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第5話 -就寝-


ベッド脇に置かれた椅子に座り、なんだかとっても機嫌が悪そうだなと目の前で盛大に眉をひそめている神官ディクス・ヴァノ・グリフォードをちらりと見ては視線を逸らす。そんなことを繰り返していた。


機嫌が悪い原因の一つは先程己が起こした失態によるものだとは思う。

まだ身体も起こせないほど弱っている相手に容赦なく体当たりを繰り返したようなものだから当然といえば当然だが。


わたしは居た堪れなくなって身体ごとぐるりと向きを変えて室内を見渡した。

その視界にスヴェンさんが持ってきてくれた水差しとグラスが入り込み、――あっと小さく声をだした。

まだ起き上がれない彼の方へ向き直ると、わたしの声が聞こえていたのか彼の方もこちらを見ていた。

眉間に皺を寄せて訝しむようにしてこちらを見ていた彼は、わたしと目が合うとぷいっと顔を逸らしてしまった。

その様子を見ているとどうしようか悩んでしまったが、わたしは思い切って声をかけた。


「お腹減ってませんか?」

「……いや」


わたしの言葉に視線を一瞬だけ向けたが、短い否定の言葉と共にまた逸らされた。

それでも怯むことなく続ける。


「水分は?」

「…………」


今度は視線すら寄越さなかったが否定の言葉は紡がれることはなかった。

無言のまま思案する彼の様子を見ていると、ご飯はいらないけど水分は欲しいかも?ということかなと勝手に解釈した。

スヴェンさんが置いていってくれた水差しを持ってこようかと思ったが時間が経っているし、彼が目覚めたことも伝えた方がいいだろうと思い直し、先ほど預かった呼び鈴を鳴らした。


ちりんと小さく澄んだ音色が鳴る。

聞こえた音に顔を向けた彼はわたしが手に持っている鈴を見て何をしたのか分かったようだった。

何も言わないところを見ると咎めるつもりはないらしい。


待ったという程の時間の経過を感じるまでもなく扉をノックする音が聞こえ、立ち上がりそちらへ近づいて行った。

離れられる距離は夕方にスヴェンさんがやってきた時とさほど変わっておらず、辛うじてソファまで辿り着けるかといったところで扉にはまだ手が届かない。

其処からスヴェンさんに声をかける。


「どうぞ入ってください」


かちゃりと扉が開く音がして、「失礼致します」と声を掛けてスヴェンさんが部屋へ入ってきた。

扉を開けることが出来ず立ち尽くしているわたしにスヴェンさんは柔らかく微笑むと一礼した。


「御用件をお伺い致します」


もう間もなく二十時になる。こんな遅い時間に呼び出して申し訳ないと思いつつも、移動できる範囲が決まっているわたしではどうすることもできないのでスヴェンさんにお願いする他ない。


「あの……」


ちらりと視線だけを動かして寝台の方を見遣りぼそぼそっと小さな声で呟くようにして伝えた。


「目を覚まされたので、お伝えした方がよいかと思いまして……」


わたしの言葉を聞いたスヴェンさんはベッドの方へ視線を移し、彼の姿を確認すると「少々お待ちください」と言って下がっていった。

このプライベートルームのすぐ隣はちょっとした休憩室になっている。給湯室もあるらしくスヴェンさんはそちらへ向かったようだ。

わたしは彼が目覚めたことだけを伝えたが、ベッド上の彼を確認しただけで呼んだ理由を察してくれたらしい。スヴェンさんは新しい水差しとグラスを持って戻ってきた。

わたしに笑いかけるとそのままベッドの方へ向かったのでその後をついていく。


ベッド脇のサイドテーブルに水差しの載ったトレイを置くと、スヴェンさんは自力ではまだ起き上がることが困難な彼の背中に手を添え身体を浮かせるとそこにクッションを差し入れた。

