第20話 -棲み処-
焔煉の谷。
そこが今回の目的地。
数日前、緋龍の棲み処についてルーク様が呟き、グレン様が難色を示した場所だ。
一体どんな場所なのだろうとディーに聞いてみると、彼も僅かに眉を顰めながらその場所について教えてくれた。
火山地帯の一角にあるその場所は、裂けた地面や岩場の隙間から高温の熱風が吹き出し、周囲は常に高い気温に包まれているらしい。
その極限ともいえる環境から植物も育たず、湧き出る水すらも即座に蒸発するか熱湯であり、焔に強い魔物以外は寄り付かない土地で有名なのだそうだ。
なるほど焔を司る龍の棲み処としてはもってこいの場所だ。
そんな場所に生身で近づこうなど常人であれば考えない。
時に珍しい鉱物を求めて踏み込む冒険者がいたりするらしいが、半数以上が途中で諦めて戻ってくる。残り半数はほんの一握りを除いて帰らぬ人となる。
道中の馬車の中で聞いた話にわたしは表顔を曇らせ、恐怖から全身に力が入りぎゅっと衣を握りしめていた。
「踏み込むのにあまり良い場所でないことは分かったけど…」
俯いたままそうポツリと零す。
「他にも何か懸念事項があるんじゃないんですか?」
続けてそう口にして顔を上げれば、ディーの表情が曇った。
「土地自体の悪環境もあるが、龍の棲み処に辿り着いて必ず龍がいるという保証がない」
「……各地に棲み処があるのならいない可能性が高いですもんね」
「ああ、無駄足になるかもしれない。が、いるなら確実にわかる」
「なぜですか?」
「龍がいれば特殊な磁場が発生する。焔煉の谷はそれが顕著に現れる場所だ」
「それが一番の問題点なのよね」
ディーの話を黙って聞いていた姫様が溜息と共にそう零した。
焔煉の谷について何も知らないわたしは首を傾げた。
「発生する特殊な磁場の環境下では、魔法が発動しない」
続いてディーが発した言葉にわたしは驚愕に目を見開き息を呑んだ。
「どうして魔法が…」
「発生する磁場に影響され、体内の魔力の流れが乱されるのが原因だな」
「もし戦闘になったら……」
「――勝ち目はないな」
「っ!」
グレン様が難色を示し、ディーが表情を曇らせていた理由がわかった。
過酷な環境下にありながら、もし魔法が発動しなければ物理攻撃に頼るしかない。
魔術士であるルーク様はもちろんのこと、ディーも姫様も戦闘においては魔法中心の戦い方のはずだ。
「まともに戦えるのは騎士のグレン様だけ…?」
「いや、あいつも全力では戦えないだろう」
「なぜですか?」
「グレンはね、焔を形状変化させて戦うの。剣だけでは彼の力は十分に発揮されないのよ」
「そんな……」
「更に、あの谷は時間と空間が大幅にずれた時空の歪みが点在していて、間違って入り込むと帰ってこられなくなるという報告が過去に数件上がっている」
「!!」
話を聞けば聞くほどわたし達には不利な環境でしかない。
体が小刻みに震えだすのが自分でもわかった。
「無事に辿り着ければ何の問題もない。だがもし……」
続く言葉をディーは呑み込んだ。
何となく彼の言いたいことが分かった。
彼は緋龍以外にも焔に強い魔物が存在すると言った。
緋龍がいつその棲み処に現れるか分からない。
最初からいるかもしれないし、わたし達が棲み処に向かっている途中でやってくるかもしれない。
全く現れない可能性だってある。
だけど緋龍が現れ、魔法が使えなくなるというその磁場が発生した時に魔物に遭遇してしまったら……。
誰かが命を落としてしまうかもしれない。
頭に浮かんだ最悪の状況に体が小刻みに震えてしまう。
そんなわたしに気づいたディーはその腕を伸ばしわたしの頭を自身の胸に引き寄せた。
「怖いだろうが、必ず護る。誰も死なせはしない」
「……はい」
彼の胸に頭を寄せていることで、その鼓動が耳に届いた。
少し早く聞こえるのはきっと気のせいではないだろう。
ディーも緊張しているのだと分かった。
向かい側には姫様が座っている。その隣には侍女さんが一人。
そんな馬車の中でディーに抱き寄せられているかのようなこの状況は、平素であればすぐさまその胸を押し返して逃げ出しているところだが、恐怖と緊張で思考が埋め尽くされている今はそんな余裕など微塵もなかった。
