第30話 -殊に- ※近衛騎士視点
短めです。
続きを待っていてくださる方、更新遅くて申し訳ないです。
焔煉の谷で予期せず発生した時空の狭間に取り込まれ、ユズハさんが姿を消してから十日が経過していた。
グレンによって強制的に意識を失わさせられたディクスは、今日に至るまで過去最高とも言える程に凶悪な雰囲気を纏い、着々と召喚の儀の準備を進めていた。
それ以外の業務は一切行わず、一分一秒でも早く召喚の儀を執り行えるよう寝食を削って準備に没頭していた。
おかげで彼の尋常でない量の通常業務を肩代わりさせられた面々は、ほとんどの者が魂が抜けたように力尽きて机に突っ伏す日々が続いていた。
遠くからでも分かるディクスが放つ機嫌の悪さに、人々は彼を視界に入れた途端に物陰に隠れ対面するのを避けた。
自然とディクスの進行方向からは人々が姿を消し、彼の行く手を遮る者はいなかった。王女やグレンなどごく一部の者を除いて。
最初にユズハさんを召喚したあの日とは明らかに状況が違う今回の儀式。
彼女を取り巻く環境も、人々も、そして他の誰よりも召喚の儀を執り行うディクス自身が彼女の存在を切望していた。
儀式が失敗することなど微塵も心配していなかったが、たとえ万が一にでもそんな事態にはならないようにと、現在の状況を知る者達は皆儀式の成功を心の底から願った。
初めて召喚の儀が行われた際、現れる人物は『緋龍の神子』でさえあれば誰でもよかった。
けれど彼女を知ってしまった今では、ユズハさん以外ではもう駄目だった。
彼女が緋龍の神子でなかったとしても、ディクスにとって彼女はかけがえのない存在になっている。
幼い頃から共に過ごし、最初の召喚の儀の後から日々ディクスの元を訪れ、その様子を見てきた自分にとって彼の変化はとても分かりやすかった。
ディクスは誰よりも長い時間を過ごしてきた自分相手でも、その表情を緩めることはほとんどない。
常に無表情で、その顔に現れるのは不快感や嫌悪ばかり。自分以外の他の誰かであればそれはとても顕著に見られた。
だから皆、ディクスと相対する時はどこか緊張していたし、極力関わることを避けていた。
そんな彼が穏やかな表情をするようになった。笑顔を見せることはまだほとんどないが、彼の瞳から鋭さが消え、優しく目元を緩ませている姿を見る回数が増えた。そんな時はいつも傍らに彼女が、ユズハさんがいた。
眠ると悪夢を見るらしく万年寝不足状態で、陽に当たることもないその顔色は常に青白く不健康そのものだった。
食事すらも面倒臭がり水だけで済ますこともしばしば。
そんな不健康な生活を続ける義弟を心配しない筈がない。いつか絶対に倒れるぞと思っていたところにあの召喚の儀。
限界までの魔力行使に加え、日頃の不摂生が牙を剥いたとしか思えない倒れ方。
お兄ちゃんは心配で息が止まりそうになったんだよほんとに。
はっきり言ってユズハさんのことは初め警戒していた。ディクスの部屋に残していく彼女に、「そんなこと絶対にありえませんよ」とは言ったがそれは彼女を信用してのことではない。
ディクスが自分に危害を加えるような人物を召喚する筈がないと思っていたのは本当。
例え意識を失っていても、ディクスを傷つけることが出来るほど力のある者はそういない。
それでもあの日は、いつでも駆けつけられるように彼の部屋の扉の前で待機していた。
予想通り何も問題は起きなかったけれど。
その日からディクスの変化はとても分かり易い状態で現れた。
まず常に青白く不健康そのものだった顔色が良くなった。
疎かになっていた食事も、ユズハさんと一緒にきちんと決まった時間に取るようになった。
