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第3話 -応え-


なんて綺麗な顔立ちでしょ。



わたしは目の前でベッドに寝かされている彼、ディクス・ヴァノ・グリフォードの顔を眺めながら、少々の苛立ちを覚えていた。


伏せられたまつ毛は長く、さらりと流れる鮮やかな焔の色をした髪は艶やかで傷みなどまったくもって見当たらない。

すっと伸びた鼻に形の良い薄い唇。

きめ細かくシミひとつ見当たらない透き通った艶かしいまでに美しい白い肌は、そこらの女性よりも白いのではと思わせる。

悪夢でも見ているのか眉は不快そうに歪められ、眉間には深い皺が刻まれているが、その苦悶の表情にすら浮世離れした美しさが滲み出ている。



ただ寝ているだけなのに絵になるほど美しいその寝姿。

いったいどこの絵本から飛び出てきた王子様だろうと思う。

あまりの理不尽さに、その鼻をつまんでやろうかとわずかに手を持ち上げたところで考えなおし、居住まいを正す。

こんなこと後でばれたらなんて言われるやら。

わたしのその感情は所詮嫉妬というやつである。

男の人のくせにといったら失礼だが、ここまで天は二物を与えるのかと思うと本当に理不尽極まりない。


わたしの顔と取り換えて欲しい


これも所詮は無理な願いだ。

決して叶えられることがないのはわかりきっている。


それにしても、いつまで自分はここで彼の寝顔を見ていなければいけないのだろうと思う。

この部屋に移動してから、どの位時間がたったのだろうか。


何もすることなくただ目の前の人物が目覚めるのを待つばかりというのは結構しんどいものである。

彼から離れられる距離は対して延びておらず、いまだにベッド周辺程度しか動き回ることが出来ない。

ベッドから少し離れた位置にテーブルがあり、そのテーブルの向こう側にソファがある。

わたしが今離れられる限界がこのテーブルまでだった。ソファまではまだ無理のようだ。

距離にして五メートル程しかない。


この部屋に残されてからすることもなかったので、どれだけ離れられるか確認をしてみたのだ。

考え事をしながら歩きまわり、結果離れすぎて強い力で彼の方へ引き戻されるという現象を数回繰り返し、離れられる距離の限界が何となくわかるようになった。

わたしと彼の間には引力が発生しているようで、離れた距離に応じてその力は増していく。

そして自身の離れようとする力がその引力に負けると簡単に引き戻されてしまうのだ。


その現象について不可思議でどうにも納得できないことは他にもある。

引力によって引き戻されるのはわたしの方だけで、彼は何故かその力の影響を受けることもなく微動だにしないのだ。

お互いに影響を受けるのであれば、彼がベッドから落ちてもおかしくないのだが今のところそんな事態にはなっていない。

この部屋にはわたししか居ないので、彼がベッドから落ちてしまったら逆に困るのはこちらの方だが。


頭の中を駆け巡る疑問や納得がいかないことは他にも多々ある。

どんなに考えてみても話し相手もいないこの部屋の中では答えなど見つかるはずもなく、室内をぐるりと見渡してから座っている椅子に背中を預けふぅっと軽く溜息を零した。


――こんこん


ふいに静かな空間に扉を叩く音が聞こえた。

気のせいかと思ったが、もう一度扉を叩く音が聞こえ椅子から立ち上がり扉の方へ近づく。

離れられる限界のテーブル脇まで行きその場から声をかけた。


「どうぞ入ってください」


眠る彼を起こさないように控えめの小さな声でそう言うと、扉は静かに開き執事らしき服装をした初老の男性が「失礼致します」と一声かけて何かの載ったワゴンを押しながら部屋へ入ってきた。

部屋の中央付近に立っているわたしと目が合う。


「扉を開けることができずすみません。まだここまでしか離れられなくて・・・」


わたしが申し訳なさそうにそう口にすると男性は人の良さそうな穏やかな微笑みを見せた。


「事情はお聞きしておりますので、気になさる必要はございません」


男性は窓際にあった椅子を持ってきてわたしに座るように促すとワゴンにかけてあった布を取り、持ってきたものをテーブルの上に移していく。


「王宮執事のスヴェンと申します。お腹が空いていらっしゃるのではないかと思いまして、軽食をお持ち致しました」


そのありがたい申し出にわたしは目を輝かせた。

この世界に呼ばれてからどのくらいの時間が過ぎたのかわからないが、お腹が空腹を促す程度には時間が経っていたようだ。

スヴェンさんは手慣れた美しい所作で紅茶を入れるとそのティーカップとレモンによく似た形と香りを放つ輪切りにされた果物の載った皿をテーブルへおいてどうぞと促してくれた。

