第44話 -闇と光-
足を運んでくださる皆さまありがとうございます。
周囲を闇で覆い尽くすそれは北門の近くまで迫っており、門の内側にまで闇が広がりつつあった。
緊張感が増していく中で、耐えきれず踏み出した者がいた。
この北門で魔物の討伐にあたった自警団の団員の一人だった。
表情を強張らせ緊張から汗で顔を濡らしていた彼は、とうとう我慢の限界に達してしまったようだった。
「待てっ!!」
ディーが鋭い声を発し静止を呼びかけるもすでに遅く、彼は剣を構えて向かっていった。
一段と濃い闇を纏った中心へとその剣を上段から振り下ろしたが、剣先が触れるよりも先にそこから発生した風圧によって体を弾き飛ばされ、北門を支える防壁へと叩き付けられた。
「ぐあっ!」
ここからでは彼の姿は確認することができず、気持ちばかりが先走る。
仲間が反撃を受けた事で抑止が外れてしまったようで、他の団員たちも次々とその闇へと攻撃を仕掛けていった。
だがそれらの攻撃も相手に届く前に風圧によって吹き飛ばされ、彼らもまた防壁に激突しその痛みから蹲って立ち上がることができないでいた。
「ユズハは建物の陰に隠れていろ」
ディーの小さく舌打ちする声が聞こえた直後にそう告げられ彼は門の傍へと駆け出した。
わたしも何かしたいと走り出しそうになったけれど、今はまだその時ではないと必死に自分に言い聞かせ、大人しく指示に従い場所を移動した。
闇に呑まれるのは危険だと判断したディーは、吹き飛ばされ壁に激突したまま立ち上がれずにいる自警団の人たちを風魔法を使って門の内側へと引き摺り戻した。
そして彼らの近くにあった透明な魔導石へ魔力を流し、回復魔法を発動させた。
淡い光に包まれた彼らは見る間に回復し、蹲るようにしていた体を起こして立ち上がり再び武器を構えていた。
何か話しているようだが、わたしがいる場所からは距離がありほとんど聞き取ることができない。
けれどディーに何事かを言われた団員たちは表情を険しくさせながらも、それぞれ西と東とへ駆け出して行った。
その場に残っている自警団の団員は二人。先程の攻撃には加わらず踏み止まっていた人たちだ。
彼らもディーとルーク様と同じように、いつでも動けるような態勢を維持しながら、闇を睨み付けていた。
「っ!散開しろ!!」
突然のディーの叫びに、全員が後方へと飛び退る。
その一瞬の後に北門とそれを支える左右の防壁が吹き飛ばされ粉々になって辺りに瓦礫を撒き散らした。
強風にのって飛んでくる瓦礫はそれだけで凶器だ。
大きな塊が当たればただではすまないし、小さな欠片でも当たり所が悪ければ即死するだろう。
「ひゃっ!」
北門から少し離れている建物の陰に立つわたしのところまで防壁を破壊した風圧が達し更に後方へ駆け抜けていった。飛び散った瓦礫が建物の壁や窓に当たり、ガラスの割れる音や物が激しくぶつかった音などが辺りに響き渡った。それらが収まってから強風にきつく閉じていた目を開けてディーたちを探した。
半球状の防御膜の内側にいる彼らの姿が目に留まり、その無事な様子にほっと安堵の息を零した。
外枠のみを残していた北門は、その欠片さえも残さず周囲の防壁を含む壁ごと、直径十メートル程が吹き飛ばされていた。
視界を遮っていた物がなくなったせいで、北門に近づいてくる闇の様子がここからも良く見えた。
暗い闇が辺りを覆っていても薄っすらとまわりの木々や地面の様子は認識できるのだが、その中心部だけは闇が濃く真っ暗で何も見えなかった。
ただ分かるのは、その中心に位置するものが縦長の何かであるということだけだった。
あれは…何?
深い闇を纏うそれがひどく恐ろしい存在に見えて体が震える。
自然と眉根は寄ってしまい険しい目付きになってしまう。そのままの状態で闇の中心部をじっと見据えていると突然ぞわりとした感覚が体を駆け抜けていった。
今、目があった……?
