第16話 -報告-
しんと静まり返った広間にディーの低い声がよくとおる。
無駄のない簡潔な報告内容は分かり易く、その時の状況を知るわたしとジェイドさん以外は興味津々で聞き入っていた。
「―――と、召喚の儀開始までは予定通り進行しました」
「ん?召喚の儀は滞りなく完了したと報告を受けているが」
国王様の疑問も当然だ。
召喚事態はうまくいった。わたしがここにいるのだから。
問題はそこではない。
「召喚の儀完了間近に魔物の襲撃を受けました」
「なんだと!?」
「―――ぁ……」
儀式で起こった事態の詳細な報告はなされていなかったようで、魔物の襲撃があったことを国王様はご存じなかった。
国王様の驚愕の声に緋の騎士であるグレン様の小さな呟きが混じった。
どうしたのだろうとグレン様を見上げると、ディーから顔を背けて口元を引き攣らせている。
その呟きをディーは聞き逃さなかった。
「グレン、何かあるのか?」
何かを察知したらしいディーは鋭い視線をグレン様に向けた。
「あー、いや、その。あれだ……」
冷や汗を流しながらグレン様が言い淀む。
ディーに睨み付けられ、彼は視線を合わせない様に明後日の方向を向いた。
「グレン」
ディーが凄みと冷たさを増した低い声で名を呼ぶと、グレン様は身体をびくりと震わせ背筋をぴんと伸ばし、逃げられないと悟ったのか観念したように声を発した。
「すまんっ!その魔物オレが逃がした奴だ、多分」
「―――ほぅ、それはそれは良くやってくれたな。後で十分に礼をしなければ、な」
「ひぃっ」
ひぇぇえええ。
ディーの不機嫌さが最高潮に達している。醸し出される殺気がそれを教えてくれていた。
さすがのグレン様も震え上がっている。
姫様も目を丸くして驚いているし、ルーク様は後退りしディーから一歩離れた。
場の空気が凍り付いてしまったかの様にひんやりとした雰囲気に包まれる。
言わずもがなディーが発している殺気のせいだ。
わたしは堪らず彼の袖を引っ張りその名を呼んだ。
「ディー……」
わたしの方を振り向いたディーは一瞬目を見張ると、すぐに目を瞑り一度深く息を吐き出した。
その後すぐに目を開けた彼は殺気も幾分か薄らいでいて、場の空気も穏やかさを取り戻した。
ほっと息をつき眉尻を下げてディーに安堵の笑みを見せると、彼もまた表情を和らげた。
「魔物は速やかに撃退しましたが、問題が発生しました」
国王様に向き直り、ディーが報告の続きを行う。
「問題とは?」
「召喚の儀が正常に完了しなかった為に、召喚を行った私と彼女の繋がりが断ち切られず、現在一定距離以上離れることができなくなっています」
「なんと!」
「まじかっ!?」
「……わぁ…」
「なんてこと」
その場に居たディーとジェイドさん以外の面々が、信じられないものを見るようにわたしとディーを交互に見つめていた。
実際に見てもらう方が早いとディーはわたしの方を見た。
わたしは頷いてから室内を見渡した。
現在彼から離れられる距離は十メートル弱。室内をぐるりと見渡して、それだけの距離をとれるとしたら先程入ってきた扉の方向しかないように思えた。
ディーの方も離れてくれれば、今いるこの場所からお互い左右の壁に向かって行けば良いのだが、それだと国王様からはディーの姿が見え辛くなってしまう。
ディーが動かない所を見ると、わたしが離れるしかないようだ。
そう判断し、わたしは皆に背を向けると、この広間の入口へと向かって歩き出した。ある程度離れ、そろそろかなと思った頃それは起こった。
皆の視線はわたしに向いていたが、ディーの姿も視界に入る位置に居た人には彼の身体が僅かに動いたのも見ただろう。
それと同時にわたしは「ひゃっ!」と小さく声を上げグンッと力強い力でディーの居る方へと引っ張られた。
ディーの方を向いていたら、単にわたしが彼に駆け寄っているようにしか見えなかっただろうが、生憎わたしはディーに背を向け反対側の扉の方へ歩いていた。
その為、彼の元へ引き戻されるように文字通り背中を向けて飛ぶようにやってきたわたしをディーはこれまでのように難なく受け止めてくれた。
周りで見ている面々は想像していたとおり、驚愕の表情で目を見開き言葉を失っていた。
わたしとしてもある程度慣れたとはいえ、自分の意思とは無関係に引っ張られるというのはいささか恐怖でもある。
これまで転んだり障害物にぶつかったりすることはなかったが、怖いものは怖い。ディーが受け止めてくれるという確信がないとかなり恐怖だ。
うっかり離れすぎて引き戻されることが多かったことから、大抵は背中からディーへダイブするという状態だったが、正面へ向かって引っ張られるというのもある意味でぞっとする。
何もない空間ならまだしも、ソファーやテーブル、閉められた扉などの障害物へ向かって否応なしに飛んでいくのだ。それらが目の前に迫りぶつかるという一瞬の恐怖に、身体は強張り血の気が引く思いをする。
何度もやって見せろと言われても拒否させて貰いたいものである。
「まさか、こんな事態になっているとは…」
国王様を見れば片手で額を押さえ重々しく言葉を紡いでいる。
グレン様を見れば、予想していたよりも大事になっている現状に焦って青ざめている。しかしその表情にはどこか嬉々としたものが含まれているように見えるのはわたしの気のせいだろうか。口の端が上向きに緩く弧を描いているのだけれど。
