第34話 -魔力-
「すまないな、何もしてやれなくて」
「そんなことないです。沢山のことをしてもらってます」
執務室に集まっていた面々は解散し、プライベートルームに移動しながらディーがそう口にした。
ディーがそこまで気に病む必要はないのにと申し訳なく思っていると、ふいに振り返った彼がわたしを抱き寄せた。
最近ディーはこうしてわたしをよく抱きしめるようになった。
慣れないうちは恥ずかしくて、身を捩って逃げ出したり抗議の声を上げたりしていたのだが、少しずつ慣れてきたようだ。
恥ずかしいのは変わりないが、小さな子どもや小動物にするそれと同じだと思えば、嫌がっていたのが逆に変な気もしてくる。
小さく可愛いものにする母性愛的な感情と、成人男性が女性を抱きしめる際の感情が同じかどうかは……わたしには判断しかねるが。
とにかく、こうしてディーに抱きしめられて嫌な気持ちにはならないし、逆に少し低めの彼の体温に包まれて安堵することも多いのでされるがままになっている。
これが下心丸出しの妖しい人相手だったら、有無を言わさず完全拒否するのだが、例えばジェイドさんに抱きしめられても別に嫌だとは思わないし、グレン様は微妙だけど、ルーク様は微笑ましくて逆に頭撫でてしまいそうな気がする。姫様に至っては逆にわたしの方が彼女を抱きしめてみたいとさえ思っている。
頭の片隅でそんなことを考えていると、ディーに呼びかけられてハッと意識を引き戻した。
「どこか具合でも悪いのか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるディーに苦笑しつつ、脳内がまだ少しぼんやりしていたわたしは、ぼそりと言わなくていいことを口にしていた。
「…姫様抱きしめたら、きっと癒されるよなぁって…」
「何の話だ」
「はっ!今のなし!」
ディーの顔は若干引き攣っていた。
どうしてそこまで嫌そうな顔をするのか分からない。
姫様あんなに綺麗で可愛らしくて、ふわふわでほわほわで、あの大きな澄んだサファイアブルーの瞳を向けられたら思わずぎゅってしたくなっちゃうじゃない。とそう言ったけど、ディーからは全く同意できないと完全に否定されてしまった。納得できない。
*・*・*・*
これといった情報も集まらないまま二日後の午後を迎えていた。
わたしは特にこれといってすることもないので、以前ディーに相談して用意してもらった魔術の本に目を通していた。
こうして改めて目を通していると、以前に魔法発動まがいのことをやってしまった時の記憶が頭をかすめた。
「…あの時は、大量の水が頭上から降ってきた…んだよね…たしか」
回復魔法と似たイメージで、治癒するのではなく、対象物そのものが持つ生命力のようなものを活性化させることができたら良いなと思いながら、魔力を流すイメージを頭に思い描き、花瓶に差し入れた両手に意識を集中した。
最盛期を過ぎて勢いを失いつつある花瓶に活けられた花々に、瑞々しさが戻ればと思って実行してみたのだ。
実際にやってみて、魔力を感じ取れたかと言われれば、良く分からないというのが本音だが、ほんわりと掌が熱を持ったように感じたのは確か。
その熱を水と花のそれぞれに流し込むようなイメージを思い浮かべながら目を閉じ、更に意識を集中させたところであれだ。
頭上から大量の水が降ってきたのだ。
目を瞑っていたから何が起こったのかさっぱり分からない。
何の音もしなかったし、水が降ってくる直前まで、花瓶と水、そして花の一部に自身の手が触れている感覚も変わらなかった。
目を開けているんだったと、今更ながらに後悔しても遅いが、目を開けていたならば、その時起こった一部始終がわたしの経験の一つとなり、今後魔法を習得していく上で大いに役に立ってくれたのは間違いない。
それなのに、目を瞑っていたばかりに、何の得にもならないばかりか、ディーにしこたま怒られるという最恐オプションがついてきて大損だった。
だからといって魔法習得を諦めたかと言われればそうではない。
国中に発生している瘴気は、その紫龍が復活する兆しの現れだとディーは言っていた。
国の存亡に関わる重大な危機を未然に防ぐ為、事態を鎮静化することのできる力を持つ者として呼び寄せられたのがわたしだと彼は言う。
