第47話 -羞恥-
次に目が覚めた時、視界は真っ黒に染め上げられていて、また夢の中かと錯覚しそうになったけれどなぜか体ががっしりと固定されていて動かせず何かがおかしいと感じた。
そのままじっとしていると次第に暗さに目が慣れてきて、黒以外のものが視界に映り込む。
頭の片側に柔らかなリネンの感触があることから自分はおそらくベッドに横向きになっているのだろうと思われた。
ではなぜ身動きが取れないのか。そして目の前にある黒でない色のそれは何だ?と僅かに首を傾げる。
耳に届く極至近距離からの呼吸音。
ぼんやりしていた頭がはっきりしてくると、目の前にあるそれに見当がつき驚愕して思わず仰け反ってしまった。
「っ!」
動いた瞬間に鼻先を柔らかなものがかすめ息を呑んだ。
そして動いたことでよりはっきりと自分の今の状況を正しく理解した。
目を覚まして一番に視界に飛び込んできた黒ではないもの。それはディーの首だったのだ。
そして鼻先をかすめた柔らかい感触は彼の唇。
身動きが取れないのはディーがわたしを抱きしめ、がっちりとホールドしているからだということも分かった。
では視界に映り込んでいた黒は何かというと、ディーが寝るときにいつも身に着けているアンダーシャツの色だった。
互いに薄いシャツ一枚を隔てているだけなので、その状態で抱き込まれていると普段よりもしっかりとディーの体温を感じてしまい、ふつふつと羞恥心が沸き上がってきた。
意識してしまうともうダメで、全身が徐々に熱を持ち始めた。顔はすでに真っ赤になっていそうだ。
何とかしてディーの拘束から抜け出そうと身じろぎしてみたけれど、少し隙間ができたと思ったら両腕でぎゅっときつく抱きしめなおされてしまい、余計に密着する羽目になってしまって焦る。
ディーの片手が背中に回っていただけで頭は自由に動かせていたのに、距離を取ろうと動いたせいで頭までしっかりと彼の腕の中に抱き込まれてしまって体が完全に密着してしまった。
これで頭を動かそうものなら、わたしの唇は彼の胸板に触れてキスしてしまうことになる。
今は頭の側面が彼の胸元に触れている状態だからまだどうにか発狂しないですんでいるが状況次第では時間の問題かもしれない。
自分自身に「落ちつけぇ~」と言い聞かせつつ、体を動かしてみようと意識してみるけれど、最早僅かに動かすことも困難な状況だった。
これほどディーの力が強いとは思っていなかった。
そして感じる腕の強さや意外にがっしりとしている胸元、視線を上に動かした際に視界に入る男性特有の喉仏やシャープな顎のライン。それらが自分と全く違うのだということを今更ながらに認識して「ディーって男の人なんだなぁ」という感想を持った。
起きている時に本人に言ったら絶対に睨まれること間違いなしだけど、ディーが傍にいることが当たり前になっていたから忘れていた。
異性とのこういった触れ合いが皆無であった身としては、どういう反応をするのが正しいのかイマイチ分からない。
変に意識するのもおかしいよねとも思うと少し冷静になれた。
モヤモヤとした感情を落ち着かせていると、とくんとくんと決まったリズムで紡がれる鼓動が耳を打つ。
それがディーの鼓動だと理解するとなぜかほっと安堵した。
その鼓動に耳を傾けていると思う。
――ああ、やっぱりわたしディーの傍が一番安心するなぁ。
そう思い至ると今度は目の前の存在がなんだか無性に愛しく思えた。
自然と笑みが浮かび、耳に届くディーの規則正しい鼓動を聞いているといつしかまた眠りに落ちていた。
*・*・*
意識が浮上し目を開けるとまわりはすでに明るかった。
視界いっぱいに広がっていた黒も肌の色も、影も形も残さず綺麗さっぱり消えていた。
「?」
僅かにぼんやりとした頭のまま体を起こして周りを見渡すと、ディーはいつものようにすでに一人掛け用のソファーに座って本を読んでいた。
おや?昨日のあれは夢…だったのか、な?あれ?