近づいてくる闇は、光の届かないただの真っ暗な塊なのに、直感としてそう感じた。
よくよく見てみれば、その最も闇の深い中心部は縦長の楕円状の形をしており、人が立っている状態だと考えてもおかしくはなかった。
いや実際には、姿かたちも分からない程に闇を纏っているというのはありえないことなのだが、それでもあれが人であると仮定すれば近づいてくるのも不思議なことではない。
あれが本当に人であるのなら、闇を祓えば元に戻るかもしれない。
自分がなぜあれを人だと思うのかは問われてもただ何となくそう思うとしか答えられないのだが、それでも闇を纏う動くものであることは間違いない。
どうにかしてディーに伝えられないだろうかと、建物の陰から一歩踏み出すと靴に何かがこつんと触れた。足元に視線を向ければ、転がっていって少し離れた位置で止まったそれは透明な石の付いた魔導石だった。
「えっ!?」
ディーが回復魔法が付与されている魔導石だと言って投げた物の一つではないのだろうか。
きっと先ほどの風圧で飛ばされてここまで転がってきたのだと思われ、わたしはそれを回収するため建物の陰から走り出た。
その瞬間を見逃さなかった闇がギラリと目を光らせたことをわたしは知らない。
地面に転がる魔導石は、近づいてくる闇の真正面に位置している。距離は五十メートルくらいは離れていたと思うけれど、遮る物が何もない直線で結ばれる位置に駆け出したわたしは格好の的であった。
ゆらりと闇が揺れ、直感的に危険を感じたディーが周囲にさっと視線を走らせ、闇と遮る物のない対極の位置にいるわたしに気づいて声を荒らげた。
「ユズハ!逃げろっ!!」
「えっ?」
魔導石を拾い上げて聞こえたディーの声に振り返ると、ゆっくりと近づいてきていた闇がその勢いを上げ、ものすごい速さで接近してきた。
「くそっ!ユズハ!」
予想外のことにディーもルーク様も対応が遅れた。
わたしは恐怖で体が硬直してしまい、足が地面に縫い付けられてしまったかのように一歩も動けないでいた。
「っ!!」
狂気を孕んだ闇がどんどんと近づいてくる。
ディーが咄嗟に闇が進む方へ向けて二本の短剣を地面に突き立て拘束魔法を展開したが一歩遅く、闇はするりと魔法の効果範囲を抜けて更にこちらへと近づいてきた。
捕まるっ!!
そう思ってぎゅっと目を瞑る。
闇がその手を伸ばしわたしに触れようとした瞬間、目の前で光が地面から吹き出しわたしを護るように闇との間に立ち塞がった。
強烈な光の洗礼を受けた闇はギャァアアと叫び声を上げて後退した。
「間に合ったようね」
聞き慣れたその優しい声に目を開けると、わたしの隣には姫様の姿があった。いつもより高い位置にある姫様の顔を不思議に思ってよく見ると、姫様はグレン様に抱きかかえられていた。
グレン様はわたしが無事であることを確認すると、姫様を降ろし地面に立たせてから、わたしたちを護るように前へ出て剣を構えた。
「何だあの異様な物体は」
グレン様が嫌そうに顔を顰めて、じたばたともがくように左右に蠢く闇から視線を逸らすことなく呟いた。
「まだはっきりとは分からないんですが……」
「ユズハはあれが何か見当がついているの?」
姫様もまた眉根を寄せて美しい相貌を歪めつつわたしへと問いかけた。
「…たぶん、人なのではと……思ったのですが」
「人っ?あれがかっ!?」
わたしの言葉を聞いたグレン様は声がひっくり返りそうになるほど驚いていた。
「ああ、確かに……言われてみれば……」
「…人のように、見えるわね」
対象に穴が開くほどに凝視していた二人がぼそりと呟いた。
辺りに闇を撒き散らす真っ暗な黒い塊にしか見えないそれだったが、のた打ち回ってじたばたと暴れている姿は先程よりも更に人のように見えた。
ただの黒い楕円にしか見えなかった塊から少しずつ闇が剥がれていっており、よりその形が鮮明になってきていた。
きっと姫様の放った聖属性の光魔法を浴びて、一時的にでも状態を維持できなくなっているのだろう。
もがく闇の塊を見据えていたグレン様が駆け出し、その塊の直前で飛び上がると振り上げた剣に自身の体重を乗せて切り掛かった。
ガキンッと硬い物同士がぶつかるような音がして跳ね返されたグレン様が、わたしたちの目の前まで後退してきた。
「あのままじゃ無理か。……さて、どうすっかな」
攻撃を弾かれはしたが、特に気に留める様子もなくグレン様が呟いている。
