第32話 -居場所-
時空の狭間からディー達のいる王宮に戻ってきて数日が経過し、これまでの短期間に起こったドタバタが懐かしく思える程穏やかな日々が過ぎていた。
ディーとの間にあった目に見えない引力が消えて自由に動き回れるようになったおかげで、言葉を交わすほど親しくなった人も着々とその数を増やしていた。
この世界にきてまだそれほど経っていないけど、自分の居場所だと思える空間が少しずつ出来上がっていくのが嬉しい。
見知った人が増えていくのも、声を掛けてくれる人が増えていくのも、知らなかったことを知って、知識が増えていくことも嬉しい。
一人ぽつんと部屋に残されて読めない本と睨めっこしていた時など、ふと自分はなぜここにいるのだろうかと、本当にこの世界に必要なのかと不安に思い、もとの世界に帰りたいと思ったことも一度や二度ではなかった。
右も左も分からない世界で日々何をしたらいいのか検討がつかず、自分一人が異質な存在であるかのような心細さを感じていた。
それがたった数日で変わる。誰かに明確に必要とされることで確固たる居場所を手に入れたせいもあるのかもしれない。
自由に動けるようになっても変わらないことがある。それはわたしが今もディーの部屋に居続けているということ。
彼がそうすることを望んだというのもあるけれど、わたしもディーの傍に居るのは安心するのだ。
なので自由に動き回れるようにはなったが、行動範囲はたいして広がっていない。一人で行くのは図書棟くらいだ。
たまに時間が出来た時はディーが一緒に行ってくれる。そんな時の行先は図書棟に留まらず、以前にも行った色とりどりの花が咲き誇る中庭に、ルーク様がいる魔術棟、薬草園、獣舎など。
他にも市街地に買い物に行ったこともあった。
初めて行ったそこは、王宮内とは違った喧騒と活気に満ち溢れていて楽しかった。ディーはとても疲れた顔をしていたけれど(苦笑)。
変わったようで変わらないことはもう一つある。
それはわたしの寝場所だ。
別々のベッドを使用している筈なのに、朝わたしはディーのベッドで目が覚めていた。
毎度毎度不可解なその現象を問うてみても、ディーは表情を緩めるだけで何も話してくれなかったが、とうとう我慢ならなくなりある日がっつり問い詰めるとディーはあっさりと白状してくれた。
どうやら寝惚けたわたしがディーのベッドに潜り込んでいたらしい。
がーーーん。
わたし寝相悪くない筈なのになんでそんなことになってるのー。
ショックで暫く放心状態だったが、ディーが優しく頭を撫でてくれて『お前が隣に居ると心地良いからその方がいいけどな』と言われた時には別の意味で意識が飛びそうになった。
それからはベッドを分けていても意味がないから一緒に寝るぞと言われ最初は抵抗したのだが、翌朝ディーのベッドで目が覚めてがっくりと肩を落とすこと数回。最終的には別々のベッドを使うことを諦めてディーのベッドに潜り込むことにしたのだった。
スプリングが効いている上にほどよい硬さのマットレス、ふわふわの掛け布団に隣には心地良い体温で包み込んでくれる存在がいればそれはもう意識を手放すのに三秒もいらない。しかも途中で目が覚めることなく朝までぐっすり。
それが分かって自分の無意識の行動に納得した。あんな極上の寝場所に寝ない筈がないと。
わたし用に持ち込まれた簡易ベッドは、人に尋ねられた時の為のカモフラージュ用として未だそのまま置かれている。
現在そのベッドを使用していないことは誰にも言っていないのだが、どうやらスヴェンさんには全てお見通しのようで、温かい目でにっこり穏やかに微笑まれてしまった。
極上の寝場所であることを認識し、同じベッドで寝ることになったのは仕方がないとして、全くの平常心だったわけではない。
自らの意思でディーのベッドに潜り込むというのは、最初は大丈夫か?という不安と、本当にいいのか?という疑問と、恋人でもない成人男女が同じベッドで寝るのはダメだろうという突っ込みと羞恥心でいっぱいだった。
ディーがやってきてベッドに入るまで寝つけないでいた時は、特に心臓バクバクで口から何かが出そうになったほどだ。
けれどそんなわたしのあらゆる感情なんて数日で吹き飛んだ。
大抵わたしの方が先にベッドに入っていて、ディーが後からベッドに潜り込んでくるのだけど、自分の体温でほどよく温められた寝具の中にいて更にディーの体温に包まれると瞬間的にこてんといく。
待っている間はとても恥ずかしくて鼓動がうるさいくらいに早鐘を打っているのに、彼の腕の中に納まると安心して色んなことがどうでもよくなるのだ。そしてすぐさま意識を手放す。
だからわたしは知らない。
瞬間的に寝落ちしたわたしを見てディーが苦笑していることなど。
額に頬に鼻先にとディーが触れるだけの優しい口づけを落としていることも。
*・*・*・*
ディーが執務室で仕事をしている間、プライベートルームでソファに座り本を読んでいたが、心地良い陽気にうとうとしてしまい終いには意識を手放していた。
ああ、夢だ。
そう思ったのは目の前に広がる光景が見知らぬ場所だったからだ。
まるで映画でも見ているかのように場面が次々と移り変わっていく。
それらの夢はそれからよく見るようになった。
日中のほんの僅かな時間の微睡に意識を呑まれた時、夜ベッドで寝ている時など時間も様々であれば見ている内容も様々だった。
それらに一貫して共通しているのはどれも紫龍にまつわるものであるということ。
紫龍が女性と幸せそうに暮らしている場面もあれば、悲痛の心うちに暴れまわりその結果討伐され命を落とす姿。更には体に浮かび上がる黒い植物の模様が心臓に達し、怨龍となってしまう人間の姿など。
なぜそんな夢を見るようになったのかは分からないが、その夢に恐怖は感じなかった。
感じるのは悲しみと切なさ。胸が締め付けられるような痛みに涙が零れそうになる。
実際目が覚めて枕元が濡れていたりすることもあるので泣いているのは間違いない。
泣きながら眠っているなんてディーに知られたら心配を掛けてしまうので困るのだが、彼が何も言わないところをみると気づいていないのだと思われる。
目が覚めて目元に残る涙を拭いほっとしたところで、隣の部屋に続く扉がガチャリと開く音がして反射的に体をビクリと震わせた。
ゆっくりと顔をそちらに向けると、こちらを訝しむようにして見ているディーと視線がばっちりあってしまった。
悪いことはしていないのだが、夢のことは話しておらず隠し事をしているようで後ろめたい気持ちはある。
逸らされることなく射抜くようにじっと見つめてくるその瞳に、思わずそっと視線を外したところでディーが足早に近づいてくる音がした。
次いで正面に回り込んだディーが間近からわたしを見つめてくる。
ソファに座ったわたしの正面に立ち、わたしの体を挟み込む様にしてソファの背にその両手を置かれてしまえば逃げることもできない。
「何があった?」
「何のこと…」
「目が赤い」
「っ!」
誤魔化そうとしたのに赤くなった目を指摘されて息を呑んだ。
しまった!これじゃ隠し事してるって言ってるようなものじゃない。
そんなことを思ったところで後の祭り。
ディーの顔色を窺えば、その眉間には僅かに皺が寄っている。
ああ、失敗。心配させてしまっている。
「きちんと話せ」
低い声で有無を言わさぬ物言いをされれば従わないわけにはいかない。
隠し事や嘘の類が苦手なわたしは夢のことを素直に白状したのだった。




