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第4話 -想定外- ※神官視点

己のあずかり知らぬところで起こっていたことに軽く眩暈を覚えた。

儀式の途中で邪魔が入ったことがこんなにも面倒な事態を引き起こすことになろうとは。



*・*・*



色も匂いも人の気配すらも何も感じられない深黒の暗闇に一人放り込まれ、わずかな希望も出口もない己の存在すら視認できない場所にどうすることもできない自分がいる。

―――それは幼い頃から頻繁にみている夢だ。


ある時を境に見るようになったその夢は、幾つもの歳月を重ねても変わることはなかった。

夢に現れる己の姿もまた幼い当時の、十歳の時のままだ。

その時から優に倍以上の年月が過ぎ去っているというのに何一つ変わらない。

何もわからず、ただただ怯え耳を塞いで蹲るしかできなかった頃の愚かな自分がそこに居るのだ。


浮上した意識に身を任せ目を開けると眼前に広がるのは闇。


―――ああ、またか


諦めともとれる感情を言葉と共に吐き出すが、それはいつも通り音になることはなかった。

次いで訪れるであろう我が身を襲う苦境に心は冷えていった。

どこからともなく降り注ぐ過去の失態を責め苛む声に耳を塞ぎ、精神を焼き尽くすかの様に押し寄せる惨痛に自身を抱きしめる様にして蹲り、悠久の闇をただ耐えた。

耐えること。それだけがこの闇の中で己にできる唯一のことだった。


もうこれ以上は無理だ耐えられない。

精神が崩壊するそんな極限状態まで追い詰められてふいに起こるゆらぎ。


それはいつも護る様にそっと己を包み込んだ。

温かな想いが流れ込んできて、凍り付き砕けそうになっていた心を溶かしていく。

強張っていた身体から力が抜け、張り詰めていた神経が弛むと闇に沈んでいた意識は浮上する。

そうして己はいつも悪夢から目を覚ますのだ。


今回もそうだと思っていた。

だがその予想は簡単に裏切られ、闇はしつこく己に付き纏った。

己を包み込むように生じていたゆらぎも闇に囚われ呑み込まれていく。


やめろっ―――


ありったけの声を振り絞り叫ぶが音にならない。

必死に伸ばした手も届くことはなく虚しく空をきった。


気が狂いそうなこの空間で唯一の救いであるそれが、己から引き剥がされ目の前で闇に呑まれていく。

わずかな痕跡も残さず闇の中に掻き消えると絶望に血の気が引いていった。



うぁあああああああああ―――っ!



身体から力が抜けがくりと膝をついて顔を両掌で覆うと堪えきれない叫びが溢れた。

音になることはない叫びが体中を嵐のように駆け巡る。



なぜだっ!どうしてっ!!



