだ回復していない上に、彼の身に伸し掛かっている負担も疲労も目に見える程度ですんでいるはずがない。


重責を担う彼はいつも自分のことは後回しなのだ。

責任感が強く的確な判断が下せるディーは誰もが彼を信頼し指示を仰ぐ。

緋の神官であるという役割が彼をそうさせているのかもしれないが、これはおそらくディー自身の性格によるものが大きいのは間違いない。


冷たく見えても彼はとても優しく思いやりがあって人を放っておけない質なのだ。

王宮の執務室ではほとんど見られないこの彼の性質は戦場では大いに発揮される。

戦闘中でも常に視野を広く持ち、手の届く全ての場所に対してあらゆる手段を講じる。


以前疑問に思って尋ねたことがあった。

「神官なのになぜディーは自ら前線に立つのか」と。


戦争とは無縁の平和な時代、穏やかな場所で育ち暮らしてきたわたしは本当に無知なことが多いと思い知らされることが多いけれど、小説や歴史に出てくる戦場を取り仕切っているのは騎士や武士を統括する長だったことを考えれば、神官という立場であるディーとは随分と違うと思ったのだ。


わたしの疑問についてディーは、

「政は椅子に座っていてもできなくはないが、物事を鎮静に導くのは現地にいないと最善の判断が下せないからな」と、自分が前線に立つのは至極当然だと言ったのだ。


思っていても中々できることではないそれを彼はやってのけ、そしてそれを当然の義務だと言う。

何でもないことのように言うディーに驚き、この上なく尊敬したのは間違いない。

この人は誰よりも信じられる人だと痛感したのを覚えている。


そんな彼だからこそわたしも譲れないものがある。

今は誰よりもディーにこそ休息が必要なのだから。



「ディー、貴方は作戦指揮の中心人物で大事な役目があるでしょう。体を休めておかないと思考能力も低下します」

「……」


それでも渋るディーにわたしは止めを刺す。


「今ここでわたしの意見を聞き入れてくれないのなら、わたしも自由に動かせてもらいますよ」

「っ!それはだめだ!」


誰かの庇護が必要なわたしが誰の静止も聞かずに自由に動き回ればどうなるか、それはディーが誰よりも一番分かっているはずだ。

案の定ディーからは即座に却下された。


「それならわたしの言うことも少しは聞いてください!」

「……わかった」


渋々ながら頷いたディーはわたしをもう一度緩く抱きしめた。


「俺にそんなことを言うのはお前くらいだ」

「だって…」


ディー腕の中でぼそりと呟けば彼は少し体を引いて正面から顔を覗き込んできた。

首を傾げる彼の目を私は強い視線で真っ直ぐ見つめはっきりと告げた。


「貴方が傷つくのも辛い思いをするのも嫌なんですっ!」


早口にそう言えばディーは目を見開き絶句していた。

半ば睨むようにしていると、彼は表情を緩め苦笑を零した。


「まったく……。本当に、お前だけだ……」


わたしの肩にこつんと頭をのせてディーはぼそぼそと何事かを呟いている。

脱力している様子から少しでも重苦しい感情が払えたのなら良いなと思いつつディーの背中をぽんぽんと軽く叩いた。




あのあとディーは出発するまでに必要な準備を任せてくれた。

魔物の討伐の方はわたしのところへ来る前にすでに指示を終えていたようで、残りは持ち物の確認と物資の補充のみだった。それすらもほとんど時間を要することなく終わってしまう。


本当に何でもできる人で、何でも自分でやってしまう人だ。

一人で全てをやった方が速いのは分かるし、意思疎通ができない煩わしさに心を乱すことも減ると思えば人を頼らないで自分で動く方が気が楽なのも理解できる。


それでも一人で何もかもを背負うのは息つく暇もなく、辛くとても大変で心身を疲れさせるものなのだ。

ほんの僅かでもいいからその重荷を分けてもらうことができたらわたしも嬉しいし、ディーが時折見せる穏やかな表情が好きなのだ。

その表情を見る度にイケメンが醸し出す笑みの顔面破壊力のものすごい威力を思い知るのだけど。



ほっとするのだ。

ディーが気を緩められる場所があるというというのが分かって。


「すり込みかなぁ…」


グレン様や姫様たちにも似たような感情は抱くけれど、ディーに抱くものほど強くない。

この世界にきてからずっと傍にいるから、大事な家族みたいな感覚になっているのかもしれない。


室内の光は落としてあり、わたしが作業している机の上に置いているランプだけが手元を淡く照らし出している。

街の明かりもあって部屋の中は真っ暗にならないが、そのおかげでベッドで眠るディーの姿が確認できて安堵する。

眠ってはいないのかもしれないけれど、横になって目を閉じるだけでも違うはず。


作業を終えて机の上のランプの光も落とせば室内は暗さを増した。

薄暗い部屋を足音を立てないように気を付けながら、ディーが眠るベッドに近づく。


「…ユズハ……」


ベッド脇に立てばすかさずディーがわたしの名前を呼び手を伸ばしてくるところを見て、やっぱり眠っていなかったかと溜息を零すけれど、わたしを見上げるぼんやりとした表情からは起きていた時の強張った雰囲気が抜けていて嬉しくなる。


まだ出発までは時間があるからどうしようかと考えていると、伸ばされたディーの腕に手を引かれて彼の横に倒れ込んだ。


「しっかり休まないと!」

「お前に触れている方が…落ち着く……」

「っ!」


体を起こそうとしたけれど、すでにディーの両腕が背に回されていて身動きが取れない。

ぼんやりとしていたディーはわたしの体温に眠気を誘われたのかすぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。


仕方がないとこっそり息を吐き出し安堵する反面、自分の鼓動はドキドキとその激しさを増してきた。

ディーが無防備に意識を手放している姿などほとんど見ることはなくて新鮮だけど、近すぎる距離と否が応にも伝わってくる彼の体温や匂いを意識してしまうと背中がざわざわする。


家族のような感覚になっているのかと思っていたが、何だか違うような気もしてきた。


あれれ…?


意識し出すと途端に落ち着かなくなってくる。

自分とは違うディーの体温に、背中に回された腕の硬さも、広い肩幅に、無駄な肉がついていないすらりとしながらもがっしりとしている胸元。見上げた視界に映る首下から顎のラインも、何もかもが自分と違い過ぎて男の人なのだと今更ながらに認知した。


どくんと一際大きな鼓動が鳴った気がして、ディーが起きなかったかと恐る恐る彼の様子を窺うけれど、変化は見られず眠っていることが分かって安堵した。

それでもひとたび息をつけば再びドキドキと落ち着かない感情が顔を出す。


定まらない思考にぐるぐると悩まされながら夜明けを待った。



サブタイトルつけるのが段々難しくなってきました…。

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