第36話 -訓練-
足を運んでくださる皆様ありがとうございます。
魔法を発動したわけではないけれど、魔力を感じる練習を密かに行っていたところをディーに気づかれ、こってりと怒られてしまった。
いや、怒られたと言ってしまうと語弊があるのだが、身の危険を感じたのは間違いない。
無謀だ、危機感が足りないと散々言われて、すんなりと受け入れられるほど能天気に過ごしてきたつもりはなかった。
結構小心者で臆病な面があるので、自分では慎重な方だと自負していた。
けれど周りはそうは思っていなかったようだ。
「どう思います?」と意見を求めれば、ジェイドさんもグレン様も姫様もルーク様も、果てはスヴェンさんまでもが揃いも揃って「ディクス(殿)と同意見です」と言われてしまってぐうの音もでなかった。
わたしの味方はいない、何て厳しい世界なんだ。と苦言を呈したくなるも、これまでの事例を上げられれば黙るしかなかった。
「緋龍の前に飛び出した時は、心臓が止まるかと思ったぜ」
「大量の水を頭から浴びていましたね。水ですんだからこそ大事に至りませんでしたが」
「王都に出た時も……」
そんな風に口々に言われると、自分では意識していなかったが、結構なことやらかしたんだなと気づかされて、背中を冷たい汗が流れ落ちていった。
そして止めの言葉が…。
「「「そもそもあのディクスと生活を共にできる時点で普通じゃない」」」
ときたもんだ。
語尾は多少違えど、全員綺麗にハモっていた。
言葉にしなかったルーク様やスヴェンさんも同意見だと大きく頷いている。
え?何ですかその、異質なものを見るような目。
普通じゃないって、わたし至って普通の人間なんですけど!?
わたしが驚愕の表情で皆を見つめていると「自覚なかったのかよ」とグレン様から驚きの混じった声で突っ込まれた。
ジェイドさんもその隣で苦笑している。姫様は頬に片手を添えて大きな溜息をついていた。
「ディーは確かに表情の変化がほとんどなくて、ムスッとしていることが多いかもしれないけど、だからって意地悪されるわけでもないし、怒ると恐いけど、それは間違ったことをしたから注意する必要があったからで、その時の気分で怒鳴り散らしたりとかないし、誰かの悪口や愚痴を言うこともないし、きちんと返事してくれて、無視したりしないし、別に普通だと思うんですけ……ど?」
ディーと過ごしてきたこれまでを振り返って、思っていたことを一気に捲し立てるように口にしたが、聞いている皆の表情がどんどんとしかめっ面になっていく。
なぜ?わたし何かおかしなこと言ったっけ?
首を傾げて言葉を切ったわたしに、姫様が近づいてきてきゅっと抱きしめ、頭をなでてくださった。
姫様の突然の行動に驚いて、わたしは目をぱちくりと瞬いた。
「ここにくるまで一体どんな生活送ってたんだよ」
グレン様もわたしの頭をよしよしと撫でてくれる。
「大変な苦労をしてきたんですね」
グレン様の手が離れると、ジェイドさんも同じように頭を撫でてくれた。
「え?え?」
姫様に抱きしめられたまま、皆に代わる代わる頭を撫でられ、同情の眼差しを向けられてしまった。
あれ?おかしいな。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけども。
「お前ら何をしている」
突如背後から聞こえた声に視線を向けると、眉根を寄せて若干不機嫌そうな表情のディーが立っていた。
いつからそこにいたんだろう…。
わたし怒られるようなこと言ってない…よ、ね?
聞かれてしまったかと、ほんの僅かだが血の気のひくような感覚を覚え、ディーの様子を窺う。
「ユズハを離せ」
おもむろに近づいてきたディーが、抱きしめられたままのわたしを姫様の腕の中から引き剥がし、彼の傍らに移動させた。
きょとんとしているわたしの目の前で、姫様がディーを睨み上げる。
力ずくというほど強い力で引き剥がされたわけではないが、姫様はディーの態度が気に入らなかったようだった。
「相変わらず、傲慢で自分勝手ですこと」
「お前には関係ない」
二人の静かなバトルが目の前で勃発し、わたしはますますどうして良いか分からなくなってしまった。
無言でバチバチと火花を交わす二人の様子にたまらず口を挟んだ。
「ところでディーは何か用事があってきたんじゃないんですか?」
「ん?……ああ、そうだな」
わたしが声を掛けたことで、ディーの纏っていた険悪な雰囲気が霧散しほっとする。
「お前の魔法の訓練をしようと思っている」
それはわたしに向けられた言葉だった。
予想もしていなかった内容に、わたしはことんと首を傾げた。言われた言葉が上手く脳内に入っていかない。
「手が空いている者がいれば、付き添いを願いたいところだが」
続く言葉はわたしではなく、姫様たちに向けられていた。
「面白そう…」
いち早く反応したのはルーク様だった。
彼も表情を変えることはほとんどないが、その目がわたしから逸らされることはなく興味津々だと切実に訴えていた。
「これからか?」
「午後からを予定している」
グレン様の問いかけにディーは即答する。
いつの間にそんな段取りをつけていたのだろうか。