応えが返ってくることがないと分かっていても叫ばずにはいられない、気が狂いそうで。


そうしている間にもゆらぎを呑み込んだ闇は勢いを弱めることなく次の獲物を探していた。

それは容易に己を見つけるとニタリと嗤うかのように小さく震え、闇色の触手のような物を伸ばしてきた。


身体に巻き付く様にして纏わりついてくる闇。

逃れようともがいてもねっとりとした闇は余計に身体に絡みつき、これまで以上に鮮明に責め苛む声を届け、惨痛を刻み込んでいった。



もう――やめて、く――れ―――――



精神が崩壊寸前の苦痛に耐えきれず、己が瞳から一筋の涙が零れ落ちた。



ぽたり。



零れた涙が纏わりつく闇に落ちたその時。

涙は闇に吸い込まれることなく光り輝きだした。



――恐れないで。悪夢は貴方を連れ去ったりしない。



どこからともなく降り注ぐ柔らかく温かみのある声。

その声に強張りきつく引き結んでいた全身から力が抜けそっと目を開く。

声の主を探してきょろきょろと忙しなく目を動かしてみても闇は変わらず己を覆い尽くしていた。

ある一点を除いて。


今にも闇に呑まれ消えてしまいそうなその小さな淡い光を凝視する。

諦めてしまいそうな絶望の中、現れた小さな光は正に救い。

弱弱しいその存在を渇望せずにはいられなかった。

張り裂けそうな胸の痛みにひりつく喉の奥から必死に声を出した。



消えないでくれ―――



己の悲痛な叫びが聞こえたのか、小さな淡い光はしだいに強く大きくなっていき終には己の身体を包み込んだ。

温かな光が冷たく淀み己を呑み込もうと纏わりついていた闇を引き剥がしていく。

その温かな光に闇は堪らずその身をぶるりと震わせると散り散りになり霧散していった。


己に絡みついていた闇が消えても、その温かな光はまだそこにあった。

身体の芯の奥深くまで冷え切って冷たくなっていた己を温めてくれる。

恐怖に、絶望に諦めてしまいそうだった己を包み込み温めてくれる。



―――大丈夫。



柔らかく温かな声がもう一度聞こえた気がした。

己を包む温かな存在を掻き抱きたくて光に手を伸ばした。

何かに触れた気がして手を握りしめると身体がふっと軽くなったように感じ、同時に重く沈んでいた意識も浮上していく。

そうして安堵する。



―――ああ、漸く目覚めが訪れるのだ。と



*・*・*・*



いつもよりも凶悪な悪夢から解き放たれ、重怠い瞼をどうにか持ち上げうっすらと目を開いた。

今は何時くらいだろうかとぼんやりと考える。

辺りはしんと静まり返った闇に包まれている。

あの悪夢の続きではないと思えるのは其処が完全な暗闇でなく視界の先に見知った天井があるからだった。


悪夢から解放された安堵感からふうっと息を吐き出すとふと掌に感じる違和感に気づき、何気なくそちらに視線を向ける。そうして己が目は見開かれ思考が停止した。


誰もいないと思っていた。

宵闇の中己がただ独りいつもの様に目覚めるのだと思い込んでいた。

だからこそ我が目を疑った。

視界いっぱいに映りこんだその姿に。自身の手を包む温かな気配に。


悪夢からは解放されているのに、身体は強張り微塵も動かすことができない。

思考を封じられているかの様に脳はその機能を果たしてくれない。

そんな己にできたことといえば、茫然として目の前の光景を、その存在を凝視すること。

ただそれだけだった。



どの位そうしていたか分からない。

頭は次第に冷静さを取り戻し、目の前で穏やかな表情で眠っている彼女が誰であるかという事を含め、召喚の儀に関する一連の事について順を追って想起し、情報を整理していった。


