第37話 -発動-
足を運んでくださる皆様、ありがとうございます
訓練場へ移動し、魔法発動までの基本的なことをディーからひととおり説明を受けていた。
「魔法を発動するのに呪文は必要ないし、道具も必要ない。ただ、より集中しやすく細密な魔力操作を行うための補助道具として俺のように腕輪を着けていたり、ルークのように杖を用いる者もいる。発動する魔法の種類を明確にするために事象に名をつけていることも多い」
なるほどあの魔導書に書いてあったイメージが大事っていうのはこういうことか…。
「魔力操作と魔法の発動に体が慣れてしまえば、意識するだけで魔法は発動させることができる。発動させた魔法が向かう先の対象物も同様に考えるだけでいい。どこに、どのような魔法を、どんな威力で発生させるのか。全てはイメージ次第だ」
この人さらりと難しいことを言ったよ。さらっと。しれっと。
黙って大人しくディーの話す内容に集中していたが、そこで思わず半眼になってしまったのは仕方がないことだと思う。
だがそんなわたしの様子を気に留める風もなく、ディーは淡々と次の説明へとうつる。
息をすることが当たり前のように、魔法が普通に存在する世界に生きる人にとってはごく当たり前のことなのだろう。
無理やり納得させながら、わたしはディーの説明に必死にくらいついていった。
「実際に魔力操作にうつる。手を出せ」
「手?」
正面に立つディーが両手を差し出すように指示したので、意味が分からないながらも素直にそれに従う。
「魔力というものがどんなものかもわかっていないのだろう?まずは魔力を感じ取れるようにならないと、先に進めないからな」
「…はい、それはごもっともです」
わたしが差し出した手を取りながらディーは淡々と話を続ける。
「繋いだ手を通してお前に魔力を流すから、まずは魔力を感じ取れるように意識を集中しろ」
「わかりました」
未知のものを感じ取れと言うのだから、無茶言うなと言いたいところだが、ぐっとこらえて繋いだ手に集中した。
わたしは雑念を頭の中から追い払いディーの手をじっと見つめ、少しの変化も見逃すまいと、神経を研ぎ澄ませた。
「…っ!」
見た目には何の変化もなかったけれど、ふいに右の掌が熱を感じた。
それはとても僅かな変化で、集中していなければ見過ごしてしまいそうなほど微々たるものだった。
しかし次の瞬間にはその感覚は消えてしまい、わたしは首を傾げつつ眉間に皺をよせた。
勘違いだったのかな…?
そう思った時、再び微かな熱を感じた。
波打つように感じる熱が変化する。かと思えば突然感じられなくなったりもして。
そのあらゆる変化にわたしは目を見開いたり、眉間に皺を寄せたり、首を傾げたりと繰り返している。
何度かそんなことをしていると、目の前に立つディーがふっと息を吐き出し小さく笑い始めた。
そんな彼を、わたしは眉間に刻まれた皺を更に深くしながら、むっとした表情で見上げた。
「なんで笑ってるんですか」
拗ねたような感情を織り交ぜた抗議の声がわたしの口から零れる。
「…お前の表情の変化が、おもしろくてな」
「なっ!ひどいです!」
人が必死に魔力を感じ取ろうと一生懸命になっている時に、なんでわたしの顔を見て笑ってるのよ!
