第24話 -存在-
中々進みが遅く申し訳ありません。
気長にお待ちいただければ幸いです。
ディーの背後に庇われて何もできない自分にもどかしさを感じていた。
緋龍が現れたら魔法が発動しなくなる、勝ち目はない。
そう彼は出発前に言っていたではないか。
緋龍に会いに来たのだから実際に姿を現してくれたのはむしろ喜ばしい筈だ。
けど、戦闘になったら話は別。
抗う術を封じられてしまうから。
魔力の流れを乱す磁場が発生する直前にディーが打った手は既に二度発動した。
それは予想以上に緋龍に衝撃を与えたようで、一度目は面白そうにその黄金の瞳に笑みをのせていたが、二度目の攻撃は憤慨させてしまっていた。
その瞳には明らかに怒りが滲んでいた。
これ以上は危険だと頭の中で何かが警笛を鳴らしていた。
だから何かをしないではいられなかった。
わたしに何ができる?
それは出発前から考えていたことだ。
その答えが出たわけではないけれど…。
『我々の誰よりも『龍』のために存在する神子であるお前を、緋龍は否定しない』
そう言ったディーの言葉に嘘はないと思うから、わたしはイチかバチかの賭けに出た。
攻撃が止んだのを見計らって、庇われていた背から抜け出し緋龍の前まで一直線に駆け出した。
ねえ、緋龍。
わたしが今ここに在るのが貴方のためであるのなら、貴方はわたしを攻撃したりしないでしょう?
安易すぎるかもしれない。
考えが甘いとディーにものすごく怒られてしまいそうだ。
それでも誰にも傷ついて欲しくないから
砂埃が晴れて視界が開けた。
眼前には口を大きく開き攻撃態勢に入っている緋龍の姿があり息を呑んだ。
緋龍の目にわたしは映っているのだろうか。
もしわたしを認識していなければこのまま攻撃を放つだろう。
いや認識していても発動を止められない段階に入っていたら、あの焔が圧縮されたブレス攻撃は放たれてしまうだろう。
あ、もしかしてちょっと早まったかな?
背後からはディーや姫様の悲鳴にも似た叫び声が聞こえてくる。
たった数秒の出来事がやけに長く感じられた。
自分の行動を今更後悔しても遅い。
もうここまで来てしまったんだからと腹を括って緋龍をじっと見据えた。
その瞳がわたしの姿を捕える。
あ、今確実に目があった。
わたしの姿を認識し、緋龍は怒りを宿していた瞳に瞬時に焦りの色を浮かべた。
攻撃を中止しようとしたのだろう。
大きく開いた口を閉じようとする動きを見せたが、口内で生成された熱量は既に口を閉じることが叶わないほどの質量を伴っていたらしい。
もはや緋龍にさえその攻撃を止めることができないのが窺えた。
わたしは全身に力を入れてぐっと身構えた。
熱量が迫ってきて身が焼けそうだ。
緋龍の口から攻撃が放たれる瞬間、その足元に一つ何かが撃ち込まれた。
驚きに目を見開いていると、わたしの後方の壁面左右それぞれから撃ち込まれたそれへ光が走る。
よく見てみれば地面に打ち込まれたのは魔導具だった。
左右の壁面と地面の三点で光が結ばれ、わたしの目の前で三角形の光の壁が形成された。
そのあまりの眩しさに手で顔を覆うようにしていると、緋龍が攻撃を放つよりも早くその光の壁から質量を伴った土の塊が吹き出し、緋龍の顎元へと命中した。
下方から放たれた攻撃により緋龍の大きく開けていた口が天へと向けられ、圧縮された高温のブレスは空へと放たれた。
土の塊によって視界が遮られ、わたしには何が起こっていたのか見えなかったが空へと放たれた緋龍のブレスはその隙間から見ることができた。
わたしは体から力が抜けてしまいその場にぺたんと座り込んでしまった。
「ユズハっ!」
そこへディーが駆け寄ってくる。
名前を呼ばれて顔を向ければ、ルーク様が構えている杖が光を伴っているのが見えた。
先ほどの光の壁と土の攻撃が彼によるものだということが分かった。
目の前までやってきたディーがわたしの両肩に手を置き、顔を覗き込んできた。
彼方此方を確認して怪我がないことが分かると彼は大きく息を吸い込んだ。
「お前は何て事をするんだっ!」
ディーの怒鳴り声が耳をつんざく。
あまりの大声に鼓膜が破れそうだとクラクラする頭でそう思っていた。
ある意味、緋龍の攻撃よりもディーのお説教の方が恐い気がする。
「ディクス話は後よ」
同じく走り寄ってきた姫様とルーク様がわたしの両脇に立ち緋龍を見据えて身構えた。
壁際に居たグレン様も集まり、全員が再び集結した。
わたしたちと緋龍の間を隔てるようにしてあった光の壁と土の塊が音も立てずに掻き消え、視界が開けた先に緋龍の姿があった。
その瞳にはまだ僅かに怒りの感情が燻っていた。
緋龍から発せられる威圧感に空気が振動している。
ディー達がわたしを護るようにまわりを囲む。
お互いが睨み合い、一触即発の空気が流れた。
先に動いたのは緋龍だった。
「神子」
地を這うかのような低い声が辺りに響き渡った。
全員が体をビクリと震わせた。
呼ばれたのはわたしだ。
緋龍がわたしを呼んでいる。
立ち上がらなければと震える体を叱咤し力の入らない足で何とか地面を踏みしめ、ディー達の静止を振り切って緋龍の前に進み出た。
すぐ目の前までやってきたわたしに緋龍は膝を折って顔を近づけてきた。
ともすれば腰を抜かしそうになるのを必死にこらえ、毅然とした態度でわたしは緋龍の行動を見つめていた。