水が飲みやすいよう上体を少し起こしてくれたのだ。

動きに一切の無駄がなく、軽々とそれをやってのけるスヴェンさんに流石だなと感嘆の息を漏らした。


スヴェンさんの手を借りながら水を飲んだ彼がほっと息をつく。


「他に入用の物はございませんか?」

「……ない」


尋ねるスヴェンさんに彼は短くそう答えた。


「では、ユズハ様の床の準備は如何致しましょう」


続けて尋ねるスヴェンさんの言葉にそのことを考えてもいなかったらしい彼は僅かに目を見開き息を呑んだ。


「離れられないとお聞きしております。別室を用意してもご利用は難しいでしょう」

「………そう、だったな」


ベッド上の彼はふうっと深い溜息を零し片手で顔を覆った。


「わたし床で大丈夫ですから!」

「…………」


慌てた様子で口を挟んだわたしに二人の視線が突き刺さる。

スヴェンさんは普通に驚いているだけだろうけど、もう一人の方は眉間に皺が寄っている。

無言で睨み付けるのはやめて欲しい。

堪らず視線を逸らした。


「お客様をそんなところに寝かせるわけにはまいりません」


スヴェンさんはそう言うが他にどうしようもない。

王宮執事であるスヴェンさんが言わないところをみると、現時点でこの部屋に運び込めるような簡易ベッドのような物はないのだろう。

もともと想定外の事態が起きているのだ。わたしが寝るための部屋はここではない別の場所に準備する予定だっただろうしそれは仕方ないことだ。

だとしても、簡単に「はい、わかりました」と受け入れられるわけがない。


わたしは少々焦りながら部屋の中を見回した。

床がだめならどこで寝ろというのだ。頭の隅を掠めるものがあるがそれは考えないようにする。

何か解決策はないかと再度部屋の中を見渡して、部屋の中央付近に置かれたソファが目に入った。


「じゃあ、あのソファで!!」


焦りから少々声が大きくなってしまった。

遠くに見えるソファを指さしてそう言ったのだが、なぜか彼もスヴェンさんも困ったように眉根に皺を寄せた。


「お客様をソファに寝かせるわけにはまいりません」

「いえいえ!大丈夫です!!」


困ったように発するスヴェンさんの言葉に若干被せ気味で返答する。

簡易ベッドなし、床だめ、ソファだめときたらもう思いつくのは一つしかない。

先ほどから意識を掠めるそれを、頭を左右にぶんぶんと音でも出そうな勢いで振って否定する。


そこに爆弾を投下したのはベッド上の彼だった。


「―――あそこまで離れられたか?」

「…………」


不機嫌さを隠すことなく低い声で彼が言った内容にわたしは返事を返すことができず固まった。

そう、そこはまだ辛うじて辿り着ける距離でしかなかったからだ。

彼がベッド上で少しでも動いて距離ができたらわたしは簡単に引っ張られてソファから落ちてしまうだろう。其のことが大いに予想できた。

そうなるとどうしたってソファで寝るのは無理だ。

落ちて痛い目を見るだけならまだしも、ソファの向かい側にある机の角に頭をぶつけでもしたら堪らない。

無言のまま視線をついーっと逸らすと大層深い溜息が零され、わたしは苦虫を噛み潰したように顔を顰めるしかなかった。


「―――あきらめろ」


重々しくそう零した彼に驚愕の表情を向けてしまった。


「いやです!!」


咄嗟にそう口にしてしまったのは仕方がないだろう。

何を諦めるというのか!?絶対に嫌だ!床の方がいい!絶対に!!

こんなしかめっ面で大層機嫌の悪い人の傍に座っているのだって勘弁してほしいくらいなのに。

考えられるそのわたしの寝場所に身体全体で拒否の姿勢を見せた。


そんなわたしの耳に先ほどよりも更に低い声が届く―――あきらめろ、と。

わたしはその場にがっくりと膝をつくと嫌だ嫌だと駄々っ子のように呟きを繰り返した。


「ユズハ様、私からもお願い申し上げます。他に術もございません。ここはグリフォード様のおっしゃる通り、彼と共にこちらのベッドでお休み頂きます様、何卒」


ずごぉ――ん!!