言葉にこそしなかったが、わたしは口をへの字にしてディーを睨み付けた。
「悪い、わるかった」
そう言いながら彼は繋いでいる手を片方外し、わたしの頭をぽんぽんと撫でた。
「きちんと魔力を感じ取れているようだな」
ディーが小さく笑いながらそう告げたので、わたしはぽかんとして反応が遅れてしまった。
「え?」
「俺が流す魔力に合わせて、お前の表情が変化していたからな。きちんと感じ取れていたみたいだぞ」
「ほんとに?」
「嘘をついてどうする」
「……」
きょとんとしていた表情が嬉しさから見る間に笑顔になる。
感じたものが曖昧で、はっきりと分からないこともあって不安だったが、ディーがきちんと感じ取れていたと言ってくれたことで明確な自信に変わる。
「っ!?」
嬉しくて思わず「やったー!」と飛び上がりそうになったところを、ディーが繋いでいた方の手をぐっと握りこんだので、ぎょっとしてわたしの動きが止まる。
「時間に余裕はない。次だ」
「……オニ」
「何か言ったか?」
「いぇ、なにも言ってません」
「よし。では次に、属性の違う魔力を流すから、感じ方がどう変わるか見極めろ」
「見極めろって、そんなのむ」
「反論は許さない」
突然上がる難易度に抗議の言葉を発しようとして、瞬時にディーに先を封じられた。
一瞬ディーのことを教え方が超絶上手い神教師だ!とうっかり感動してしまったが、その認識はすぐさま塗り替えられた。
この人はやっぱり極悪非道のスパルタ鬼教官だ!
「………アクマ」
「何か言ったか?」
「いいえ!何でもありませんっ!」
ついうっかり口にしてしまった悪態を慌てて誤魔化す。
今ディーの目を見てしまうと、この後の訓練に心が耐え切れなくなってしまうので、逸らした視線は合わせないようにした。
この場を逃げ出したい衝動に駆られているのだが、片手をがっつり掴まれているのでそれも叶わない。
いや、逃げ出してしまったらせっかくの魔法訓練が無駄になってしまうので、逃げ出すつもりはないのだが、如何せん目の前に立つ人物から向けられる威圧感に自然と目が泳いでしまう。
「焔属性から順に魔力を流す。違いを感じ取れ」
「…はい」
超ど級初心者相手に無理難題を課してくれると心の中で呟くが、時間は刻一刻と過ぎていく。
忙しい彼らの時間を無駄に奪う訳にはいかないので、わたしは再び繋いでいる手に向かって意識を集中した。
「これが焔」
「……」
「次が水だ」
「……」
「風……」
流す魔力の属性を変えるたびにディーは何の属性かを口にしてくれた。
彼は得意ではないと言いながらも、焔・水・風・土・聖の全ての属性魔法が扱える。
それは以前、執務室やプライベートルームで魔法について聞いたときに教えてくれたことだ。
彼は五つの属性魔法の他に、どの属性にも属さない神官特有の召喚・封印系統の魔法も使う。
それを知った時は呆気にとられて目を見開いていたが、「魔力の波動の違いを知らなければ、感じ取ることも見分けることもできないだろうが」と突っ込まれて、なるほど言われてみれば確かにそうだと納得した。
ディーの常人離れした凄さに、神様は不公平だと悪態をつきながらも、彼の説明を聞いていたのは記憶に新しい。
流す魔力の属性を変えるたびにディーが何の属性かを教えてくれたおかげで、最初は良く分からなかった属性の違いが何となく感じ取れるようになっていった。
焔の魔力はどことなく温かく、水の魔力はほんのり冷たさを感じ揺らめいてる気もした。
風の魔力は吹き抜ける風のような清々しさを思い、土の魔力は重厚さが感じられた。
何となく曖昧で表現しにくいのが聖の魔力だった。
ディーが流す魔力がどの属性かをきちんと認識するため、彼はわたしに魔力を流しながらどの属性のものかを確認していった。
はっきりと分かるのは水属性。それ以外はまだ曖昧なところがあり魔力量が少ないと判別が難しかった。
「まぁ、いいだろう。次は実際に使用してもらう」
「うっ……」
うまくできる自信が全くなくて、不安と緊張で胸が張り裂けそうになる。
思わず胸元をきゅっと握りしめると、それに気づいたディーがすかさずフォローしてくれた。