その直後、いまだじたばたともがき続けている闇の周辺を囲むようにしていくつもの魔法陣が地面に浮かび上がった。
その様子に驚いていると、その魔法陣から光の筋がいくつも現れて闇を四方八方から縛り上げていった。
『グァァアアアア!』
闇を纏う塊は苦しげな叫び声を上げて拘束を解こうと暴れ出すけれど、その度に光の帯がきつくその四肢を締め上げていた。
誰がやっているのか確認しなくても分かる。先程西門でも同様の光景を目にしたばかりだから。
「王女!闇を引き剥がせっ!!」
遠くから聞こえたディーの声に姫様が素早く反応し掌を闇へと向けた。
「姫様待ってください!」
「ユズハどうしたの?」
魔法を発動しようとしていた姫様を静止する。悠長にしている時間がないのは分かっているけれど、どうしても先に確認しておきたいことがある。
聖属性の光魔法が効果的であるのなら……。
「姫様の使うその光魔法は、浴びればあの闇以外の周囲の人にも何か影響がありますか?」
急いでいたこともあって、わたしの声は切羽詰っている。
姫様はわたしのその問いかけを聞いただけでわたしが何を意図して問いかけたのか理解してくれたようだった。
突然割って入ったことに驚いて少し目を見開いていた姫様は、わたしがこれからしようとしていることが間違っていないと告げるように迷いのないまなざしで見つめ、その答えを返した。
「ないわ」
一言しっかりとした力強い響きを持って告げられた姫様の言葉を聞いて、わたしはその瞳を見つめ返し力強く頷いた。
「ユズハ、貴方が合図して。それに合わせて光魔法を打ち出すわ」
「わかりました!」
わたしたちと闇との間に立ち、その背に護るように位置取りしていたグレン様が横に少しずれてくれて、闇を纏うそれが視界に入り込む。
その姿は地面から無数に伸びた光の帯に捕えられた人型の黒い塊と化していた。
周囲を覆っていた闇も薄らいでいて、その元凶である塊を挟んだ反対側にはディーとルーク様が立っているのが見えた。
補助の役割を果たすディーの腕輪とルーク様の持つ杖にはめ込まれた宝玉が光を保っているところを見ると、二人はいつでも魔法を発動できるよう備えているのだろうということが分かった。
姫様と肩が触れ合う位置に並び立ち、深呼吸をすると意識を集中させ魔力を練り上げる。
属性を持たない、わたしだけの魔力を。
イメージするのは強大な光。
目の前の闇を、人の形を覆いつくし真っ黒に染め上げている暗黒の闇を剥ぎ取り、影すらも作らせないほどに周囲を埋め尽くす光。
姫様の手元にはすでに光が集まりキラキラと輝いている。
わたしの掌にも温かい熱が集まっていて準備は整った。
「姫様!」
「ええ!」
人型の真っ黒な闇の塊へ向けて姫様が聖属性の光魔法を発動した。
光の帯が闇の塊へ勢いよく伸びていき、そこへわたしの魔力を流し込むと、光量を増大し光の帯が肥大化した。
『ギィアアアアアア!!』
人型の闇の塊はその身を焼き尽くす光の量に堪らず悲鳴を上げていた。
だが一方方向から放たれた光は、闇の塊の反対側までは包み込めていない。
闇を祓うには全方位からの光で闇の塊を包み込む必要があるはずだ。
どうすればいいの……このままじゃ…。
打つ手がなく逡巡していると、次の瞬間に姫様から北門の外へ向かって直線方向に延びていた光の帯が、ある一定の場所で壁にあたったかのように垂直に上へと折れ曲がった。
その状況に驚いて上へと立ち上がる光の柱を見ていると、今度は上へと向かう光が建物の軒の部分にあたる高さから地面へと折り返された。
『グィギャアアアアアアア!!!』
この状況を表すならば、それこそ【四方八方から降り注ぐ光】という言葉が一番適切だった。
わたしが思い描いていた通りの光景が目の前で展開されている。
そのことに背中を押され、わたしはより一層多くの魔力を姫様の光魔法へと流し込んだ。
一気に膨れ上がった光魔法は、周囲をも真っ白に染め上げるほどの強大な威力となり、人型の真っ黒な闇の塊を覆いつくした。
耐えがたい光の洪水に飲み込まれ、全身を光で焼き尽くされているそれは形容しがたい断末魔にも似た叫びを上げている。
真っ黒い塊が放っていた闇が、元凶の塊ごと溢れる光で全て包み込まれると、その叫びもついには途絶え辺りは静かになった。
姫様が光魔法の発動を止めると、強烈な光の洪水も次第にその勢いをなくし、真っ白に染め上げられていた周囲もまた普段の様相を取り戻していった。