二発目の爆弾が投下されたかのようだった。

彼も、わたしもあえてはっきりと言葉にしていなかったそれを、スヴェンさんは掌で指し示しながら渋々といった感じではあるがそう口にした。深々と頭を下げて。


「そんなぁー……」


情けなくがっくりと項垂れるわたしからぷいっと顔を背け彼も溜息を零し続けている。


「彼はおいそれと簡単に淑女に手を出すような方ではございませんのでご安心ください」


スヴェンさんのその止めとも言える言葉はなんの慰めにもならない。

ベッド上の彼は無言を貫いている。心なしか口の端が引き攣っているようにも見えた。


「神官様はそれでいいんですかっ!?」


最後の抵抗とばかりにわたしは彼にそう食って掛かったが、彼は今日一番の最高に機嫌の悪そうな表情で―――仕方がないだろう。と吐き捨てたのだった。

彼のその言葉にわたしは最後の希望は潰えたと再びがっくりと項垂れた。


そんなわたしと彼に苦笑を零すとスヴェンさんはわたしに椅子に座るよう促した。

わたしがそれに従い椅子に座ると、次に彼の方へ近づき「失礼致します」と声を掛けてからベッド上の彼の位置をずらし布団を整えていった。

彼はとても不機嫌そうな表情をしていたがされるがままになっている。

それ程に身体はまだいうことを聞かないのだろう。

彼の身の回りを整理し終えるとスヴェンさんは彼に声を掛ける。


「ユズハ様がお伺いしたいことがあるご様子です。私では返答できないことが多くございましたので、後々にでもご対応お願い致します」

「……わかった」


彼の短い返答にスヴェンさんは一礼して「失礼致します」と声を掛けると部屋を後にした。

スヴェンさんの言葉を聞いて、そう言えば解決してない色んなこと教えて欲しいんだったなぁと明後日の方向を見ながらぼんやりと考えていたが、そんなことよりも衝撃の大きすぎる事態に考えは纏まらなかった。

口を開こうにも何を言っていいのか見当もつかなかった。


「……」

「………」


スヴェンさんの居なくなった部屋はしんとした静寂に包まれていた。

気まずくて仕方がない。

ふと時計を見るとすでに二十一時をまわっていた。

時間は待ってくれない。刻々とその時は近づいてくる。

この後のことを思えば零れる溜息を止めることもできなかった。

壁際に取り付けられたランプの小さく揺れる淡い光を縋る様に見上げた。



―――なんだか今日は災難続きだ、厄日か……。



言葉にこそしなかったが、溜息はその数を増していた。

椅子に座った状態のままがっくりと項垂れ両手で頭を抱えた。


この世界に呼ばれてから予想だにしないことが次々と起こり慌ただしく過ぎ去っていった。

そして今日の一番の災難ともいえるイベントが待ち構えている。


何が悲しくて今日初めて会った超不機嫌丸出しの彼と同じベッドで寝なくちゃいけないんだ。



―――そうだ!寝なきゃいいんだ!



名案が浮かんだとばかりに顔を上げてぽんと掌を打ち合わせると、横からそれはそれはもう真っ黒な深闇から届いたのかと思ってしまいそうなくらいに低く重っ苦しい超不機嫌な声が鼓膜を震わせた。


「―――いいかげん、あきらめろ」


その言葉にわたしはぴしりっと固まり、次いで再びがっくりと項垂れた。

この悪魔め。そう心の中で悪態をついてわたしは恐る恐る椅子から立ち上がった。


「……失礼します」

「…………」


深々と頭を下げて上掛けに手をかける。

ちらりと彼を見ればそっぽを向いている。


超絶不機嫌なのは仕方ないとしてせめて無言はやめてよ。


これだけ広いベッドだ。

一切身動きすることなくじっとしてればいずれ朝が来るはず!

そう自分に言い聞かせて、居た堪れない思いを必死に封じ込め、彼のベッドの片隅に潜り込んだ。


「………おやすみなさい」


そう声を掛けたわたしに彼は小さく「―――ああ」と応えたのだった。



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