果たして本当に自分にそんな力があるのか、未だ現実味のない話ではあるけれど、これまで多大なお世話をしてもらっておいて、何の役にも立てませんじゃ、わたし自身が黙っていられない。
このままでは単なるお荷物でしかない自分の存在を、全否定してしまいたくなってしまう。
今この世界にいる自分の存在を否定するということは、わたしをこの世界に呼び寄せたディーのこと、果ては彼の力までも否定することになってしまう。
そんなのは嫌だ。
わたしのせいでディーまでもが批判されるなど耐えられない。
だからそんなことにはならないよう、今後の為にも、魔法が使えるようにならなくてはいけない。
しかもどんな魔法が使えるのかを把握しておくことは、最低限必要なことだと思われる。
具体的に何をどうすれば良いのかはさっぱり分からないけれど、自身にもあると言われた魔力すら自在に操れないようでは話にならないので、自分に何が出来るのか、まずはそれを明確にすることからはじめてみようと思った。
うっかり発動させてしまうと、またディーのお説教をくらう羽目になるので、それだけは絶対に避けなければならない重要事項としてまず念頭において深く深呼吸をした。
自分の中にある魔力をとにかく認識できるようになることから始めようと思い、循環するようなイメージを頭に思い描き、掌をお腹の上に置いて目を閉じると、自分自身へと意識を向けた。
頬に感じる窓から入ってくる心地良い風、耳に届く小鳥のさえずり。
それらに向かっていた感覚を意識して自分に向けていると、次第にそれらを感じなくなっていった。
同時にお腹の上に置いた両掌がじんわりと熱を持つ。
あ、何か…流れて…。
そう感じた時だった。
「ユズハ!」
「っ!」
名前を呼ばれ強引に肩を揺さぶられると、途端に意識を引き戻されびっくりして目を開けた。
「ディー……」
目の前には眉根を寄せこわばった表情をしたディーの顔があった。
切羽詰ったような彼の表情を見て、わたしはことんと首を傾げた。
いつの間に部屋に入ってきていたのだろうか。
「どうした……の?」
寝起きのような間延びした声で尋ねると、ディーの眉間の皺は更に深さを増した。
その表情は鬼のようだ。とたんに脳裏に過去の光景が浮かぶ。
あ、やばい…。
そう思った時には既に時遅し。
頭に浮かんだ過去の光景が、今まさに目の前で再現される。
「お前はどれだけ心配させれば気が済むんだっ!!!」
「っ!!!」
目の前で大声で怒鳴りつけられ、頭の中でディーの声が鳴り響いてくらくらした。
身の回りは特に変わった様子は見られない。
まだ何もしてないのになんで怒られるのーという思いと、見つかっちゃったーという焦りと、なぜばれたんだろうという疑問と、色んな感情が交差して状況がうまく掴めない。
分かるのは、目の前のディーがものすごく怒っているということ。
執務室で仕事をしていた筈なのに、何で気づくかな?
肩を掴んでいたディーの手が一旦離れたので、わたしはソファーに沈めていた体を起こそうと力を入れたが、眩暈に似た感覚を覚えくらりと体が傾いてしまった。
「ユズハっ!」
咄嗟にディーが支えてくれたので前のめりに倒れずにすんだ。
ゆっくりと顔を上げると、ディーの表情は先程浮かんでいた怒りの感情はなく、困惑と心配の色が浮かんでいた。
体を起こしソファーに座り直すと、ディーもその隣に腰をおろした。
「大丈夫なのか?」
「はい、問題ありません」
尚もまだ心配そうに顔を覗き込んでくるディーに笑って返事を返すが、彼の表情は硬いままだった。
「ちょっとクラッとしただけで、本当に大丈夫ですよ」
「…お前の大丈夫は信用できない」
「ヒドイ…」
「誰のせいだ誰の!自分がどれだけ危険なことをしているか、きちんと自覚しろ!」
「………」
「…なぜ、目を逸らす」
怒りの色を宿したディーの声音を聞いて、思わず視線を逸らしたが間髪入れずに突っ込みが入る。
「えっと……危ないことをしていたつもりはないので、危ないという認識は……」
逸らした視線を再びディーに向け言葉を紡ぐが、彼の表情を見てまたついーっと逸らしてしまう。
「していないんだな?」
「うっ……」
そのわたしの様子にディーは眉間の皺を深くした。