仕事尽くめだった日中に、彼女が淹れてくれる紅茶を飲む為休憩をはさむようにもなった。
眠ると見ていた悪夢も全く見なくなり、良く眠れるようにもなったらしい。
ユズハさんと過ごすようになって、ディクスはようやく人間らしい生活をおくるようになった。
それらのことを鑑みただけでも、ディクスにとって彼女の存在が如何に重要であるかは一目瞭然だった。
なにより人嫌いのディクスが寝食を共にできる程に心を許しているのだから。
そして健康的になった彼は気持ちにも余裕ができたのか、表情が穏やかになり、人と接するときの威圧感が激減した。
そのことを誰より喜んだのは王宮に勤務する者達だ。
ディクスの執務室を訪れる時は、誰もが皆その扉の前で立ち止まり、深呼吸を繰り返し気持ちを引き締めてから扉をノックした。
次に返事があろうがなかろうが、彼らは一様にして扉を少しだけ開けて中を確認する。
そして執務机で仕事をするディクスの様子に愕然として静かに扉を閉め、魂まで抜け落ちてしまいそうな盛大な溜息をつくのだ。
常日頃そんな状況に陥る彼らが、ディクスの変化を喜ばないはずがなかった。
緋龍の神子が行方不明になったとの一報に、彼らは驚愕し全員が顔面蒼白になって今後起こるであろう事態に頭を抱えた。
仕事量の激増に、ディクスのこれまでとは比べものにならないほど最高に不機嫌な様子。
前者はまだ耐えられるが、後者は耐えられないと全ての者が召喚の儀の成功を心より願った。
数々の段取りと念入りな準備を経て、今日ようやく召喚の儀を執り行うことができた。
自分もそうだが、あの日焔煉の谷に同行していた王女、グレン、ルーク、それに騎士たちも同席してこの召喚の儀を見守った。
その場にいない者達も儀式が行われる時間には業務の手を止め、両手を組んで祈るように儀式の成功を願った。
彼らを知る全ての者達が固唾を呑んで見守る中、ディクスは無事にユズハさんを狭間から呼び戻すことに成功した。
『召喚の儀が成功し、行方不明だった緋龍の神子が緋の神官の元に戻られた!』
その一報は瞬く間に王宮内に行き渡り、魂が抜けかけた半死人と化していた者たちは一斉に生気を取り戻し、全ての者が諸手を挙げて歓喜した。
召喚された際ユズハさんが泣いていたことが気になったが、彼女が一目散にディクスの元へ駆けて行き、ディクスもまた彼女をしっかりと抱き留めていたのを確認したので、ひとまずその場は自分も含め全員が部屋を退出した。
儀式に使用した広間には柱と柱の間にソファも置かれているし、落ち着くまでゆっくりそこで過ごせばいい。
ディクス達が部屋から出てくるまで、そっとしておくことにしようと全員が視線を交わし暗黙の了承が人々の間に広がっていった。
何か起こった時の為に一応自分とルークが部屋の外で待機していた。
儀式を行った部屋はとても広い。国王陛下との謁見などでも使用することがある為、その部屋の造りはしっかりしている。扉も重厚で、中の音はちょっとやそっとでは漏れることもない。
扉の横の壁に背を預け凭れ掛かりながら、僅かな物音すら聞き逃すまいと目を閉じ意識を集中する。
中に居る二人を思えば、ほっとする安堵の気持ちと、もう一つ別のチリッとした苦々しいものを含んだ気持ちとが胸に広がる。
自分の感情であるのに、予想外のものが含まれていて自分でもちょっと驚いた。
小さく苦笑を零し、生まれつつある仄かな思いに蓋をする。
大切な義弟が心から欲する人に巡り合えた喜びの方が勝るし、二人が笑っている姿を見る方がよほど嬉しい。
そのうち自分も心から欲する存在に出会えるような機会に恵まれれば良いなと思いながら、二人が部屋から出てくるのを静かに待った。
初の近衛騎士ジェイド視点でした。




