第28話 -追憶2-
更新遅くなりました。
お待たせして申し訳ありません。
狭間に落ちて皆とはぐれてしまったままだという自分の置かれている状況も忘れて、わたしは目の前で展開される光景に意識を囚われていた。
話しかけても声は届かず、触れることもできない。お腹が空くこともなければ眠くなることもない。
けれどわたしの目の前では確実にセレンディアという国の、エレスティーノ王女と紫龍の二人を取り巻く日常が淡々と過ぎていっていた。
わたしを置き去りにして進んで行く日々。
ただ見ている事しかできない状況はたまにもどかしくなるけれど、あの何もない真っ暗な空間にいるよりは随分とましだと思えた。
最近は王女のまわりで不穏な動きが見て取れた。
王宮で起こるそれらは誰かが良からぬことを企んでいるのだろうと推察されたけれど、そういったことには無縁の生活を二十数年送ってきた自分には、この先のことは到底考えも及ばない未知の領域だった。
それに加えわたしは目の前で起こるそれらに干渉することが一切できない。
地団太を踏むこともしばしば発生しつつある。
その日、紫龍の元へ向かう王女の後を気づかれない様に距離を保ちながらついてくる集団がいたことを、その後起こる惨劇をどうすることもできず、ただ見ている事しかできない自分が情けなくて、蹲ってもうやめてと涙を流すことしかできない自分にイライラした。
*・*・*・*
「逃げて!」
エレスティーノ王女と紫龍と向かい合うようにして彼女たちに武器を突き付けている集団の姿があった。
わたしの声は二人には届かない。
目の前に王女と紫龍がいるのに何もできない。
エレスティーノ王女の後をつけてきていたのは彼女の腹違いの兄だった。
側室の子である彼はエレスティーノ王女の存在を疎んじていた。
この国セレンディアでは第一子が王位を継ぐことになっているらしい。
それは男女関係なく、第一子が王女であろうとも王位継承権に変動はなかった。
王位を継ぐ際はその人となりと能力も考慮され、第一子がそれにふさわしくないと判断されれば第二子以降に継承権が移るが、エレスティーノ王女は人々から好かれ、王族としての教養も非の打ちどころがない程優秀だった。
ただ彼女は息抜きの為、たまに王宮を抜け出していただけ。
誰もが次期国王となるであろうエレスティーノ王女を褒め称えていた。
国王でさえも恐れると言われる宰相ですら、彼女が王宮を抜け出すのを多めに見ているほどに彼女は皆に愛されていた。
その彼女の存在を誰よりも憎み、妬み疎んじたのは王位継承権第二位の王子だった。
庶子である王子はエレスティーノ王女よりも二つ年上だったが、本妻の子どもであるエレスティーノ王女の方が王位継承権は上である。
残忍で人を見下し慈しみの心を微塵も持たない王子を皆良く思っていなかった。
けれど大した知能もない王子は裏から操るには最適の人物だとして、悪事を企む貴族一派にとっては最高の傀儡だった。
元より王女の存在を好ましく思っていなかった王子は、彼らの提言を鵜呑みにした。
「女性が王位に就くなどありえません」
「貴方様こそが王位に相応しい!」
そう口にしながら彼らはどうすれば王子が次期国王となれるか密かに策を巡らせていた。
そして度々王子に囁きかけた。
この日、それらが明るみとなってエレスティーノ王女へ魔の手となって襲いかかった。
表立ってはエレスティーノ王女を禍々しい紫龍の魔の手から救い出すという名目のもと。
真の目的は王女を紫龍ごと滅するために行われたことだった。
「エレスティーノ王女をお助けするんだ!」
王子が声高々に告げると彼の後ろに控えていた騎士達が一斉に紫龍へと襲い掛かる。
魔導士団が攻撃魔法を放つと、悲鳴を上げる王女を護るように紫龍がその体を包み込んだ。
「何の真似だ!」
「おやめ下さい兄上!」
紫龍と王女の叫びも王子の耳には届いていない。
その口元をニヤリと妖しく歪ませた王子は「次だ!」と騎士達へ攻撃の続行を告げた。
個々人の攻撃などもろともしない紫龍だったが、騎士たちの後方で魔導士団がそろって詠唱しているその魔法に気づいた王女が紫龍の前に飛び出した。
「おやめ下さい!彼は敵ではありません!!」
「エレンさがれ!!」
紫龍の静止を振り切り、王女は両手を広げ紫龍の前に立ちはだかると王子たちに叫んだ。
その王女の姿に王子たちはそろってその口元を笑みの形に歪ませた。
「王女いけない!こちらへ早く!!」
わざとらしい王子の叫び声は続く攻撃の騒音に掻き消された。
魔導士団が放った多重詠唱魔法が王女と紫龍を攻撃したのだ。
各個が放つ魔法の威力は大したことなかったが、魔導士団全員で一つの魔法を放つ多重詠唱魔法の威力は桁違いだった。
紫龍は咄嗟にエレスティーノ王女を俊敏な尻尾で包み込んだが間に合わなかった。
「エレン!!」
「し…りゅ……貴方は…無事?」
「エレンしっかりしろ!」
多重詠唱魔法の威力に耐えきれず焼け爛れた紫龍の尻尾と、ぐったりとした体を紫龍に預ける王女の姿がそこにあった。
「もうやめて!!」
見ていることしかできないわたしには、目の前で起こるそれらはあまりにも悲惨で届かないとわかっていても叫ばずにはいられなかった。
誰か、二人を助けて…。
わたしの願いも虚しく、王女は紫龍の傍らで息をひきとった。
胸が痛くて嗚咽が抑えられない。瞳からは次々と涙が溢れて止まらなかった。
「貴様ら…許しはしない……すベテ…滅ボシテ…クレル!!」
怒りに震える紫龍が纏う雰囲気が禍々しく凶悪なものに変化していく。
黄金色だった瞳は血の様に紅くなり、澄んだ紫水晶のような輝きを放っていた体躯は禍々しい紅の混じるどす黒い濃紫へと変貌していた。
大人の男性ほどの大きさだった体はふた回り以上の巨大な姿へと膨れ上がった。
「これ、が……怨龍…」
その場にぺたんと座り込み、呆然としたまま目の前で起こる一部始終を見ていた。
怒りに我を忘れた紫龍は怨龍となりその脅威を王子たちに知らしめた。
もはや多重詠唱魔法も怨龍にはなんの効き目もなかった。
彼らは成す術もなく怨龍が吐き出す焔によって焼き尽くされ炭と化していく。
エレスティーノ王女の命を奪った王子たちを葬っても怨龍の怒りは収まらなかった。
その前足でエレスティーノ王女の遺体を掴みあげ、空に舞い上がった怨龍はその怒りが昇華されるまで破壊の限りを尽くした。
王都を含むセレンディア国内ほぼ全ての街や村はあっという間に火だるまになり、数日の内に滅んでしまった。
その怨龍による激しい攻撃の中虫の息で生き延びた年若い貴族の末裔が、この悲劇を語り継いでいった。
国一つを簡単に滅ぼしてしまえる怨龍を鎮めるため、その方法を探し世界中を渡り歩きながら。
涙が止めどなく溢れる。
目の前の光景を見ているのが辛くて、わたしはいつの間にか自身の両手で顔を覆って泣いていた。
だから自分が再び何もない真っ暗な空間に戻されていたことも気づいてはいなかった。
音も光も何もない空間には、しゃくりあげ嗚咽を漏らすわたしの声だけが響いていた。