ルーク様からは興味津々という視線を向けられ、こちらがたじろいでしまう。
姫様はとても気の毒そうな表情でわたしに視線を向けていた。
「彼女は現在、私の部屋で過ごしています」
「そうだな、そうするしかあるまい。ユズハ殿、申し訳ないな」
「いえ、大丈夫です。むしろわたしの方が神官様にご迷惑を掛けている様なもので」
国王様からの謝罪に、わたしは慌てて言葉を紡いだ。
「随分と不便を強いているとは思うが、何か困っていることなどなかったかな」
「いえ、特には。良くして頂いていますので」
この世界についてまだほとんど分からない上に、自由に動き回ることもできない状態では出来ることも限られているので困っていることは特になかった。
わたしよりもむしろディーの方が不便を強いられているような気がするのだが。
「そうか、ディクスに任せていて正解だったな。これからも頼む」
「はい」
国王様の言葉からディーがとても信頼されていることが窺えた。
そういえば以前、召喚後のわたしの処遇についても一任されていると言っていた。
不愛想でぶっきらぼうな割に面倒見はいいのか?と疑問に思いわたしはこっそり首を傾げていると、国王様がわたしとディーを見て穏やかに微笑んだ。
なんだろう。子どもの成長を喜ぶ親の心境を表したようなあの表情は…。
「離れられないのは不便だろうが、中々良い変化があっているようだ。ユズハ殿、面倒を掛けるが今後もよろしく頼む」
国王様の言葉に引っ掛かりを覚える部分もあったが、わたしは素直に頑張りますと応えたのだった。
その後は遠征に出ていたグレン様とルーク様の報告をディーと一緒に聞いていた。
驚いたのは、姫様までもが前線で戦闘に加わっているという点だった。
聖属性魔法を使い、支援系の魔法に長けていることから戦場に同行することが多いらしい。
緋の龍の加護を受けていることもあり、その能力は他者よりも秀でており、あらゆる攻撃に対する耐性も高いことから一般兵士よりも頑丈ではあるらしいがそれでも彼女は王族だ。
国王様も大切な娘が前線で死闘を繰り広げているなど心配で堪らないはずだ。
「リスティニアも無事で何よりだ」
姫様に向けられた国王様の言葉にもその表情にも安堵の色が濃く表れていた。
本当のところ国王様は姫様に戦って欲しくないのだと思う。
力を授かってしまったが故の責務ということなのだろう。
「戻ったばかりで皆も疲れているだろう。ゆっくりと休んでくれ」
一通りの報告を全員が終えると国王様のその言葉で解散となった。
ディーについて速やかに退出すると、扉をくぐり数歩進んだところで全員が足を止めた。
「それにしても、まさか魔物を逃がしちまったことがこんな大事になっていたとはなぁ」
グレン様はわたしとディーを交互に見てその不可思議な現象に興味津々のようだ。
ディーは誰のせいだと言わんばかりの視線で睨みつけていた。
「どういう原理…」
ルーク様もこのことには興味を引かれているようで、その目がおもちゃを見つけた子どもの様にキラキラと輝いているようにも見えた。口元に手を添えて何やらぶつぶつと呟いている。
「そのことで、ルーク。お前にも手伝ってもらいたいことがある」
「何を?」
「この現象の解決策を探す」
「……面白そうだから、手伝う」
「ああ、助かる。優先的に取り掛かりたい。早めに時間をつくって俺の執務室へきてくれ」
ディーの言葉にルーク様は頷いた。
そこへすかさずグレン様も手伝うと手を挙げたのだが、ディーは却下だと即答していた。
事態を引っ掻き回すばかりでてんで役に立たないと付け加えられ、グレン様はひでぇと呟きがっくりと肩を落としていた。
彼らのやり取りが微笑ましくて思わず頬を緩めていると、わたしの様子に気づいたらしいディーが顔を覗き込んできた。
突然近づいた距離に驚き、仰け反るようにして一歩後ずさりしてしまった。
「妙なことを考えているだろう」
ディーにそう言われ、何で分かったんだろうと焦るが、そんなおかしなことは考えていない。
「いや、仲が良いなと思って」
そう答えると、ディーは思いっきり嫌そうに顔を顰めどこがだと吐き捨てていた。
そんないつもと少し違う彼の様子もなんだか微笑ましくて、またくすりと笑ってしまった。
「では、部屋に戻る。用があったら使いをやるか、足を運んでくれ」
ディーが彼らに告げてわたしへと手を差し伸べてきた。
戻るぞと言われ、わたしは素直にそれに従った。
三人に礼をしてからディーの手に己の手を重ね、その場を離れた。
*・*・*
「しっかしいつも不機嫌を顔に張り付けた不愛想な面してた奴が、あんな顔できるなんて知らなかったなぁ」
「しかも自ら相手に手を差し伸べるなんてね。随分と色んなところが柔らかくなったみたいね」
「……別人」
「召喚の儀、この世界が今一番必要としている人物を呼び寄せる儀式。彼女を一番必要としていたのは案外、彼だったのかしら」
「ま、なんにせよあいつの機嫌が悪くないのなら、それに越したことはない」
「彼を怒らせているのはグレンでしょう」
「………」
ディーと連れ立って歩き離れていくわたし達の後姿を見つめながら、三人が話しているのを扉を護る騎士の二人が黙って聞いており、互いに目配せしながら小さく頷いていたのを知る者はいない。
だがディーの表情が柔らかくなったことは、王宮内の至る所でしばし話題に上がっていた。
彼らがその話題に加わるのにそう時間はかからなかった。




