第13話 -正装-
夜が明けたばかりの早い時間、肩を揺さぶられて起こされた。
薄っすらと目を開ければ、ベッド脇にはディーがいて彼に起こされたのだとわかった。
いつも明るい陽射しが部屋に差し込む時間帯に目を覚ましていたので、普段から寝坊しているわけではないのだが、それにしても今朝は早くに起こされたなと思う。
しかもこれまでは自分で起きていたので誰かに起こされたのは初めてだった。
何かあったのだろうかと、まだ半開きの目をこすりながら起き上がりそう問うと呆れの混じった声で返事をされた。
「今日は王が戻られるから謁見だと言っておいただろう」
「…はぃー……」
覚醒しきっていないわたしは間延びした返事を返してしまう。
その様子にディーは溜息を零した。
「お前は時間がかかるだろ。いつ呼び出しがかかってもいいように準備しておくんだ」
そう言われて漸くはっとして目を見開き、ディーを見ると彼はすでに着替えており、ある程度の準備も終わっている様だった。
その様子に僅かに眉根を寄せてしまった。
「ディーはいくら何でも早すぎじゃ…」
「他にやることもある。先に着替えておくのは当然だ」
ぼそりと呟けば聞こえていたのかそう返されてしまった。
まだ夜が明けたばかりで時間は朝の五時過ぎだ。それなのにもう着替えを済ませているとは一体何時に起きたんだと驚くほかない。
王が帰還すると言っても早くて昼前なんじゃないかと思っているのだけど。
そうは言っても女性である自分の方が支度に時間がかかるのは間違いない。
掛け布団を捲りベッドから降りてふと立ち止まる。
何で今日もまたこっちのベッドで目が覚めたのだろうと疑問に思い、くるりと振り返ってディーを見れば「いつものことだろう」と言って彼は軽く息を吐き出した。
寝ている間に違うベッドに移動しているのだが、自分にはさっぱりその記憶がない。
今日もまたおかしいなぁと首を傾げながら浴室へと移動した。
入浴を済ませ簡素なワンピースを羽織り、浴室の隣のパウダールームで髪を乾かしていると侍女さん達がやってきた。
今日は四人がかりなんですね……。
その手に持っているドレスやら小物が入っていそうな箱やらを見て嫌そうに顔を引き攣らせてしまった。
彼女たちは「ようやくこの日が来ましたね」ととても嬉しそうだ。
がっくりと項垂れるわたしを余所に侍女さん達は持ってきた物を次々とセッティングしていった。
今日は化粧も髪も自分ではさせてもらえず、侍女さん達に全てお任せしされるがまま身を任せていた。
全ての準備が終わる頃にはぐったりと疲れ果ててしまい、その場にへたり込んでしまいたい程だった。
時計を見れば既に八時半を過ぎようかとしている。三時間近くもかかったことに驚愕し、更にドッと疲れが押し寄せた。
改めて鏡を見ればそこに映る姿は自分のものではない様に思えてならない。
レースとシフォンをふんだんに使いボリュームのあるプリンセスラインのドレスは、差し色の緋色が胸元から腰回りを彩り艶やかでありながら清廉さを醸し出している。
肩よりも少し長い髪はハーフアップにされドレスと合わせた色合いの髪飾りをつけられ、腕には手首までのショートグローブ、左手首にはリストレットまであしらわれている。
これらの衣装一式を最初に見せられた時は、いやいや絶対無理着こなせないからと断ったのだが、神官様のご命令ですからと言われ必死の抵抗も虚しく着付けられてしまったのだ。
緋色であれば後は任せると言われ侍女長が張り切って選んできたらしい。
ドレスを身に付けただけの時は似合わな過ぎて逃げ出したくなったが、化粧を施され髪を結い上げられ、アクセサリーをつけられ、すべてのセッティングが終わるとそれらは見事に調和し違和感なく佇む自分が鏡の前に居た。
わたしってもしかして少しは見れる容姿をしていたのかと、自惚れてしまいそうになる。
いやいやいや、これは侍女さん達の見事な技の集大成のおかげであって、自分ではこんな風にできないから勘違いしてはだめだと心の中で言い聞かせた。
