第31話 -寄す処- ※神官視点
あけましておめでとうございます。
更新できないまま年があけてしまいました(がっくり)
完結目指して頑張ります。
足を運んでくださる皆さまありがとうございます。
失敗するつもりは微塵もなかったが、その姿を目にするまで不安でいっぱいだった。
己の唱える呪文に合わせて魔法陣が浮かび上がり、今にも消えてしまいそうなほどに霞んでいたユズハの気配が確かな存在としてこの空間に舞い戻った時、本当は全てをなげうって彼女の元に走り出したかった。
けれど術の発動を途中で止めてしまえば、最初の儀式の時の二の舞になってしまう。
予期せずユズハと離れることになるなど二度と御免だ。だから俺達の間に発生している引力のようなものを消し去るにはこの機会を逃せるはずもなく、召喚の儀を今度こそ完遂させる必要があった。
すぐにでも駆け寄りたい衝動を必死に堪え、召喚の儀を収束へと導く。
魔法陣の光が消えるのも待たず己の元に駆け出したユズハの姿が見えた時は少し驚いた。
それと同時に全身が歓喜に震えた。
泣いている彼女の表情を見て僅かに眉根を寄せつつも、召喚の儀の最後の魔力操作を行い己とユズハとを結び付けていた見えない繋がりを断ち切った。
最初の召喚の儀で出来なかったそれを行うと、彼女との間に発生していた引き合う力が霧散した。
一抹の寂しさが胸をかすめたが、次の瞬間にはユズハ自身が己の腕の中に飛び込んできた。
彼女の華奢な体を両腕で抱きしめると、腕の中に感じる温かさに、鼻腔をくすぐる仄かな甘みを含んだ香りに、ユズハの確かな存在を感じ胸が締め付けられた。
「ユズハ」
腕の中で泣き続けている彼女の名前を呼び、待ち望んだその姿に頬を寄せた。
*・*・*・*
儀式が滞りなく完了し異常がないことが確認されると、室内には俺とユズハの二人だけを残し他の者は皆退出していき、ざわついていた広い空間が一気に静まり返る。
腕の中で未だ泣き続けているユズハを抱き上げて、部屋の片隅に備え付けてあるソファへと向かい腰を下ろす。
彼女が泣いているのがこの空間に戻って来られた安堵感からではないだろうということは、ユズハの姿が魔法陣の中に現れた時から思っていたことだ。
一体何が彼女の心を捉えているのか分からないが、少々腹立たしくもある。
それでもユズハが一番に呼んだ名が己の名であったこと、己に向かって一目散に駆けてきたこと、そして今もなお離さないとばかりに己の衣を掴んでいるその手に嬉しさがこみ上げてくる。
それと同時にユズハが確かに己の腕の中に居るのだという実感に安堵する。
暫くして落ち着いたユズハが顔を上げて言葉を紡ぐ。
離れてから十日しか経っていないはずなのにその声を長いこと聞けていなかったような錯覚に陥り、彼女のすべてが愛おしいと思った。
そうして己の抱く感情に気づく。
俺にとってユズハは唯一無二の存在で何ものにも代えられない大切な女性だということ。
魂の番と言っても過言でないほどに、己にとって彼女は絶対に必要な存在なのだということに。
ユズハの瞳から零れる涙を己の唇で掬い取ると、額、瞼、頬、鼻先へと口づけを落としていく。
正面からユズハの瞳を覗き込めば、そこには情けない顔をした己の姿が映っている。
泣く子も黙る緋の神官と称される己がこんな表情をしているなど誰が予想できるだろう。
分厚い氷のように冷めた感情しか持っていなかった己が、何も知らなかった無垢で無知だったあの頃のような温かな感情をもう一度持つことが出来るなど思いもしていなかった。
この世界が必要としたんじゃない。
ユズハを必要としたのは誰よりも自分だったのだと、顔を真っ赤にして恥ずかしがる彼女に頬を寄せながら改めて認識した。
「ディー」
「なんだ」
互いの額をこつんと合わせ、至近距離から見つめあったままユズハの呼びかけに応える。
「顔色がよくないように見える」
薄っすらと頬を赤く染めたまま眉根を寄せた彼女は、心配そうな目をしてこちらをじっと見つめている。
「…ああそうかもな」
ユズハと離れ離れになってから今日まで、己がどうやって一日を過ごしてきたのかはっきり言ってよく覚えていない。
食事をまともにとった記憶もなければ、眠った記憶もほぼない。