彼女は今回行った召喚の儀にて、この世界にその存在を結び付け呼び寄せる事に成功した正にその人物だ。

召喚の儀が完遂する直前に魔物の襲撃を受け、己はそれを撃退し彼女を安全な場所に移動させた直後に意識を失った。

こうして自室にて目を覚まし王宮内も落ち着いているという事は、その後は特に追撃もなく大した問題も発生していないのだろうと予測がついた。

この部屋に己と彼女だけがいる事についても、魔物襲撃による事後処理に追われ彼女の対応に当たる者がいなかったのだろうとも。


現在この国の重責を担う者達は、国王を始めとしてほぼ全てが各々の任を全うすべく国内の彼方此方へ赴いている。

その為、召喚に成功した場合のその人物についての処遇は己に一任されていた。

それは今回召喚の儀に関わった全ての者達の知る所でもある。

だがそうだとしても、不測の事態が生じ己がその役目を果たせなくなった時点で別の者が対応すべきではないのだろうか。

何時目覚めるとも分からない己の部屋に、重要人物を放置するのは常軌を逸しているとしか思えず頭を抱えた。


これから彼女の処遇を如何すべきか思案していると、己の手を握る柔らかく温かなそれに一瞬わずかな力が籠められ、目を伏せているその存在から小さな声が漏れた。

思わずびくりと身体を震わせ身構えてしまったのは致し方がないだろう。

次いで起こるであろうその存在の変化を黙って待つしか術がない。

思考も中断され、普段からは絶対に起こりえない事態に次第に戸惑いが生じた。

居心地が悪いようなむず痒いようななんとも言えない感覚が己の思考を埋め尽くしていく。

自然と眉間には皺が寄る。溜息をつき、溢れそうになる胸のざわつきを散らした。


予想通り程なくして起きたその変化に己が発した声は思っていたよりも低く硬く、不快感を多いに含んでいて自分でも驚いた。


「何故お前が此処にいる」


己が眠るベッドの傍らに伏せ瞑っていた目を開き、ゆっくりと頭をもたげた存在にその声は容赦なく突き刺さった。

口にした言葉は目覚めて一番に思った事だった。考えていた訳ではない、自然と口を衝いて出たという状態だった。

己は何を言っているんだと自分自身に舌打ちをしたくなったがそのまま様子を窺った。


「・・・ぅ?」


あまりにも寝惚けた声が返ってきて、眉間がピクリと痙攣を起こした。

目の前の存在は、開かぬ目をごしごしと手でこすり寝惚けた状態のまま頭を下げるとベッドへ突っ伏した。


「おはよう、ございま―――zzz」


挨拶をしようとしたらしいが頭を下げたことでベッドに突っ伏してしまいその心地良さにまた寝ようとした。

痙攣してぴくぴくと震える眉間を空いている方の手で押さえると再び声をかけた。


「おい」

「?・・・・・・ぅ?」


ぼんやりとした表情で頭を起こすと、右に左にとその頭を動かし声の主を探すが如く開かない目で辺りを見回して漸く視線が交わった。


突き刺さる程に強い視線を放つ己と目が合うと、その目はそれ以上動くことなくじっと見つめ続けている。

ぼんやりとしていたその瞳に次第に光が戻ってくると、漸く意識がはっきりとしたようで、――ひゃっと小さく声を上げて目を見開き身体ごと飛び起きた。


「おはようございます」


深々と下げられた頭はまたもベッドに突っ伏しているが、今度は眠ることなく起きている様だ。

そのまま頭を上げることなく突っ伏している姿をもしかしてまた寝たのか?と訝しげに見遣るが、ベッドに触れているのは頭だけで身体は起こしているから寝てはいないのだろう。


