第2話 -引き合う-
雪崩れ込んできた全ての魔物は駆逐され、場は一旦落ち着きを取り戻したが、今は別の喧騒に満ちていた。
彼方此方から状況を確認する声が飛び交っている。
わたしと倒れ込んだ彼の近くにいた人達は数人を残しそれぞれが慌ただしく動き回っていた。
「神官様の状態を確認します。暫くそのままでお願いします」
すぐ傍に膝をついた白い制服に身を包んだ男性がわたしにそう告げた。
神官様とは誰のことだ?と脳内に?マークが飛び交ったが、
その男性がわたしの腕に支えられた状態のままぐったりとしている目の前の彼の様子を確認しだして、ああこの人のことかと理解した。
男性が徐に掌をかざすと、そこから淡い光が溢れその光は彼に吸い込まれるように消えていく。
目の前で起きること全てが初めて目にすることばかりで一つ一つに驚き目を見開くばかりだった。
「―――応急処置です。すぐに彼を医療棟に運んでください」
男性の言葉を合図に近くにいた屈強な騎士達が、倒れ込んだ彼を医務室へ運ぶべくその身体を抱え上げた。
わたしに寄り掛かるようにしてあった彼の重みが消える。
運ばれていく彼が気になって仕方がなかったが、ここを離れて良いものかもわからず足が動かない。
一連の状況を座り込んだままの状態でただじっと見守っていた。
そうしているとわたしの背を支えてくれていた騎士がその手を差し伸べ立ち上がるよう促してきた。
彼の手を取り立ち上がりお礼を言った。
不安の方が勝って表情がうまく作れないわたしを彼が心配そうに見ていた。
これからどうしたらいいのか、ここに居合わせただけかもしれない彼に問うてみても無駄かもしれない。だとしても他に誰に声をかけて良いのかも分からず、わたしは彼を見上げ意を決して言葉を発した。
「―……あの」
その時わたしの身体に異変が生じた。
目の前の彼を見上げる様にしていたわたしの身体がある一定方向へと引っ張られるのだ。
咄嗟のことに足が出ず転びそうになってしまったのを、傍にいた彼が受け止めてくれ事なきを得た。
ほっと安堵の息を零したが、事はそれだけでは収まらなかった。
「―――――っ!?」
「―――何が起きて……っ!?」
わたしの身体は更にぐいっと引っ張られる。受け止めてくれた彼の腕が肩に回っていて引き留めてくれるが、終にはその力に抗うことが難しくなり彼諸共引きずられる様にしてその方向へと進んでしまう。
驚くわたしと同様に彼もまた驚愕に声を震わせた。
引っ張られる方には医療棟へと向かう神官様と彼を運んでいく騎士達の姿があるばかりだ。
意味が分からず何故!?と驚き、踏み止まるべく足に力を入れて踏ん張り、わたしを引き留めてくれている彼もまたその力に抗う様に肩に回した腕に力を込めて踏ん張ってくれていたが事態は悪化。
二人がかりで踏ん張るもそれが敵わない程の力が加わり、分厚いゴムを最大限に引き伸ばして手を離したかのごとくわたしの身体はあまりにも簡単に引き寄せられた。わたしと共に踏ん張ってくれていた彼諸共に。
その引っ張られるあまりの勢いに、医療棟へ向かう人達に突撃するかの様に危うくぶつかるところだった。
彼を運んでいた騎士の一人が気づいて咄嗟にわたし達を受け止め、その勢いを殺してくれたおかげで踏み止まることができた。医療棟へと向かっていた他の人達も突然のことに驚いて歩みを止め、わたしたちを見ていた。
「どうした!?」
ザワザワとし出した後方に気付いて、先頭を歩いていた白い制服を身に纏った人が声を荒らげた。
「……それが、この方々の様子がおかしく…」
わたし達を受け止めてくれた騎士が返事をした。
訳がわからず辺りをきょろきょろと見回していたがそれ以上の異変は起こらず、彼らはまた医療棟へと向かって歩みを進めた。
そしてわたしと彼らの距離がある程度離れるとそれはまた同じ様にして起こった。今度は其れほど抗うことなく引っ張られる力に身を任せたので、その集団に突っ込むことはなかったが彼らは再び足を止めた。
「―――なんで……?」
理解の範疇を超える現状に疑問の言葉をぽつりと零せば、状況を察した一人の男性が驚愕に目を見開いた。
運ばれていく彼と同じ深紅のローブを身に纏ったその人はわたしの身に起きている出来事に恐れ慄き、真っ青になって口を開いた。
「…………魔物の襲撃により召喚が中断されてしまい、術士との繋がりが切れていないのだ、と…思われ…ます……」
なんですってぇえええええ!?