その鼻先がわたしの額に触れた。
初めて目にしたその姿に恐怖心が湧かないはずがない。ましてやこれまで遭遇したことも無い程に大きな巨体が目の前にあり、そして触れたのだ。
驚きと恐怖に体が震えても仕方がないと許してほしい。
深紅の巨体はその表皮もそれなりの高温を伴っているのかと思っていたがそんなことはなかった。
どこかひんやりとしていて、触れた感触は爬虫類のものと大差なかった。
その為、今度は別の意味で驚いて目を見開いてしまった。
離れていった緋龍の瞳にはもう怒りの感情はなかった。
かわりに浮かんでいたのはどこか優しい表情だった。
「ヨク来タ、神子」
発せられた声も先ほどとは違い威圧感は感じられず、柔らかく慈愛の籠った優しい声だった。
強張っていた体から力が抜けていく。
緋龍の纏う雰囲気が明らかに柔らかくなったのを感じわたしの心にも余裕が生まれた。
「触れることをお許し願えますか」
わたしがそう問えば緋龍は予想外だったのか一瞬その瞳を瞬かせると再びその頭を近づけて言った。
「許ソウ」
「ありがとうございます」
先程緋龍が触れたのは一瞬で恐怖の方が勝っていた為呆然としてしまっていた。
あまりにも大きなその巨体に恐れを感じないと言えば嘘になるが、それよりもその大きな存在に触れてみたいという好奇心の方が勝っていた。
心の片隅には緋龍に対する恐怖心が僅かに残っていた。
畏怖の存在として最初の印象が刻まれてしまっていたので、それだけの存在なのか確かめたかったのもある。
触れれば分かるのではないか。
漠然とした思いがあって気づけば声に出していた。
わたしの突然の申し出を不躾だと一蹴されても仕方がなかったのだが、緋龍は許してくれた。
手を伸ばせば触れられる位置まで緋龍は頭を下げてくれている。
わたしは一歩近づくと手を伸ばしその鼻先にそっと触れた。
先程感じたのと同じひんやりとした皮膚の感触が掌に伝わってくる。
そのまま触れていると他にも緩やかに脈打つ鼓動が伝わってきた。
鼓動を刻むのは同じなんだなと当たり前のことに気持ちが緩み笑みが浮かんだ。
緋龍から伝わってくるのはどこまでも優しい感情だ。
拒絶のような痛みを伴う感情はそこには欠片もなかった。
さっきまで戦っていたのが嘘のように緋龍は穏やかな雰囲気を纏っていた。
触れていた手をはなし緋龍に御礼を告げた。
わたしの背後ではディー達が固唾をのんでその様子を見守っていた。
緋龍は一度頭をもたげてから数歩下がると、その長く大きな四肢を折って地面にその巨体を沈めた。
居住まいを正した緋龍が再びこちらを向いてその神々しい黄金の双眸でわたしを見つめた。
「我ノ名ハ、フォストゼア・エルヴィス。以後、我ガ名ヲ呼ブコトヲ認メヨウ」
「ありがとうございます。エルヴィス様とお呼びさせて頂きます」
緋龍がその名を教えてくれ、わたしは御礼の言葉を紡ぎ深く礼をとった。
顔を上げると緋龍が嬉しそうに眼を細めているのが目に映った。
その表情を見ているとわたしにも安堵の気持ちが広がっていき自然と顔が綻んだ。
後方に居たディー達も前へ進み出てわたしの横に並んだ。
緋龍への挨拶もそこそこにわたし達は会いに来た目的を話した。
*・*・*・*
「互イニ引キ合ウ?」
わたしからは説明が難しく、変わってディーがそれらのことを詳しく話してくれた。
緋龍に話すディーの口調はいつもと変わらないぶっきら棒なもので、敬仰の敬の字も感じられない物言いに緋龍の逆鱗に触れるのではないかとわたしは始終顔を
引き攣らせていた。内心冷や汗ものだ。
だがそんなわたしの心配を余所に緋龍も淡々としたものだった。
もしかしてディーのこの物言いに慣れているのか?と疑問に思ってしまったほどに。
姫様も特に何も言わない。
途中で口を挟む方が不敬に当たると思っているのかもしれない。
何はともあれ、緋龍が憤慨しないのであればそれで良いとそのまま成り行きを見守った。
「今モ起コッテイルノカ?」
緋龍の問いかけにそういえばとわたしは首を傾げた。
先程緋龍の前に走り出た時、普段ならばディーの傍に引き戻されてもおかしくないほど離れていなかったか?
さっきはそれどころじゃなかったので思いもよらなかったが、改めて思い返してみると確実に離れられる距離を超えていた。
なぜ?と不可解な現象に眉根を寄せてディーを見ると、彼も同じように思っていたようで互いの視線がぶつかりあった。
「もしかしてこれも発生している特殊な磁場の影響?」
考え込む様にしていた姫様がそう呟くのが聞こえた。
確かにこれまでと違うことといえば、それしか思い当たるものはなかった。
だがそれは何の解決にもならない。
特殊な磁場が発生しているのは緋龍が傍にいるからであって、それが常に起こせるわけではないし、例えその磁場を発生させることができたとしても魔法が発動しないなどの多大なる影響がでてしまっては困る。
ディーは口元に手をあてて深く考え込んでいた。
ルーク様の眉根にも皺が寄っている。
神子であるわたしとわたしを召喚した神官であるディーが一定距離以上離れられなくなっていることは緋龍にとっても予想外だったようで、解呪などの解決策はすぐには思いつかないとの返答が返され、わたし達はそろって溜息を零したのだった。