「うまくやろうと思わなくていい。不安定なお前の魔力を知る為の訓練だ。扱い方を知れば、恐怖もなくなる」
「……はい、がんばります!」
気合を入れてディーを見上げれば、彼は口元に笑みを浮かべてわたしの頭をぽんと軽くなでた。
「始める前に、これをつけろ」
そう言ってディーが取り出したのは、小さな赤い石の付いた一対のピアスだった。
「この赤い石は魔導石だ。攻撃魔法を感知すると瞬時に防御壁を展開する術式を組み込んである」
「………」
「何が起こるかは予想できないからな。暴発などの事態に備えお前の身を護るために準備した」
何でもない事のようにしれっと口にするディーだが、そんな超高等魔法が組み込まれた魔導石なんてほいほい作れるはずがない。わたしは掌に乗せられたピアスを凝視し、自然と口元がひきつり眉間に皺が寄っていたのだった。
「こんな恐れ多い物、簡単に作れるはずが…」
「俺は攻撃魔法よりも召喚、封印系統の方が得意だからな。この程度の術式を魔導石に組み込むことは造作もない」
「………」
ディーのこの発言にわたしは無能な自分と比べてしまい、このイケメン強面極悪神官がっ!と無性に悪態をつきたくなりうっかり口を開きそうになって踏み止まったことは彼には絶対に秘密だ。
ちなみに緋龍に会いに行ったときの一件もあり、いつでもピアスを身に着けられるようわたしの耳には早々に穴があけられていて半透明の白い石がついたピアスを着けている。これもディーがくれたもので、護りの術式が組み込んであると言っていたはずだ。
「今着けている物では駄目なんですか?」
「たいして違いはないが。それには術式が発動すると、俺を呼び出すよう組み込んであるからな。今はその必要はない」
「………」
なんか恐ろしいことを聞いてしまった気がする。
術式発動と同時にディーを呼び出すってどういうことだ!?
「ぼうっとしてないで、早く着けろ」
「……はい」
ピアスを付け替え、元々身に着けていた方はディーに預けた。
わたしが持っていてどちらの魔導石も反応し、術式が展開されてしまうのはもったいない。
彼は術式を組み込むのは簡単にできると言うけれど、そうは思えなかった。
複雑な心境のまま赤い石の付いた方のピアスを装着し、いざ実践に入ろうとしていると、こちらに向かって歩いてくる人影に気づいた。
誰だろうと思って視線を向けていると、なんと姫様とグレン様だった。
二人は参加できない筈では?と首を傾げていると、とっくに気づいていたらしいディーがくるりと振り返った。
「来ないんじゃなかったのか」
わたしが思っていた疑問を彼が口にすると、姫様は予定が変更になった、グレン様は午前中に片が付いたと話された。
「こちらのほうが面白そうだったから」とは姫様の言葉だ。予定は変更になったのではなく、変更したのかもしれないと思い、ひやりとしてしまった。
「丁度いい。グレン、お前が的になれ」
「!?」
「はっ?」
突然ディーが恐ろしいことを言い出した。
確かに対象物があったほうがイメージしやすく魔法も発動しやすいとは思うが、的になれとはあまりにも非人道的すぎる。
「王女とルークは一応、グレンの補佐を頼む」
「わかったわ」
「了解」
「……リスティニア、お前すっげぇ楽しそうだな」
グレン様は姫様が浮かべている笑みを見て、嫌そうに顔を顰めている。
「あら、こんな楽しそうなことが他にあって?」
「……」
姫様の嬉々とした声を聞いて、グレン様は半眼になって彼女を睨み付けていた。
本来ならば不敬罪と取られかねないグレン様の様子だが、従妹同士の二人にとってはこのくらい日常茶飯事なのかもしれない。周りにいる面々も特に気にしていない。
グレン様はわたしとディーから少し離れた位置の正面に陣取り、その両側のさらに少し離れた位置に姫様とルーク様がそれぞれ移動して準備が整った。
「標的はグレンだ。威力は、気にするな」
「気にするなって、あぶねーだろうがっ!」
聞こえたらしいグレン様が速攻で抗議の声を上げた。それをディーは無視して話を続ける。
「対象に向かって魔法を発動させることが目的だ。難しく考えればその分集中が乱れ、暴発の危険も増す」