即座に鋭い指摘が入り、わたしは二の句が継げないでいる。
ピリピリとした怒りを含んだ雰囲気が彼から伝わってきて、恐ろしくてディーの顔を見ることもできない。
何か言おうと言葉を探して視線を彷徨わせるが、一向に良い言葉は浮かんでこなかった。
「それで?何をしていた」
先に口火を切ったのはディーの方だった。
その内容に、そうくるよねぇと現実逃避したくなる思いがよぎる。
悪いことをしたつもりはないのに、目の前の彼が発する雰囲気から、過去数回にわたりくらったお説教が思い起こされて、自然と逃げ腰になる。
心臓もなんだかドクドクとうるさくなってきて、とても居心地が悪い。
「ユズハ?」
「う……」
凄みのある低い声で名前を呼ばれてしまえば、もう観念するしかない。
わたしは深呼吸をした後、覚悟を決めると言葉を紡いだ。
自身の中にあると言われた魔力を感知できるようにと意識を集中してみたこと、決して魔法を使ってみようとしたわけではないこと、それらを切々と訴えた。
それはもう必死に、慎重に言葉を選んで。
お説教をくらうのはもうコリゴリなので……。
「お前が、魔法を使えるようになりたいと思っているのはわかった」
わたしの話を聞いたディーが大きく息を吐き出す様子を戦々恐々しつつ見つめていた。
耳に届いた彼の声音が、穏やかさを含んでいたので、思わず気を緩めてほっと息をついた時だった。
「だからと言って、お咎めなしだとは思うなよ?ユズハ」
「―――っ!なんでー」
半泣きで逃げようと腰を上げたが、ディーの方が早かった。
正面から両腕を捕まえられ、彼の身体ごと覆い被さるようにしてソファへと押し戻された。
「ディー、なにを…っ!?」
「口で言っても分からないようだからな。さて、どうしようか」
ソファに押し倒したわたしを跨ぐようにして座しているディーが、真上から顔を覗き込んでくる。
その瞳にはまだ怒りの色が宿っていたけれど、どこか別の感情も浮かんでいるように見える。
というかその口元が意地悪そうに持ち上げられる。正しくニヤリという言葉が似合う笑い方だ。
これは完全に退路を断たれた、よ?どうしよう…。
焦りからわたしは視線を彼方此方へと彷徨わせる。
何かディーの包囲網から抜け出す良い手だてはないものかと、救いを求めて部屋の中を隅々まで見渡す。
冷や汗が体中から吹き出しそうで、血の気がさーっと引いていく感覚が喉元を通り過ぎていく。
ディーの右手が、顔にかかったわたしの髪を梳くようにして脇に流すと、そのままゆっくりと頬を撫でた。
「っ!!」
その瞬間、悪寒に似たぞわりとした感覚が背筋を走り体が硬直する。
「ユズハ」
普段のものよりも随分と低い声音で呼ばれた名前は、なぜか若干の甘さを含んでいて、それがわたしの恐怖と羞恥と焦りを煽る。
「っ!!―――ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!ごめんなさーーーいぃっ!!!もうしませんからー!許してぇーー!!」
半泣きどころか、完全に泣きわめいている体で必死に訴えると、ディーの動きがぴたりと止まった。
今にも零れ落ちそうなほど涙をいっぱいに溜めた目でディーを見上げると、彼はわたしの頬に触れていた手を離し自身の顔を覆うと、大きな溜息を零した。
「そこまで嫌がられると、―――………」
ぼそぼそと呟かれた言葉は小さくてうまく聞き取れなかったが、上体を起こしたディーが、手を引いてわたしの体も起こしてくれた。
その動きで溜まっていた涙がぽろりと頬を伝って落ちていった。
「泣かせるつもりはなかった。すまない」
そう言ってディーはわたしの涙をその指で掬い取った。
バツが悪そうな顔をしている彼を見ていると、先程まで渦巻いていた恐怖や羞恥と言った感情が霧散していった。
「ごめんなさい。もう、一人ではしません」
「ああ、そうしてくれ。でないと、俺の心臓がもちそうにない」
目の前でしゅんと項垂れているわたしの頭を優しく撫でながら、ディーが溜息と共にそう零す言葉を、わたしは内心で首を傾げながら聞いていた。
長らくおまたせしてすみません。体調を崩しておりました。これからサクサク進められるようまた頑張りますので、どうぞよろしくお願い致します。