添えられたレモンに似たその果物はリモーロというらしい。

いただきますと声をかけてから、リモーロをカップに入れスプーンで二度ほどかき回してから添えられていた皿に取り出し、紅茶を一口飲む。

リモーロのはじけるような爽やかでフレッシュな香りと酸味が紅茶の香りを際立たせ、ボーっとしていた頭がすっきりとしていく。

カップをソーサーに置くと次に綺麗に切り分けられたパンを手に取り一口頬張る。

パニッツォと言うらしい具材の挟まれたそれは、わたしの世界でいうサンドイッチだ。パンはふわふわで柔らかく、挟まれている野菜もシャキッとして瑞々しくとても美味しかった。


小さめに切られたパニッツォを三切れほど頂くと程よく空腹感は紛れ満足感にほぅっと息を吐きだした。

食事を終えるとわたしは傍に控えていてくれるスヴェンさんに色々気になっていることを聞いてみた。

思いつくことを一つ一つ尋ねていたが、スヴェンさんの話を聞けば聞くほど驚きの連続でめまいを覚えるほどだった。


まず今いるこの部屋について。

ここは緋の神官である彼ディクス・ヴァノ・グリフォードに与えられたプライベート空間であるが、あくまで仕事続きで自宅に帰れない場合の仮眠スペース的な存在らしく帰る家は別にあるらしい。

物は殆ど置いてなく生活感がまるで感じられないことから仮眠をとる為だけに存在しているというのはあながち間違いではなさそうだ。だとしてもだ。仮眠取るだけにしては広すぎるだろと突っ込みたくなる。部屋の端から端までゆうに十メートルは超えそうだ。

部屋の中をぐるりと見渡して思わず眉間に皺が寄ってしまった。


次にこれまでの経緯と今後について尋ねるとスヴェンさん自身が知っていることは殆どないので、今はまだ眠る彼が目覚めるまで詳しい説明は難しいと言われた。

今回の召喚に関しては彼が総指揮をとっていたということだけ教えてくれた。


城内の方はというと、召喚の儀式の最中に魔物の襲撃を受けるという非常事態に加え、総指揮を執っていた責任者が昏睡といってもいい状態にある為、破壊された城内の修復や儀式の後処理にと多くの人たちが慌ただしく動き回っているそうだ。

自分が呼ばれた理由や目的について気になって仕方がなかったが、今は待つしかないようだ。


他に日常に関する些細な疑問をいくつか質問したが、こちらについても分かったことはそれほど多くはなかった。

根本的な問題として、彼が目覚めないことにはどうしようもないということだった。

思わず事の元凶をジト目で睨み付けてしまった。

スヴェンさんもこれには苦笑を零すしかなかった。


「それでは一旦下がらせて頂きます。御用の際は鈴を鳴らしてください」


騎士のジェイドさんから預かった鈴を鳴らすとスヴェンさんが御用聞きにきてくれるそうだ。

スヴェンさんは一礼すると静かに退出していった。

部屋には再び眠る彼とわたしだけが取り残された。


ソファのある方に目を向ければ、この部屋の一角は外に面している様で窓からオレンジ色に染まる空が見えた。

もう時刻は夕方になるのだろう。

スヴェンさんが置いていってくれた懐中時計をみると四時を過ぎたところだった。

この世界の時間もわたしがいた現代と同じく一日は二十四時間なのだそう。

時間の感覚はそのまま生活に影響するので同じであるのはありがたい。


「こんな風に何もしないでのんびり過ごすのはいつ以来だろう」


呟きはしんと静まり返った空間に吸い込まれていった。


移り変わる窓の外の景色を見つめてボーっとしていると耳に自分のものではない声が届いた。

引き寄せられる様にしてベッドの方へ目を向けると眠る彼が発しているようだ。

様子を見にベッドへ近づくと眠る彼の表情は苦痛に耐えるかのように顰められている。

あまりにも辛そうなその表情に思わず手が伸びた。

ベッドの傍らに置かれた椅子に腰をおろし、彼の手に触れるとその手は恐ろしく冷えていた。

その冷たくなっている手を温める様に両手で包み込んだ。

そうしているとわたしの掌の熱が冷たい彼の手に伝わり、少しずつ温かさを取り戻していく。

彼の手が自身の手の熱と同じ温かさになるとその手を離し、わたしは安堵からほっと息を吐き出した。

そうして気が緩むと今度はゆったりとした感覚に、頭の中に眠気が広がっていった。次第に意識はぼんやりとしてきて、訪れた微睡みにいつの間にか意識を手放していた。




*・*・*






暗闇の中、どこからか泣き声のようなものが聞こえてきた。

その声に心地よい微睡に身を任せていた意識が浮上する。

耳に届くのは声が漏れないように必死に嗚咽を飲み込む小さな声だった。

どこか頼りない胸を締め付けられるようなその声の出所を探すように目を開け、あちこち見回してみたが、あたりは一面深い闇色で覆い尽くされていて何も見えない。自身の手すらも。