「うぅ……」
難しく考えるなと言われても、それ自体が難しい。
眉間に皺を寄せ、誰が見ても明らかに分かるほど混迷していた。
「ユズハ」
「はいっ」
自身の掌を見つめて眉根を寄せていると、ディーに名前を呼ばれてハッと顔を上げる。
見上げた先で、彼は見守るような優しげな眼差しでわたしを見ていた。
「俺が誘導してやる。お前は俺が言ったとおりのイメージを思い描けばいい。できるな?」
「頑張ります」
こういうところ、彼は本当に面倒見がいいと思う。
これだけしてみせて理解が追い付かないわたしはどう見ても問題児だ。
けれど彼は絶対に放りだしたりしない。それを有難いと思うし、誰よりも信頼できる人だと再認識する。
「魔法が向かう先が揺らぐようなら、対象物の方向に手を向ければいい」
そう言われて、わたしは素直にそれに従い掌をグレン様に向ける。
まだそれだけの動作だったが、向けられたグレン様がぐっと気を引き締めたのが見て分かった。
「発動させるのは水魔法だ」
ディーの言葉に、わたしは先程彼が水属性の魔力を流してくれた時の感覚を思い出し、同じイメージを思い描く。
属性を指定されたことで、不安定だった魔力の流れも一定の波動を紡ぎだす。
「良い調子だ」
彼が人を褒めることはめったにない。だが今聞こえた称賛の響きを持つその声に、わたしはやる気と自信が沸き起こり、微々たる波動がはっきりとした質量を伴い始めた。
「ずぶ濡れにしてやれ」
ぼそりと呟かれた言葉は愉悦を含んでいて、この時ディーの顔を見たならば確実に意地の悪い笑みを浮かべていたと思う。
だがそれをしてしまうと、集中が途切れてしまうので、あえてそれには触れずグレン様に意識を向けた。
イメージとしてはそう、ディーが言った通りずぶ濡れ。
水のイメージを思い描くためややうつむき加減だった顔を上げて、グレン様をまっすぐ見据え……。
「いきますっ!」
わたしの気合の入った一言と共に、体内に循環していた水の魔力が放出されグレン様の足元がほんのり光を発し、次の瞬間にはわたしの放った魔法が彼を襲っていた。
「――っ!!」
「!?」
「どわぁあああああ!!」
ほんのりと光を発したグレン様の足元から水柱が上がり、ディーの言葉通り彼はずぶ濡れになっていた。
彼を囲む様にして足元から空へ向かって上がった水柱は、一本一本は細く小さいものだったが、勢いがありやや内側に向かって打ち上がったため、中央でひとまとまりになった水が丁度真下に立っていたグレン様に一気に降り注いだのだ。
何が起こっても対処できるように魔力を纏わせていたルーク様と姫様だったが、わたしが発動した魔法に攻撃の意思を感じられなかったことから、双方共に対応が一瞬遅れ水柱に驚いている間に、グレン様が頭から水を被るという事態になっていた。
グレン様も水柱が上がるとは予想していなかったようで、ずぶ濡れになった彼が一番驚いていた。
「…予想外」
目を丸くしたままの表情でルーク様がぼそりと呟いた。
「ふ……、あははははは」
姫様に至っては、一拍遅れて盛大に笑い出した。
彼女にとってもこの事態は予想外だったようで、やや前屈みになりながら声を出して笑っていた。
ここまで感情を露わに笑う姫様の姿を初めて見たわたしは、その様子に別の意味で驚いていた。
「よくやった」
声のした方を見ると、ディーが満足そうに黒い笑みを見せていて、わたしは思わず口元を引き攣らせてしまった。
「魔法に長けた面子をこれだけ揃えていて、誰も対処できないとはすごいですね」
ゆっくりと近づいてきたジェイドさんが感嘆の声を上げた。
その言葉にディーは笑みを深くした。
わたしはディーとジェイドさんを交互に見ながら、ディーだけは絶対に予想していたに違いないと確信していた。
少し離れた場所では、ずぶ濡れになったグレン様が今だに笑い続けている姫様を羽交い絞めにしようと手を伸ばしているところだった。
彼はこの後姫様に返り討ちにあうのだが…。
ゆっくり更新になって申し訳ありませんが、完結までがんばります。
ようやく物語が動き出す、はず…。




