第50話 -欠片-
足を運んでくださる皆様ありがとうございます。
一同が驚愕して耳を疑った。
「グラヴィーの街が壊滅した……」
呆然と呟いた声は大勢いた騎士の一人だった。
彼はグラヴィー出身の者だそうで、その顔色は酷く悪かった。
止める間もなく飛び出して行った彼に続いて二、三人ほどが走り出ていった。
「止めないんですか?」
わたしは思わず近くにいた年長の騎士の一人に尋ねていた。
極力落ち着いて問いかけたつもりだったが、胸中の不安も焦りも全て顔に出ていたようだった。
眉尻を下げ痛ましげな表情を見せるその騎士は私の問いかけに静かに答えてくれた。
「飛び出していった者たちは皆、あの街の出身の者ばかりです。自分の目で見なければ納得できないのでしょう」
「でも危ないのでは?」
「多くの魔物の出現も報告されていますが、向かった先には先発隊もいます。先の魔物の襲撃で駆け付けた部隊もまだ駐屯していますので、無茶をしなければきっと現地に辿り着けるでしょう」
「…そう、ですか」
飛び出していった人たちの安否も気になるし、壊滅したと言われた街に助けを求める人がいるかもしれない。出来ることならすぐにでも駆け付けたいけれど、きっとわたしが行っても何もできないどころか足手纏いにしかならない気がする。
わたしは邪魔にならないように部屋の隅にある椅子に座り、慌ただしく動き回る騎士たちの姿を見つめていた。
次にわたしがどう動くか、それはきっと今後どうするかを話し合っているディーたちが決めてくれるはず。
それまでわたしに出来ることなどないと言ってもいいくらい何も思いつかなかった。
この慌ただしい状況の中ではどこに手伝いに行っても未熟なわたしでは邪魔にしかならないだろう。
それが分かっているから、わたしは大人しく待っていることしかできなかった。
「肝心な時に役に立たないなんて……」
耐えきれず零れたわたしの小さな呟きを拾う人は誰もいない。
彼方此方から指示が飛び、この部屋への人の出入りも激しい。
その様子を見つめながらわたしは自身にできることは何なのだろうと考えていた。
以前ディーはわたしに加護を受けた者の中で特別な役割を担う者について教えてくれた。
緋の神官は、緋龍の代わりに政を担い、必要な縁を結び物事を鎮静へと導くこと。
緋の騎士は、緋龍の代わりにその力を振るい、立ち塞がる困難を切り開くこと。
緋の魔術師は、緋龍の代わりにその力を行使し、はびこる魔を祓うこと。
緋の聖女は、緋龍の代わりに祈り、その力の恩恵を皆に与えること。
そして…
緋の神子は、緋龍の為に彼を称える詩を詠いその心を尽くすことで彼の力を増幅する。
緋の神官はディー、緋の騎士はグレン様、緋の魔術師はルーク様、緋の聖女は姫様。
みんな自身に課せられた使命を全うし、緋龍に授けられた力を如何なく発揮している。
それに比べて己はどうだ。
緋龍の加護を受けられなかっただけでなく、神子の力もまだほとんど使えないままだ。
神子の力がどういったものなのかすら理解していない。
過去の記録が殆どないことから他から知識を補うことも不可能な神子の力。
自分自身で見つけていくしかないというのは分かるけれど、自分はあまりにも無力でこの世界についての知識もなさすぎる。
考えれば考えるほどに自身の不甲斐なさが悔しくて、ギュッと胸の前で両手を握りしめていた。
俯いた時にふと視界に入り込んだ腕輪をぼーっと見つめていると、ふとあれ?と頭を過った事柄があった。
そのことを意識してみるとどうにもそれが気になって考え込んでいた。
夢に出てくる紫龍と神子たち。
これまで見てきた彼らの姿は日常生活の一部だったり、街を破壊する怨龍の姿だったり、討伐され命を落とす姿だったりした。
ふと神子はどうしていたのだろうかと疑問がわいたのだ。
夢に見たことを念頭に、これまでの神子について考えを巡らせていると、次々と新たな疑問が浮かんでくる。
緋龍の神子はどこにいたのだろうか、と。
いつの時も紫龍の傍らにいる女性は誰なのか、と。
紫龍の傍にいた女性が神子であるならば、緋龍の神子ではないのか、と。
なぜ緋龍の傍でなく紫龍の傍にいたのだろうか、と。
このことを誰かに問うてみてもきっと答えは返ってこないだろうということも予想がついた。
紫龍に関しての歴史的記述は残されていない。
文字にすると消えてしまう彼らに関することは伝承としてしか残されていないからだ。
神子についての記録も殆ど残されていないし、その力についても曖昧な記述しか残されていないようだった。
緋の神官を司るディーが知らないのだから他に知っている人がいるとしたら、紫龍に関わった事のある者に限られる。
今思いつく限りでそれに該当するのは、焔煉の谷で遭遇した緋龍だけだ。
何かおかしな気がする。
何かが根本的に違うのではないだろうか。
緋龍の神子であるはずなのに、緋龍は傍にいない。
他の緋の役割を担う者たちはその加護を受け、授かった力を行使しているのに…。
神子であるはずのわたしは緋龍の加護を受けられなかった。
それは、なぜ?