*・*・*
宿場街を三つほど経由して目的地の一番近くにあるという街フィレントに辿り着いた時には四日目の昼過ぎだった。
途中野宿も覚悟していたのだが、宿の取れる街を経由することでそれは回避された。
姫様もいるのだから野宿はできないか。
そう気づいたのは二日目の宿に泊まった時だった。
焔煉の谷まではいくつものルートがあった。
寝食を犠牲にして最短で進めば二日半で辿り着いたのだという。
けれどそんな過酷な移動を強行すれば、目的を達することなどできはしない。
それが分かりきっているから、時間が掛かったとしても万全の態勢で臨めるよう細心の注意を払って移動ルートが決められていた。
フィレントの街はそこそこ大きく、事前に国王様からの連絡が入っていたこともあって、ここではこの街を取り仕切っている領主が持つゲストハウスに案内され泊まることになった。
手入れの行き届いている邸は、これまでの移動で蓄積された疲れを癒すのにとても最適な場となった。
国王様の配慮がありがたい。
昼食を頂いた後、応接室を借りて明日以降の動きについての確認がなされた。
「明日一日は最近の焔煉の谷と緋龍の目撃情報についての聞き込みと情報収集にあてる。各々情報をかき集めてすり合わせを行い、緋龍の棲み処までの最終ルートを決定する」
ディーの方針に異を唱える者は誰もいなかった。
その後もいくつかの取り決めが行われた後、各々が各所に散らばっていった。
グレン様とジェイドさん達騎士一行は酒場やギルドなど人の多く集まる場所に行き情報を集めてくるようだ。
姫様はついてきた侍女さん達に荷物の確認をさせている。
焔煉の谷に行く際に持って行く物を確認し選り分ける為だ。
ルーク様は持ってきた荷物の中から取り出した魔導石を机に広げて一つ一つ確認していた。
その魔導石は大きさも色も様々で、それらがどんな魔法に適した物なのかとても気になったのだがここで邪魔をしてしまうと後々に影響をきたしかねないと思い尋ねるのをぐっと堪えた。
この世界についてまだ何も知らないわたしでは何の役にも立てない。
ディー達の話を聞き部屋の中を見回してみても、魔物の討伐を含む龍の棲み処へ向かう道中に必要な物も分からず、揃えておくべき魔導石も区別がつかない。
わたしは何て役立たずなのだろうと少々落ち込みながら窓辺に寄り外を見つめていた。
「街へ出てみるか?」
そんなわたしに気づいて声を掛けてくれたのはディーだった。
「でも、いいんですか?ディーも準備があるんじゃ…」
「あいつらではできない情報収集もある。いくぞ」
そう言ってディーはわたしの手を掴んで街へと向かった。
店の立ち並ぶ道を子ども達がはしゃぎながら走り去っていく。
魔物すらも容易に近づかないと言われる焔煉の谷が近くにある為か、この街は比較的魔物による被害も少ないのだそうだ。
自警団が結成されていることもあって街の中は魔物の存在に怯えることなく活気づいていた。
街を見て回っているとある店に目を留めたディーがそちらへ向かい店の中に入っていった。
わたしもその後をついて行く。
そこはあらゆる薬草を取り扱った店だった。
見たこともない色や形をした植物を乾燥させた物が所狭しと置いてあった。
ディーが店主と話している間、わたしは見知ったものはないか一つ一つ見ていった。
全てが物珍しく興味を魅かれる。
時間に余裕ができたなら薬草についても覚えたいと、また一つやりたいことができた。
次にディーが入っていったのは魔導石を取り扱う店だった。
彼もいくつかの魔導石を持ってきていたが、切らしている種類があるらしく、それが置いてあれば買い求めるつもりで立ち寄ったらしい。
窓際に置かれている魔導石を見ていると、外から子どもの泣き声が聞こえてきて視線を向けた。
七歳くらいの女の子が道端に座り込んで大泣きしている。
どうしたのだろうかとそのまま見ていると同じ年齢くらいの男の子が泣いている女の子の目の前で何かを見せていた。
女の子はそれを取り返そうと必死に腕を伸ばしていたが、男の子は嘲笑うかのようにその手をひらりと躱していた。