すっかりいつもと変わらない平常運転のディーの様子に、昨夜抱きしめられて寝ていたのは夢だったのかなと首を傾げた。
思えば夜中に目を覚ましたのはこの世界にやってきてから初めてかもしれない。
それに抱きしめられているのに何故だか感じる体温に安堵する自分がいたし、拒絶どころか違和感も感じなかった。
あ、れ?え?え?
そう思い至ると、だんだんと自分の無意識の行動に疑問が生まれてくる。
そして同時にふつふつと焦りも生まれる。
わ、たし…あの包み込む温かい感じ…知ってる……っ!?
はっきりと覚えているというわけではないけれど何となく身に覚えのある感覚と同じではという考えが頭をよぎる。
寝ている時に感じていた心地良い温かさと、安堵をもたらす規則正しい呼吸音と穏やかにリズムを刻む鼓動。
そしてそれらに包み込まれていることに安堵して身を寄せる感覚と充足感。
自分が寝惚けてディーのベッドに潜り込んでいたというのは以前聞いて知ってはいたけれど、まさかまさかまさか…。
わたしもしかしてずっとディーに抱きついて、もしくは抱きしめられて寝ていたのだろうか。
極上の寝場所に即寝落ちしていたのは、高級ベッドと寝具を通して感じるディーの体温のおかげだろうと思っていたけれど…。
違うとそれだけのせいじゃないとわたしの深層意識が訴えている。
だって知っている。ディーの体温も、包み込まれる心地良さも。呼吸音も鼓動の速さも。
それはこの大きなベッドで互いの間に距離をあけて寝ていては分からないはずのもので。
それなのに、わたしはあの心地良さを確かに知っている。
……。
……………。
「――っ!」
ぼふんと音がするほど勢いよくベッドに倒れ込み、ふわふわのクッションに顔を埋める。
「ユズハ?」
ディーにももちろんその音は聞こえていて、訝しげな様子で名前を呼ばれたが、わたしは気づいてしまった事実に羞恥心でいっぱいになっていて返事をすることも顔を上げることもできなかった。
かたんとディーが立ちあがる音がして、その後こちらに近づいてくる足音がするが動けない。
「来ないで!何でもないから来ないでください!」
「?」
ようやく絞り出した声で何とかそれだけを告げるが、近づいてくる足音が止まることも遠ざかることもなくついにはベッドの脇まで来られてしまった。
わたしは咄嗟にクッションをかき集めてその中に顔を埋める。
体中を巡る血が沸騰しているかのように全身が熱を発していて居た堪れない。顔は熟れたトマトのように真っ赤になっていること間違いなし。そんな状態の自分をディーに見られるのは恥ずかしすぎる!
「ユズハ」
ディーが声を掛けて背中に触れる。
彼の指先が触れた瞬間にびくっと体を揺らしてしまったのは仕方がないと思う。
触れた背中から何を感じ取ったのかディーは首筋に触れてきて今度こそ大きく体を揺らし硬直してしまった。
「熱があるんじゃないのか?」
僅かに硬さをはらんだ声音で彼が問いかけてくるが、わたしは頭を小さく左右に振ることしかできない。
ディーの手がまだ首に触れていて身動きが取れないのだ。
「何でもない!どこも何ともないからそっとしておいてぇー!!」
クッションに顔を埋めているせいでくぐもった声しか出せないが、何とか声を張り上げて告げる。
がしかし、ディーはわたしの訴えを聞き入れてくれるほど生易しくはなかった。
「っ!」
強制的にぐるんと体を反転させられ視界いっぱいにディーの顔が映り込む。
両手はそれぞれディーの手で固定されていて顔を隠すこともできなかった。
「何するのっ!?」
真っ赤な顔で叫ぶように抗議すれば、むすっとした顔のディーに睨み付けられた。
「真っ赤な顔して熱もある。何でもないはずがないだろう!」
「これは!熱があるんじゃなくてっ――」
必死で言い訳をしようにも脳内はパニック状態に近くまともな言葉が紡げない。
真っ赤な顔を見られていることも恥ずかしくて目をぎゅっと瞑り顔をベッドに埋もれるくらいこれでもかと背けた。
すると両手を押さえつけているディーの手に力が籠められ、はっと気づいた時には押さえつけるような態勢だった彼の顔が近づいてきて。
顔を背けていたせいで彼に晒されていた首筋にディーはあろうことかその顔を埋めた。
「っ!!!」
声にならない叫びを上げて必死に逃げ出そうと手に足に力を入れるも、ディーが全身で覆い被さってきた上に押さえつけられている手は頭上に一纏めにされ片手で易々と固定されてしまった。
いーやぁああああああ!!!