そう叫びそうになった。
いや実際「はぁあああ!?」と思いっきり口に出してしまったのだが。
神官様を運んでいた周りの人達もわたしと彼を交互に見て状況を察し、同じように驚愕の表情で固まり青ざめてしまった。
歩みを止めた集団から試しに少し距離をとってみたりしてみたが、ある一定距離離れると途端に引っ張られてしまう。
この不可解な状況に唖然としながら、仕方なくわたしは運ばれていく彼に一緒について行くこととなってしまった。
王宮の一角にある医療棟の一室に辿り着くと、神官様を運んできた人達と入れ替わるようにして白い制服に身を包んだ人達が彼を取り囲んだ。
意識を失いぐったりしている彼の状態を確かめるようにして看ている人達は医術士らしい。
わたしの世界でいう『医者』ということだ。
魔物の襲撃を受けた先ほどの広間で神官様を看ていた人も医術士だったという訳だ。何となく状況からそれらしい職に就く人だろうとは思っていたが間違いなかったようだ。
神官様から離れることができないので一定の距離を保って彼らが行う治療の様子を見ていた。
わたしはその光景に魅入られ、ここでもまた目を見開き対象を凝視するという所業を行った。
それは魔法を使って傷を治すという、現代人も真っ青、あるいは嬉々として目を輝かせるであろうその神秘的な光景だ。
彼に向けてかざした両掌から淡い光が溢れ、その光が彼の身体に吸い込まれていくと土気色をした顔には薄っすらと赤みが戻ってくる。
その様子にわたしはただただ感嘆し、ここが異世界なのだと改めて痛感させられた。
治療が施されている彼の傍らで何もできることがなく、手持ち無沙汰で思案していると肩にぽんと手が添えられた。
その手を追って視線を動かすと、先ほどから何度となくわたしを助けてくれた騎士の姿が目に入った。
そういえばお礼が言えていなかったと思い話しかけた。
「先程から何度も助けて頂いて、ありがとうございました」
そう言って頭を下げると、彼は当然のことをしたまでですと笑顔を見せてくれた。
「わたしは桐野優洙羽……ユズハと言います。お名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」
「―…王宮近衛騎士のジェイドと申します。ユズハ様、困ったことがあればいつでも声を掛けてください」
穏やかな表情で微笑む彼にわたしは目の前で治療を施されている人物のことを尋ねた。
ジェイドさんは少々思案した様子だったが答えてくれた。
わたしの目の前でベッドに横になって眠る彼はその名をディクス・ヴァノ・グリフォードというらしい。
この国には王族の他に、騎士、魔術士、神官、医術士、薬士と他にも様々な職を担う人達がいて、この王宮のある王都を中心に大勢の人たちが暮らしているそうだ。
そして様々ある職の中で神官という職に就く彼は、その中でも特別とされる緋の神官という役職につき、わたしをこの世界に呼び出す際に使用した召喚の術式を取り扱う最高管理責任者でもあるらしい。
ということは彼、ディクス・ヴァノ・グリフォードがわたしをこの世界に召喚した人物であり、その術が正常に完遂されなかったが為に想定外の事態が起きているということかと、現在起きている一連のことに一応納得することができた。
そうしていると彼を包み込むように溢れていた温かい光は、徐々に収束し落ち着きを取り戻していった。
魔法による治療は終わったらしく彼を取り囲んでいた医術士たちが離れていく。