「何故お前が此処にいる」


再度そう問えばその存在は漸く頭を上げて答えを紡ぐ。何故かその頭を横に傾けて。


「神官様と離れられないから?」

「……は?」


まだ半分寝惚けているのかその表情はぼんやりとしているが、発した言葉はしっかりとしていた。

その予想していなかった返答に呆けた声を出したのは己の方だった。



*・*・*・*



最初は寝起きの為か、口調も話す内容もどこかぼーっとしている風だったが、次第に口調もしっかりとしてきた。


彼女はその名を『桐乃優洙羽―キリノユズハ』と言った。

この度行った召喚の儀で異世界より呼び出されたのだと。


そして彼女は続けた。

あの召喚の儀で起こったこと、己が意識を失ったその後から現在まで起きている事の顛末を。

それは己が予想もしていなかった事だった。


「離れられない、だと?」


にわかには信じられないその事実。

身体は未だ重怠く起き上がることは困難であった。

その為己はその事実を確認することができない。

訝しむ様にして相手を見れば、嘘は言っていないと不満げな表情を見せた。

信じられないと睨み付けるようにして彼女を見れば口をとがらせ更に不満だと無言で訴えてきた。


「証拠を見せればいいんでしょ」


そう言って彼女はベッドから離れようと立ち上がった。

自身の掌を包んでいた温もりも同時に離れてしまい、咄嗟にその手を掴もうとしてしまった。

歩き出そうとしてどうしたのかと不思議そうな顔をして立ち止まった彼女から顔を背けて何でもないと意を示した。

彼女は逡巡してから再び歩き出した。


離れていく温もりに後ろ髪を引かれる。

悪夢からは抜け出せているのに、あの暗闇から救い出してくれた温かい存在に似た彼女の掌の温もりを、行かないでくれと何故か引き留めてしまいそうになった。


顔を背けた方には執務室との間に設けられた休憩室へ続く扉がある。

徐にそちらへと歩いていく彼女の姿が自然と視界に入り込んだ。

その姿をただじっと目で追っていると、彼女が己から十メートルほど離れた頃其れは起こった。


くいっと身体を引っ張られる様な感覚が己を襲ったのだ。

わが身に起こったその異変になんだ?と顔を顰めていると遠くから彼女の『しまった!』という声が聞こえてきた。

何事だと己が周辺を彷徨わせていた視線を向ければ、離れて行った筈の彼女が逆再生の様にベッドへと近づいてくる。

それも勢いよく。

その事態にぎょっとして目を見開き身を強張らせた。

飛んでくるかの様にして近づいてくる彼女の身を受け止めようと身体を動かすが、重怠い身体は思うようには動いてくれない。


「くっ」


どさっという軽い音と共に背中からベッドに飛び込む様にしてやってきた彼女の身体が己に覆い被さる。

痛くはなかったが、その衝撃に思わず声が漏れた。

平時であればぶつかる前に肩を掴むなどして静止させることもできたが、体力も魔力も回復していない今の状態では腕をゆっくりと持ち上げるだけで精一杯だった。


「あわわわわっ!ご、ごめんなさっ!」


彼女はさっとその身を起こすと己の顔を覗き込んでくる。

あまりに近いその存在に息を呑み眉を顰めてしまった。

次いで慌てた様に彼女が離れる。


「……今のはなんだ」


地を這うかのような低い声が漏れた。


「だ、だから言ったじゃないですかっ!離れられないってっ!」


眉間の皺が更に深さを増して己の顔に刻まれる。

己のその威圧感を増す表情に、彼女は『あわわわわ』と言葉にならない声を発していたがはっとして身を乗り出してきた。


「それより怪我は!?何処か怪我しませんでした!!!?」


慌てたように紡ぐその言葉に呆気に取られ、刻まれた眉間の皺も瞬時にその姿を消した。

心配そうな表情でその手を伸ばしてくる彼女に短く答える。


「問題ない」


己のその言葉に安堵の息を吐き出す彼女の姿を視界の端に捉え、自身もまた小さく息を吐き出した。


目の前で起きたその現象を疑問に思い、未だ信じられない己に対し彼女はというと。

幾度となく離れては飛んできてベッドに突っ込み己に覆い被さるという所業を行った。

何度も繰り返されるそれと、己の身体に起こる一瞬引っ張られるかのような感覚に最早信じるしかなかった。


「何故こんなことに……」


片手で顔を覆い、溜息を零さずにはいられなかった。


『…………魔物の襲撃により召喚が中断されてしまい、術士との繋がりが切れていないのだ、と…思われ…ます……』


己をこの部屋に運び込んだ神官の一人が零したらしいその言葉はあながち間違いではないようだ。

そのことにただ溜息を零すばかりで今はまだ何の解決策も思い浮かばなかった。

重怠い身体と同じように脳はまだその力を発揮できるほどには回復できていないらしい。


薄暗い部屋の中に己の溜息が幾度となく吐き出されては霧散していく。

傍らには『むぅ』と不満げな小さな呟きを零す温かな存在がひとつ。


夜の帳は緩やかにその色の濃さを増しながら室内を闇色に染め上げていく。

無情にも夜は更けていった。

己が眉間に刻まれる皺もその深さを増すばかりだった。



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