魔力操作をしていて怒られたのはつい昨日のことだ。
魔法の訓練をする時間をつくるとは言ってくれていたが、こんなに早く実現するとは思ってもみなかった。
「わりぃ、今日は抜けられねぇ業務が入ってる」
「私も今日はお客様がいらっしゃるから難しいわね。残念だけれど」
グレン様と姫様が申し訳なさそうに眉根を寄せている。
「私は大丈夫ですよ」
次にディーに視線を向けられたジェイドさんがにこやかに笑って告げた。
その隣にいたスヴェンさんも協力してくれるらしい。
「必要なものがあればご準備しますので、何なりとお申し付けください」
そう口にしたスヴェンさんにディーは早速何かを頼んでいた。
ディーが言っている内容があまりにも聞きなれないものばかりで、何を頼んだのかわたしにはさっぱりよく分からなかった。
*・*・*
ディーと共に部屋に戻ると、彼は残っている業務をてきぱきと処理していった。
手伝うこともできないわたしはその間、プライベートルームで魔術指南書に目を通していた。
魔法に関する基本的なことをおさらいする意味も兼ねて、しっかりと頭に叩き込んでいく。
ディーから決して魔力を操作しようとするなときつく言われていたので、本を読んでは脳内で情報を整理するということを繰り返していたのだが、集中して考えていた際に、無意識に魔力を練り上げてしまっているらしく、その度にディーは仕事を中断してプライベートルームへやってきて厳重注意をした。
そのプチ説教をくらうという所業を三回ほど繰り返した結果、わたしはとうとうディーの目につくところ、すなわち執務室で本を読むようにと言い渡されてしまった。
仕事の邪魔をしてしまった申し訳なさも相まって、ディーの気配を感じながら魔術書を読むというのはとても緊張する。おかげで、本の内容がまともに頭に入ってこない。
これって時間を無駄にしてないかと思い始めたところで、お昼を告げる鐘の音が鳴った。
「もう少しで終わるから、しばらく待っていてくれ」
「はい。食事はこちらに運んでもらいますか?」
「あー、いや…。お前はどうしたい?」
少し考え込んだディーがわたしに逆に問いかけてくる。
城内の食堂に食べに行くこともあるのだが、午後には魔法の訓練を行う予定になっている。
訓練を行う前にディーに色々話を聞いておきたいこともある。
魔術書を読んでいて不明瞭な個所が多々あるのだ。
「午後の魔法訓練の前に確認したいことがあるので、できれば食事をしながらでも教えてもらいたいと思ってるんですけど」
「わかった。ではスヴェンに食事を運んでもらえるよう頼めるか?」
「はい!」
ディーのいる執務机の前に行き、スヴェンさんを呼ぶための鈴をもらう。
ディーの邪魔にならないように少し離れてから鈴を軽く振ると、近くに居たのかスヴェンさんはすぐに来てくれた。
食事を運んでもらえるようお願いすると、スヴェンさんは笑顔で引き受けてくれた。
「スヴェン、頼んでおいたものは準備できそうか?」
「はい、全てご用意できております」
「食事が終わったら俺達も向かうから、第三訓練場に運んでおいてくれ」
「かしこまりました」
スヴェンさんが退出してからほどなくして食事が運ばれてきた。
そのころにはディーの仕事も終わり、書類もきれいに片づけられていた。
プライベートルームに移動し、食事もある程度終わりかけた頃、ディーが問いかけてきた。
「それで、確認したいこととはなんだ」
食事の邪魔になってはいけないと思い、食事中は遠慮して魔法とは関係ないことを話していた。
ルーク様もそうだが、ディーは仕事や魔法についての話を始めると、そちらの方に集中する為、他の作業は完全に中断してしまう。
飲み物に口をつけるくらいはするが、食事はとまってしまうのだ。
根っからの仕事人間というべきか否か…。
わたしの方はまだ少し残っているので、食べながらという状態ではあったが、時間もゆっくりあるわけではないので、気になっていることを聞いてみることにした。
ディーはわたしの問いかけにスラスラと答えてくれる。
わたしの質問内容があまりにも魔法の初歩の初歩すぎて、食事の邪魔になるほどのものでもないらしい。
すでにディーは食事を終えて、食後の紅茶を口にしていたのだが、わたしの問いかけに考え込むそぶりすらも見せることなくゆったりとした姿勢でくつろいでいる。
何だかちょっと複雑…。
まぁ長年、それこそ物心つく前後くらいから当たり前のように魔法を行使してきた人にとっては、疑問に思うことすらなぜそんなことを?と疑問を抱きかねない内容なのだろう。
そりゃまぁあね…。
魔法を使う際に呪文ってあるのかとか、属性の違う魔法を発動する時どうやって使い分けているのかとか、その時に使う魔力は属性によって変わってくるのかとか、そんな考えたこともないかもしれない内容を聞くのだから、半分呆けた反応が返ってきても致し方ないのかもしれない。
でも!だって!魔法なんてない世界で生きてきたわたしには全てが未知のものなんだもの!
疑問にだって思ったって仕方ないでしょー!
そんななんとも表現しがたい感情を渦巻かせながら食事を終え、午後の魔法訓練の時間を迎えた。