かろうじて動かせる足をジタバタさせ必死に抵抗するもディーは解放してくれる気配を微塵もみせない。
首筋に埋めていた顔をようやく上げた彼は至近距離から視線を合わせてきた。
顔はもちろん片手でがっつりと固定されてしまい、視線を逸らす以外のことはできなかった。
「熱がある上に、鼓動も早いみたいだが?」
最初に名前を呼んだ時の声の柔らかさは何処へいったと言いたくなるほどその声は低く威圧感すら感じられた。
狙った獲物は逃がさないと言わんばかりの眼力に、羞恥心から熱に浮かされたようになっていた脳内が急激に冷されていった。
やばい、近い。
やばい、近い、やばい。
やばい、やばい……近い、近い近い……ちかーーーいっ!
「ちゃんと話すから離れてぇー!」
半泣きで叫ぶと、僅かに目を見開いたディーは溜息を一つ零し起き上がった。
頭上に固定されていた手も、全身で伸し掛かられ身動きがとれなかった体もその重圧から解放されようやく動けるようになった。
ベッド上に片膝を立てて座りこちらを見るディーを涙目ながらもキッと睨み付けた。
「何でもないって言ったのに!」
吠えるように抗議すれば、呆れたような返答が返された。
「熱があるのにそんなはずないだろう」
「体調が悪くて熱が出てるんじゃないんですっ!」
「じゃあ原因は何だ」
「っ……!」
正直に話すのはあまりにも恥ずかしすぎて言葉に詰まる。
「話す気がないなら…体に聞くまで」
「ぎゃー変態!やめて!」
再び近づこうと体を浮かせたディーにすかさず静止を求めると、彼はぴたりと動きを止めこちらをじっと鋭い視線で見つめてきた。
「もう一度押さえつけられたくなかったら、話せ」
「うっ……」
「ユズハ?」
わたしの名前を呼びながら首を僅かに傾け口角を上げたディーの姿に悪寒が走りぶるりと体を震わせた。
「は、話すからっ!ちょっと待ってぇー!!」
その後わたしは正直に話した。
ええ、話しましたとも。
ただ同じベッドで寝ていただけだと思っていたら、ディーに抱きついて寝ていたこと。
しかも互いの間に僅かな距離もないほど密着していたこと。
時に唇が鼻先をかすめ、それ以前にも胸元や首筋に触れていたんじゃなかろうかと考えたことも。
今朝方気が付いて身悶えてしまった全てのことをがっつり話した。
羞恥心で真っ赤になりながら。
クッションを抱きしめ顔を埋めて少しでも見られないようささやかな抵抗を示しつつ。
するとどうだ。
ディーは拍子抜けしたとばかりにぽかんとした表情をして「何だそんなことか」とぽつりと言ったのだ。
そんなことって……。
恋愛経験値がほぼゼロに近いわたしには顔から火が出るくらい恥ずかしくて悶え死にそうになるくらい大事件だっつーのぉおおお!!。
思わず脳内で上げた叫びが口汚い言葉遣いになってしまうほど、理不尽極まりないこの朝の出来事にわたしは昼過ぎまで立ち直ることができなかった。
足を運んでくださる皆さまありがとうございます。
さくっと進めたいのに進まない…。