こんな場所、近くにあっただろうかと疑問が浮かぶ。

というかわたしは先程まで神官様の部屋にいたはずだが、もしかして、いきなり地面が消えて落っこちて魔物が襲撃して来たりその他諸々のことって夢だったのか?と思ってしまう。

けれど、それなら今いるこの空間はなんだ。

夢だというのならこちらの方がよっぽど夢の中のような気がする。


陽の光も星の光もなく見渡す限り一面の闇で自身の足すら見えない。

それでも立っている感覚があるのだから足は地面についているのだろう。

だけどもその地面からはアスファルトや土の感触は感じられない。

感じるのはどこまでも無機質でひんやりとした冷たさを帯びたものだった。


凹凸も何もなくただ平坦で、四方八方すべてが真黒な闇に閉ざされた空間にわたしはいた。


これ絶対に夢だろうと思うが、いかんせんこの泣き声の方が気になって仕方がなかった。

どこから聞こえてくるのか定かではないが、気になったことは放っておけないのでとりあえず耳を澄まして声のする方向をおおよそで定めると、わたしは今にも消えてしまいそうな小さなその声を頼りに暗闇の中恐る恐る足を進めた。


しばらく進むと、真っ暗闇の中にほんのりと浮かび上がる赤い光が見えた。

近づくほどに鮮明になる小さな泣き声に、胸がずきりと痛んだ。


どうしたの?何があったの?


悲鳴のようにすら感じるその泣き声。

そこに込められた悲しみに同調してズクンと鈍い痛みを放つ胸を手で押さえながら一歩、また一歩と進むと漸くその姿が確認できた。


膝を抱えて丸くなり、立てた膝を両手で抱きしめ顔をうずめて泣いている男の子。

髪は燃えるような緋の色をしていて驚いた。

彼を護るように包む赤い光がその髪色を尚一層に際立たせていた。

歳は十歳前後くらいだろうか。服の切れ目からのぞく手は小さく足も細く頼りない。しかも全体的に痩せ細っている。

そんな見た目にも心配になる様相をしているのに、声を上げることもせず零れる嗚咽を飲み込み必死に一人耐える姿はあまりにも惨烈を極め、わたしの胸には言い様のないズクズクとした痛みを伴った感情が溢れるように込み上げきて今にも零れそうになった。


溜まらず声を掛けようとして気づく。


『…っ、……っ………!?』


声が出ない!?なんで?


何度も声を出そうとしていろんな言葉を発してみるけどどれも音になることはない。

ますます頭が混乱してきた。まさか声が出せないなんて思いもしていなかった。

これでは男の子に近づいて触れるしかこちらの存在を相手に知らせる術がない。

ものすごく警戒されるのは目に見えているので、どうしたものかと思い悩んだ。

そうして逡巡している間にも耳には嗚咽を飲み込み必死で耐えるその声なき声が間断無く届いてくる。


警戒されるだろうけど仕方ない!

だってこんな泣き方をする小さな男の子を、こんな暗闇に一人放っておけない。

わたしは漸く決断を下すと止まっていた足を再度踏み出し男の子へと近づいていった。


徐々に男の子との距離は縮まり、ついにはその目の前までやってくる。

手を伸ばせば触れられる距離だ。

そこまできて足を止めると手を伸ばそうとして少し躊躇した。

男の子を包む赤い光が炎のように揺らめいていたからだ。


赤や黄色、時には眩いほどに光り輝く白の光が入り混じった柔らかくも熱くも見える光。

それは時に弱弱しく、時に力強く輝き、炎のように揺らめきながら男の子の周りにあった。


熱いかもしれない、やけどしちゃうかな?