その度に女の子の泣き声は大きくなり辺りに響き渡る。
わたしは見ていられず店を飛び出し女の子の元へ走った。
泣いている女の子に意地悪することに意識が向いている男の子はわたしがその後ろに立ったことも気づいていなかった。
女の子の手から逃げるように何かを持っている右手をひらりと上にあげた瞬間わたしはその腕をがしっと掴んだ。
次いで男の子が暴れて逃げ出さない様、左手でその体を抱き込んだ。
「何すんだよ!」
突然のことに吃驚した男の子がわたしの拘束から逃げ出そうともがいている。
だが、所詮は小さな子どもの力だ。いくら男の子とはいえ頭二つ分ほど背が高い大人であるわたしには適わない。
「離せババア!」
その暴言に少々かっちーんときたが、子どもの言うことだからと無視を決め込み女の子に視線を向けた。
「どうしたの?」
女の子に優しく声をかけると、その子は泣きじゃくりながら言葉を紡いだ。
「ギルが…私の……宝物と…った。お兄ちゃんがくれた……お守り…」
「そう……。そんなことしたんだ?」
女の子の言葉を聞き、わたしの声は低くなる。最後の言葉は腕の中の男の子に向けて発したものだ。
男の子の顔を覗き込むようにしてその耳元で発した声に、その子は一瞬ぴたりと動きを留めたがすぐさま逃れようと暴れ出した。
「返しなさい!」
「うっせーババア!離しやがれっ!」
「おだまりっ」
しっかりと押さえつけているので逃げられるはずもないのに、男の子は尚も逃げ出そうと暴れている。
「何をしている」
聞こえた見知った声に顔を向ければ、騒ぎを聞きつけて店を出てきたディーがこちらに近づいてきていた。
「見ての通り、女の子の大事なものを奪った男の子を取り押さえているところ」
「…何をやっているんだお前は」
「悪いのはこの子」
わたしの言葉にディーは溜息を零すと、わたしの腕の中で暴れている男の子に視線を向けた。
「ひっ!」
腕の中で暴れていた男の子が小さく悲鳴を上げて途端に大人しくなった。
その顔は少々青ざめている。
うん、恐いよね。
無表情な顔をしていて尚且つこんな鋭い視線で睨み付けられたら、うん恐い。
男の子の心境が手に取る様に分かって若干同情してしまうが、悪さをしているのはこの子だ。仕方ない。
「大人しくその手に持っている物、返そうか?」
男の子の腕を握っている手を離すと、その子は手に持っていたものを女の子の目の前に差し出した。
「しかたねーから返してやるよっ!」
女の子が受け取ったのを確認して、わたしは男の子を抱き込んでいた左手を緩め彼を解放してやった。
男の子は弾かれた様にその場を駆け出し、その姿は路地裏へと消えていった。
未だ泣きじゃくる女の子の傍らに膝をついてその頭を優しく撫でていると、暫くして女の子は泣き止み顔を上げた。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんありがとう」
そう言って涙の痕の残る綺麗な笑顔で笑った。
その手にはあの男の子から取り返したお守りが大事そうに握られていた。
小さな掌で包み込まれるようにして持たれているそれはそこそこ大きく、女の子の小さな手では全てを包み込むことが出来ず隙間からその形が見えていた。
「―――それは!」
ディーが女の子の手にあるお守りを見て声をあげた。
どうしたのだろうと不思議に思い見ているとディーが女の子にそれを見せてくれるように言っていた。
女の子はディーの様子に驚いて固まっている。
「ディーそんな風に言ったら恐がるでしょう」
「っ……すまない」
「驚かせてごめんね。その手の中にある物を少し見せてもらえないかな。手に持ったままでいいから」
気まずそうにしているディーから女の子に視線を移して頭を撫でている手はそのままに優しく声を掛けた。
女の子は一瞬考えるそぶりを見せたが、包み込むようにして持っていた手を開いて手の中の物を見せてくれた。
それは楕円形の紅い硬質的なものだった。光を受けてキラキラと輝いている。表面には年輪のように幾筋もの線が刻まれていた。
わたしには何か分からないそれ。
それが何なのか思い当たったディーがぼそりと呟いた。
「緋龍の鱗…」