医療棟での治療はこれ以上必要なく安静にして魔力が回復すれば大丈夫ということで、別の場所へ移動することになった。
神官様が移動するとわたしも同じ方へ引っ張られる為、ついて行くほか術がない。
大人しくついていくと、次にやってくることになったのは彼の主な仕事場である執務室の一角に設けられた寝室だった。
厳かな雰囲気を持つ執務室を通り、その隣のソファと机だけがある細長い部屋を抜けた先にその部屋はあった。
彼を運んできた人達は、彼をベッドへ寝かせるとそのまま出ていってしまう。
召喚と魔物襲撃の直後でまだ事後処理が済んでおらず、先ほどの広間へ戻るのだそうだ。
一緒についてきてくれていた王宮近衛騎士のジェイドさんも彼らと一緒に戻るらしい。
そのことにちょっと待ってとジェイドさんを仰ぎ見た。
わたしが声を発する前にジェイドさんが話し出した。
「何か御用がありましたら、この鈴を鳴らしてください。」
そう言ってジェイドさんは手のひらサイズの呼び鈴を手渡してきた。
この鈴は振っても小さな音しか鳴らないが、王宮に仕えている執事の一人が持つ小さな鈴と連動しているらしく王宮内であればどこにいても聞こえるらしい。
なんとも便利な鈴である。これがあれば眠る彼から離れられなくても人を呼ぶことが出来るし、大きな音を出して神官様が起きてしまう心配もない。
まぁ起きてもらった方が色々とありがたいのだが、疲労困憊で倒れてしまった人を無理に起こすほどわたしは鬼ではない。
「私に御用がある場合も、執事に言付けて頂ければ伺いますので」
そういって微笑むジェイドさんにわたしもわかりましたと返事をして笑顔を返した。
そしてそのまま部屋を出て行こうとするジェイドさんの様子に、わたしは慌てて彼の騎士服の裾を引っ張って引き留めた。
意識のない神官様とわたしの二人だけが部屋に残されるという状況は色々疑問に思うことがある。
わたしはこの世界に召喚されたばかりの異世界人で、その身の上のことは誰もまだ知り得ていない。
ジェイドさんに伝えたのもまだ自分の名前だけだ。
「――…?どうしたのですか」
「…神官様とわたしの二人だけにして大丈夫なんですか?」
「……なぜですか?」
わたしの言葉にジェイドさんは首を傾げている。
いや、なぜですかって普通におかしいでしょ!っと突っ込みたくなってしまったが、ぐっと堪えて続きを口にした。
例えばわたしが不審者で、目の前の彼の意識がないのを良いことに狼藉を働いたり、彼を亡き者にしようとしたりとそういった悪さをしでかさないか、とは考えないのだろうかということをだ。
しかしその疑問を伝えるとジェイドさんは「ははは、そんなこと絶対にありえませんよ」と笑って華麗にスルーした。
唖然としていると、彼は「失礼致します」と言って他の人達と同じ様に一礼して退出してしまったのである。
全ての人が部屋を出て行って、この場には眠る彼とわたしだけが残された。
この部屋は彼のプライベート空間であることから、わたし以外の人は皆退出してしまい侍女や執事すら傍にいないのである。
わたしはというとしばしの間、
え、なんで?どうして、……絶対にありえないとか…え?その根拠はどこに?
などという考えに苛まされていたのだった。
「誰か…、色々…、諸々の説明を求む…。…ぷりーず。」
たまらず口走るが、眠る彼とわたし以外誰もいないこの部屋の中、答えが返ってくることはない。
わたしは考えの纏まることのない頭を抱えて、ベッド脇に置かれた椅子に座りただ悶々としていることしかできなかった。