目の前で揺らめく赤い光は見え方によっては炎にしか見えないのだ。

その赤い光を見つめわたしはゴクリと息を飲んだ。

熱いのは嫌だ。痛いのも嫌だ。でも目の前の男の子が気になって仕方がないのだ。

それに胸に込み上げる自分まで泣き出したくなるようなズクズクとした痛みはこれ以上この場に踏み留まっていることを許してくれそうにもない。

自分だってこの胸の痛みはとっくに限界なのだ。



ええい!どうせ夢なんだ!痛みがなんだ!がんばれわたし!と叱咤激励し、非現実的な目の前の光景を夢だと決めつけると、意を決して男の子へと手を伸ばした。


そっと後ろから抱きしめる。

触れた赤い揺らめきはわたしを拒絶することはなく、すんなりと受け入れた。

手が触れた瞬間に男の子の身体がびくっと震えたが、振り払われるなどの拒絶はなかった。


『声を出して泣いていいんだよ

 ひとりで泣かないで。君はひとりじゃないよ。

 わたしはここにいるよ。君のそばにいるよ』


そう言って、あやすように頭をなでる。

先ほどまで音になることはなかった声が、男の子に触れた瞬間から音になりそして暗闇に吸い込まれていった。

髪を梳くようにして手を動かせば、その痩せ細った身体からは予想だにしていなかった柔らかく指通りのよいサラサラな髪質に驚く。程よくしっとりしていて一切引っかかることもなく毛先までスッと通る髪は掌に非常に心地よい。

わたしの手は止まることなく男の子の頭を撫で続けている。

そんなわたしの仕草にも、男の子は嫌がるそぶりも見せず、ただ、されるがままになっていた。

未だ嗚咽を飲み込み必死で耐える様を見せる男の子にわたしは再び言葉を紡ぐ。


『我慢しないで、声を出して泣いていいんだよ』


急かすでもなく、強引に強いるわけでもなく、ただ静かに慈愛の心を込めてもう一度そう言うと、男の子はひゅっと短く息を飲み、次の瞬間には今度こそ声を露わに泣き出した。

暗闇の中に、悲鳴にも似た泣き声が響き渡る。


ようやく声を出して泣くその姿にほっと安堵の息をつくと、男の子の後頭部に自分の額を合わせるようにして頭を寄せた。


そうしてそのままの状態で男の子を抱きしめ頭を撫で続けた。

男の子が泣き疲れてその意識を手放すまで、その悲しみが少しでも和らぐようにと一縷の望みをかけて。




*・*・*




耳に届く小さな声に意識が浮上する。

そっと目を開ければ、自分がいつの間にか寝ていたことに気付いた。

そうして先程の出来事はやっぱり夢だったんだなと思った。

それにしてはやけにリアルな夢だったなと思う。まだ耳にあの男の子の泣き声が残っているような気がする。


そんな思いに耽っていると、耳にまた小さな声が届いた。

その声の主を探し視線を動かせば、未だ眠り続ける彼、ディクス・ヴァノ・グリフォードの姿があった。

聞こえる声が気になって彼の顔を覗き込むようにして見て、彼のその様子にわずかに目を見張った。


数時間前にもあった不快そうに歪められた眉に眉間に刻まれた深い皺は相変わらずだったが、その形の良い薄い唇から苦しそうに呻き声を漏らし、額には珠のような汗を滲ませていた。

近くにあったタオルを手に取り、浮かぶ汗を拭う。

苦しんでいる姿もカッコいいと見惚れてしまうところだが、その姿は尋常ではない。

拭っても拭っても汗は次々と零れ落ちてくるし、布団を握りしめている手は色を失うほどに強く握り込んでいる様で見ていてあまりにも痛々しい。

わたしは堪らず彼の手に自分の左手を重ね包み込むようにして握りしめると、落ち着くように右手でそっと頭を撫でた。


「恐れないで。悪夢は貴方を連れ去ったりしない。大丈夫」


そう言って頭を撫で続けていると彼の全身からゆっくりと力が抜けていった。

布団を握りしめていた手は緩み、眉間に刻まれていた深い皺も消え、荒く繰り返していた呼吸もゆっくりと落ち着いたものになっていった。

その様子にほっと安堵し息を吐き出した。

暫くそのままの状態でいると次第に思考はぼんやりとしてきて水面にゆらゆらと揺れているような心地よい揺らぎに襲われた。

少し前に目覚めたばかりだというのに、意識は再び訪れた睡魔にのまれていく。

その眠気にどうにか抗っていたが、どうせ特にすることもないので眠ってしまっても良いかと思い直し、彼の傍らにうつ伏せる様にして上半身を預けると、その手を握ったまま心地良い微睡みの中へと身を任せたのだった。



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