第43話 -不安-
急いで場所を移動するディーと行動を共にするというのは、何の役にも立たないどころか足手まといのお荷物にしかならず、自己嫌悪に陥ってどうにも悪い方にしか考えが向かない。
わたしがついて行く意味があるのかとか、邪魔にしかなっていないのにとか嫌な気持ちしか浮かんでこない。
魔物という存在を目の当たりにすること自体がまだ数えるほどしかなく、敵意を剥き出しにして向かってくるその姿に恐怖を煽られ否応なしに体は震えてしまうし、足は竦んで一歩も動けなくなってしまう。
西門を離れる際、ディーに声を掛けられる前に自分から動いてスヴェンさんから渡された袋を差し出せたのはある意味奇跡のようなものだった。
戦闘の輪から離れた位置で邪魔にならないように彼らを見守っていたおかげで、余計な行動をとることはなかったけれど、もし目と鼻の先の近距離で激しい戦闘になっていたら、わたしは味方に被害が出るような余計な行動をとっていたかもしれない。咄嗟に何かをしてしまうような気がするのだ。状況に応じた的確な判断ができているわけでもないのにそんなことをすれば『獅子身中の虫』になりかねない。
わたしはまだほとんど何もできない身なのだ。
この街に来る直前にようやくまともな魔法発動を行うことができたばかりな上、その魔法でさえ水を地面から噴出させる程度のものだし、集中するのにも時間がかかってしまい全く役に立たない。
神子としての力もまだ確認段階で、明確に発現しているわけでもない。
できることをしよう!そう何度も決意を繰り返してきたけれど、何もできない状況が目の前で起こると自分がどれだけ甘い考えでいたのかを痛感させられた。
抱き上げられる直前、突然ディーの表情が険しくなり、ピリピリとした肌を刺すような緊張感を感じ、彼が何か良くないものを感じ取って警戒しているのだということが分かった。
西門で魔物と戦っている時でさえ余裕の態度でいた彼が、ここまで警戒心を露わにしていることに驚いて小さく息を呑んだ。
どうしたのかと問いかけようとして突然抱え上げられ、ものすごいスピードで移動を始めたので慌てて口を噤んだ。
そのあまりの速さに、急いでいるのにわたしに合わせてゆっくり移動してくれていたのだという事実に気づいてしまい思わず唇を噛みしめていた。
西門から北門へと向かう道すがら、ディーに抱き上げられて運ばれていると、胸に渦巻く負の感情は益々強く自分を苛めていった。
北門に辿り着くと地面に降ろされ、ディーはわたしを護るように一歩前へ出てその背にわたしを隠した。
たったそれだけの彼の行動にも自分が護られているという安心感と、チリッと胸を焼くどうしようもない痛みを感じた。
護られて嬉しいのに、そうさせてしまう自分に嫌気が差して傷ついているなんて…なんて強欲で甘ったれなの!
暗い気持ちを振り払うようにしてわたしは頭を軽く振ると、ディーと同じように周りに視線を走らせ状況を確認した。
辺りを警戒しながらも周りの様子を確認していたディーが体を小さく震わせて動きを留めた。
その視線の先を追ってみると、彼は門の奥をじっと見据えていた。
北門の扉は壊されており、視界を遮る物がなくなったおかげで門から奥に続く外の様子が窺えた。
西門でディーが門の外に出ていく際、開けられた通用扉の隙間から見えた外の様子は普通だった。
魔物が押しかけている様子もなくただ穏やかな平原が広がっているという印象だった。
けれど、この北門の外は違う。
陽は傾き出しており、あと三時間もすれば夕闇が辺りを包み出すのだろうが、今はまだ空は明るく周囲ははっきりと目に見える。
だがしかし、目の前のあの闇は何なのだろう。
北門の外だけが異質で、真っ暗な闇に覆われているように見えた。
ディーもルーク様もその異質な光景から目が離せないようで、警戒心を露わにしてその闇を睨み付けていた。
緊迫した空気が流れる中、同様にしてその闇をじっと見つめているとあることに気が付いてわたしは驚愕に目を見開いていた。
闇が少しずつ近づいてきている……。
降り注ぐ陽の光を跳ね除け、辺りを暗闇で覆うほど異質な現象。それが動いているということは、その場所のみで発生している現象というわけではなく、故意に誰かが起こしているもの、あるいはそれ自体が動けるものであるということだ。
それを認識した途端にぞくりと強烈な悪寒がして、わたしは思わず目の前に立つディーのローブを握りしめていた。
「ルーク!」
ディーが名前を呼ぶと、ルーク様はちらりとディーに視線をよこしてから小さく頷くとすぐさま近くへとやってきた。
場所を移動した後もルーク様は北門の奥、近づいてくる闇を注視し続けている。
いつもほんわりとした穏やかな雰囲気を纏っている彼がここまで警戒しているのを初めて目にして緊張感が更に高まった。
「ルークはあれの警戒を続けてくれ。…ユズハ」