ああ、だけどいつの間にか意識を失っていて……。
「もしかしてまた悪夢を…?」
不調の原因を的確についてくるところが彼女らしい。
それだけ己の顔に出ているということなのだろうが。
敢えて言葉を紡ぐことはせず曖昧に笑ってみせると、ユズハの顔が辛そうに歪む。
そして彼女はその細い腕で己の頭を抱え込む様にしてをぎゅっと抱きしめてきた。
彼女から与えられる温かく柔らかな感触に一層安堵して全身から力が抜ける。
目の奥がじわりと熱を持ち、気を抜けば溢れてしまいそうにすらなる。
離れていた間、悪夢を再び見るようになっていた。
それは実際に過去自分の身に起こったものであったり、理不尽に奪われた者達の魂の叫びであったりと様々だった。
意識して眠ったつもりはなかったが、いつの間にかそれらがつくり出す闇の中に己がいて、そこから抜け出そうともがいていたのだ。
闇に呑みこまれずにすんだのはいつも己をそこから救ってくれる『ゆらぎ』がいたからだった。
あの『ゆらぎ』が何なのかは未だに分からないが、あれが現れなくなったら己はあの悪夢から抜け出すことが出来ず、そのまま一生目を覚ますことなく衰弱死してしまうのだろうことは容易に推測できる。
以前はそれでもいいと思っていたが、今は違う。
ユズハがいるというただそれだけで、こんなにも己を生へとしがみつけさせる。
彼女を永遠に失えば、己は壊れてしまうのだろう。
逆に彼女を護る為ならば己はどこまでも強くなれる気がする。
ユズハが傍に居ると見ない悪夢を、彼女が居なければ夢に見るということは、己は彼女に護られているのだということになる。
神子としての力が発現しているわけでもないただの小さく弱弱しい一人の女性が、傍にいるだけで己から苦痛を遠ざける。
緋龍の加護も受け取れず護られるべきは彼女の方なのに、実際は己の方が彼女に護られているなどとは何と情けないことか。
そうは思っていてもやはりユズハが傍にいるのだというただそれだけで、己はこんなにも心落ち着くのだから仕方がない。
小さく息を吐き出し、彼女が与える温もりに微睡んでいるとふと頬に何かが落ちてきた。
顔を上げればユズハが泣いていて、己の頬に落ちてきたのが彼女の涙だということが分かった。
先程ようやく落ち着いて涙も止まっていた筈なのになぜ?
「ユズハ、どうした」
「ディーが…」
「うん?」
「辛い思いを…してて……」
ほんの少ししゃくりあげるようにしながら話すユズハの言葉を穏やかな気持ちで聞いている。
己の頭を抱きしめるようにしていた彼女の腕を解いて目線を合わせると、彼女の瞳から大粒の涙が溢れてくる。
「私が離れたせいで…ごめんなさい」
「ユズハ…」
「もう……」
「うん?」
ユズハの言葉がふと途切れて強い意志の込められた瞳を向けられた。
「離れないから」
「っ!」
瞳に涙をいっぱいに溜めたまま力強く言い切ったユズハのその姿に息を呑んだ。
驚きはじわじわと体中に浸透していって喜びに代わる。
こんなにも誰かの言葉が嬉しいと思ったことが過去にあっただろうか。
自然と口元は綻び、目の奥には熱が集まり視界を歪ませる。
溢れそうになる愛しさを抑え込むことが出来ず、再びユズハの頬、額、瞼や鼻先に首筋などあらゆる場所に口づけを降らせていく。
「離してやるつもりはない」
こつんと額を合わせて至近距離からその瞳を見つめて紡ぐ。
己の欲をむき出しにしても、ユズハから拒絶の意は感じられない。
それが余計に己の枷を外していく。
ユズハの存在が己の腕の中にある、ただそれだけでこんなにも安堵し心穏やかになれる。
だがひとたび引き離されれば理性が働かなくなるほどに感情が振り切れてしまう。
召喚の儀が完遂したことで己とユズハを強く引き付けていた力は無くなったが、その代わりに己の中には強固な執着が生まれてしまったようだ。
この温かく柔らかな存在を手放すことなど到底できそうにない。
どうやら俺は相当甘えん坊で欲が強かったらしい。
「俺はもう、お前がいないと駄目らしい」
思わず吐露した己の言葉に一瞬きょとんとした表情をしていたユズハだったが、俺の目に宿る強い意志をくみ取ったのだろう。
次の瞬間には顔を真っ赤に染めて大きな目をなお一層に大きく見開いていた。