自分自身に問うてみても答えなど知っているはずもないのだから分かるわけがない。
かと言って誰かに尋ねてみても結果は同じであろうことは火を見るより明らかだ。
そうなるとやはり尋ねる相手は彼しかいない。
これまでこの国に現れた神子を知っているであろう彼ならばきっと知っている。
「緋龍なら、きっと…」
そう思うと一刻も早く緋龍に会いたいと気持ちが急く。
けれど各地を転々と移動している彼が今何処にいるかなど分かるはずもなければ会える保証もない。
「どうにかして緋龍と連絡がとれないかな…」
ぐるぐると考えを巡らせていてはたと気づいた。
加護を授けられない代わりだと言われ受け取ったものがあるではないか。
緋龍が自身の一部を剥ぎ取り渡してくれたもの。
中心が薄っすらと黄色を帯びている緋色の――緋龍の鱗。
もしかしたらその鱗を通して緋龍に連絡がとれるかもしれない。
一筋の希望が見えた気がした。
やってみるしかないとそう思った時突然ぞわりとした感覚がわたしを襲い、とてつもない恐怖と不安が沸き起こった。
一瞬にして思考も呑み込まれてしまい、言葉も発することができずにわたしは意識を手放していた。
*・*・*
『……彼が…動き出す…』
――誰のこと?
『…優しい人なの』
――貴方は誰?
『…彼を、助けて』
――どうすれば助けられるの?
『貴方に託すわ、私の想い。だから彼を……』
――待って、それだけじゃ分からない。
『…――の神子。貴方なら、彼を救える…』
微睡みの中、耳に届く声に問いかけてもその答えは一つとして返ってこなかった。
一方的に告げる声だけが頭に響く。
訳が分からないまま目の前が光で溢れ、眩しくて目が開けていられず咄嗟に両手を顔の前で交差させ光を遮る。
強烈な光が収束し何処かへと吸い込まれていく中、遠くに女性らしき影が見えた気がした。
両手を胸の前で祈るように組み、悲しげな微笑みを湛えた口元。
『…お願い、彼を……救って』
――………。
「待って!!」
一方的に思いを告げるその存在に聞きたいことはたくさんあるのだ。
薄れ往くその姿に向かって発したはずの声を拾ったのは彼女ではなかった。
「っ!!ユズハ!」
驚き息を呑んだ直ぐ後に自身の名前を呼ぶ声が聞こえて、目を覚ましたばかりでぼうっとする状態のまま視線をそちらへ向ければ、ベッドの傍らに膝をつきわたしの手を握るディーの姿があった。
眉根は寄せられ非常に顔が強張っている。纏う雰囲気は重く冷え冷えとしていて、一瞬で覚醒し今の状況を悟ると今度は己が息を呑んで身を強張らせた。
「どうしてお前は心配ばかりかけるんだっ!!」
きぃーんと耳をつんざくディーの叫びにも似た怒声に体ばかりか自身の表情までもが凍り付いた。
あちゃー、またやった…?
窓から見える景色は日が落ちた為かすっかり闇に包まれていた。
部屋の中だけが魔導石が灯す光で明るく照らされている。
今自分がいるのは宿舎の一室でしかもベッドの上。
外はまだ明るかったはずなのに気づけば辺りは真っ暗。
ベッドの傍らにはこめかみに青筋を浮かべ目を吊り上げているディーの姿。
総じて導き出される答えは一つ。
意識を失っちゃったのね…。
ということ。
今後の作戦指揮や魔物討伐に役に立たない上に倒れて心配を掛けるなんて迷惑この上ない…。
恐る恐る見上げたディーはなぜか泣きそうな顔をしていて、握りしめていた私の手に額をこつんとあてて何かを呟いていた。
「…失って、たまるか。もう、二度と…」
すぐ傍に居ながらあまりにも小さなディーの呟きは聞き取ることができなかったけれど、とても心配をかけてしまったことだけは分かってものすごく反省した。
どうして意識を失ってしまったのだろうと思い、自分が何をしていたか記憶を掘り起こしていってようやく気づいた。
意識を失う直前に感じた禍々しい気配を。
「ディー、何か……」
押し寄せる不安を上手く言葉にすることができなくて口籠ると、ディーは分かっていると頷いてゆっくりと現状を教えてくれた。
「彼方此方を漂っていた瘴気が濃くなっている。魔物の数ももう一刻の猶予も許されないほど増えている」
ディーが教えてくれたその内容はわたしが予想していた通りのものだった。
その険しい表情から状況が良くないものであることが窺え、わたしは先程まで見ていたはずの夢の内容などすっかり忘れてしまっていて、ただ大事なことだったはずだという記憶だけが頭の片隅に残っていた。
時間が経つのがものすごく早く感じまする。前回UPからもう一週間も経ってるなんて…。
しかももう50話に到達だなんて…。