「はい!」
突然ディーに呼びかけられ思わず大きな声がでてしまった。
彼も驚いたようで僅かに目を見開いていた。
緊張で表情が強張っているわたしを見たディーは表情を少しだけ緩めると「大丈夫だ」と優しい声で告げた。
たったそれだけのことが、わたしを安心させてくれるから彼の存在はとても不思議だ。
「スヴェンが預けた物を貸してくれ」
「どうぞ」
移動する際はディーが持ってくれていたが、ここに着いた時点で再びわたしに持たされたスヴェンさんからの預り物。
中身が見えるように紐を解いて袋の口を大きく開けた状態で渡せば、ディーはそれらを物色し始めた。
短剣二本を取り出し懐へ仕舞うと、次に透明な魔導石を三つ取り出し、彼はこともあろうにそれらを地面へ放り投げた。
「ディー!何やってるんですか!?」
ぎょっとして思わず足が動きそうになったが、瞬時にそれを制される。
「回復魔法が付与されている魔導石だ。手に持っているよりああして地面に転がしておいた方が都合がいい」
「えっ?」
ディーの言葉に投げられた魔導石の場所を確認すると、北門を囲うようにしてほぼ等間隔にそれらはあった。
「魔力を流せば反応して石を中心に周囲にいる者に回復魔法がかかる範囲魔法が付与されているものだ。ルークも、頼んだぞ」
ディーの声は決して大きくはなかったが、傍に立つルーク様にも聞こえる程度のもので、彼の言葉にルーク様は視線は闇を見据えたままこくんと頷いた。
「ユズハ、お前もだ」
「え……?」
困惑するわたしにディーはそっと微笑み告げる。
「聖属性でなくてもかまわない。魔力を流せば発動する。お前にもできる」
その言葉にわたしは目を見開いてディーを凝視した。
色んな感情が混ざり合ったものがこみ上げてきて息が詰まる。
瞳の奥が熱を持ち、こんな時なのに視界が滲んでしまった。
「俺たちが間に合わないときは、ユズハお前に任せる」
何もできない、足手まといだと自分の無力さを嘆いていたことまでも見透かされていたのだろうか。
緊迫した戦場にあって、そんなことにまで気を回せるほどディーはわたしを気にかけてくれていた。
申し訳なさと、それを上回る嬉しさにろくに言葉を返すこともできず、わたしはただ一言力強く頷いた。
「…っ。はい!」
そのわたしの様子にディーは笑みを深くして頭をぽんと軽く撫でると、袋の中から色の付いた魔導石を数個取り出し自身の腰に着けていたポーチへと移動させていた。
「ああ、それから……」
続いて彼はポーチから何かを取り出した。
「少しじっとしていろ」
何をするのだろう見つめていると、ディーは突然その手でわたしの耳に触れてきた。
予期していなかった彼の行動に、小さく体を震わせドキドキしていると、その指先がわたしの耳に着けられていた赤い石のついたピアスを外しているようだった。
されるがままじっとしていると、ディーの指が再び耳に触れ何かを着けていた。
両方の耳を同じように触れられ、心臓がうるさく鳴り響いている。顔を上げていることも困難で、下を向いて必死に耐えていた。
「もういいぞ」
そう言われ顔を上げると、目の前に立つディーはその手に赤い石の付いた一対のピアスを持っていた。わたしが耳に着けていたものだ。
あれ?でも耳には何か…。
不思議に思って指先で自身の耳に触れると、小さな何かに触れた。
「お前がもともと着けていた方のピアスだ」
それは魔法の訓練の前に外してディーに預けた半透明の白い石がついたピアスのことだった。
攻撃魔法を感知すると瞬時に防御壁を展開し、ディー自身を呼び出す術式まで施されていると言っていたあれだ。
指先に触れる小さな石の感触に、胸に温かい気持ちが広がっていき自然と口元に笑みが浮かんだ。
「決して無理はするなよ」
「はい」
念を押すように告げるディーの口調は警戒心を孕んでいて決して穏やかなものではないけれど、不安と自己嫌悪で負の感情に呑まれそうになっていたわたしを落ち着かせてくれた。
彼は本当に人を良く見ている。そして困っている人を放っておけない心根の優しい人なのだ。
この一面は普段彼が見せている人嫌いの態度が偽りであるかのように真逆に位置するもので、王宮にいて通常業務をしている間はまず見られない。
そのためディーの執務室を訪れる人のほとんどが、この彼の一面を垣間見ると衝撃を受けるのだ。
北門の奥に佇みゆっくりとこちらに近づいてくる闇に再び向き直ったディーの背中を見ながら気を引き締める。
わたしにできることをしよう!
そう決意すればふとあることに気づいた。
この気持ちになる時はいつだってディーに心を救われた時だということを。
胸にじわりと浮かぶ気持ちは何と言えばよい感情か。
まだ名前もつけられないその思いは一旦胸の奥に閉じ込めて、目の前に立つ彼らと同じように、北門の奥を暗闇で包み込む存在へ警戒心を露わに注意を向けた。