深呼吸をして一旦落ち着くと、ドレスの裾を軽く持ち上げて身体を捻ったり、くるりと回ってみたりした。
何とも動きづらく、たっぷりのドレープが足に纏わりついて油断すると転んでしまうんじゃないかと思う。
靴も普段履いている物よりもヒールがある為、慣れない靴に余計に重心が不安定でふら付いてしまいそうになる。
ドレスを着た際の動作は普段とは全く違うから知っておく方が良いと、二日程前に一度着付けられはしたがここまでがっつり正装していなかったので、このくらいなら大丈夫だろうと考えていたのが激甘だったと痛感させられた。
ちなみにその時ディーは執務室で仕事をしており、動きの確認が終わるとすぐに普段着に着替えてしまったのでわたしのドレス姿は侍女さん達以外誰も見ていない。
謁見の際に正装するのは決定事項だった為仕方がないとはいえ、普段からこんな恰好をしている貴婦人達は素晴らしいと拍手を贈りたい気持ちになった。
正装が義務付けられる時以外は絶対に着ないぞと密かに決意をしたのはここだけの話。
鏡に映る自分の姿をもう一度見てから、いざ移動しようと向きを変えると胸がドキドキと煩く鳴り出していることに気づいた。
もしかして緊張している……?
産まれて初めての正装をして、その姿を人様に見せるということに緊張と不安が押し寄せてきたようだった。
「似合わないとか言われたらどうしよう…」
プライベートルームにはディーがいる。
そのことを意識するととたんに不安と居た堪れなさに苛まれ、扉の前で今更ながらに怖気づいて立ち止まってしまった。
「とてもよくお似合いです。心にもない言葉を言われたら睨み付けて差し上げれば宜しいのですよ」
押し寄せる不安に足が床に縫い止められてしまったかのように立ち尽くすわたしに、侍女長はそう言ってにっこりと微笑んだ。
その笑顔にはどこか威圧感が籠っていると感じるのはわたしの気のせいではないと思う。
綺麗な笑顔の奥に、この私の見立てに賛辞以外の言葉は受け付けないと気迫が籠められているのが伝わってくる。
その周りで三人の侍女さん達もかなり熱の入った形相で頷いていた。
そんな侍女さん達の様子に若干たじろぎながらも、意を決してプライベートルームへと足を踏み出した。
扉が開く音がしてわたしがやってきたことが分かると、背を向けていたディーが振り向いた。
そして何か言葉を紡ごうとして口を開きかけ、彼はそのまま固まってしまった。
その目は驚きに見開かれている。
ディーのその表情を見たわたしは居た堪れなくなり目を逸らした。
じわりじわりと慙愧の思いが溢れ胸を埋め尽くしていく。
似合わないって思われているんだろうな…。
それにしてもそこまで驚かなくたっていいのに。
綺麗なドレスに身を包み浮かれていた気持ちが勢いを無くし沈み込んでいきそうになる。
自分の考えが嫌な方へ向かい出し僅かに眉根を寄せた時、侍女長の声が聞こえハッと我に返った。
「ユズハ様のご用意が整いました」
俯き加減になっていた顔を上げて正面を見れば、何時の間に立ち上がったのかディーが困ったように眉根を寄せこちらを見ていた。
「お待たせしました」
「あ、いや………」
思考が落ち込み加減になっていた自分を叱咤し、しっかりと彼を見て言葉を紡いだ。
漸くフリーズ状態から立ち直ったディーはなぜか視線を彼方此方へと彷徨わせている。
再び部屋には沈黙が下り、堪らず「あの…」と声を掛けようとして、扉がノックされ全員の視線がそちらへと向いた。
「入るよー」
明るい声と共に休憩室へと続く扉を開けて入ってきたのはジェイドさんだった。
なぜ部屋が静まり返っているのか知らない彼は、わたしをその視界に捉えると目を輝かせて満面の笑みを見せた。
「ユズハさんすごく綺麗だね!うん、良く似合ってる」
嬉々として近寄ってくるジェイドさんはディーの傍まで来て立ち止まり、そこからまたまじまじとわたしの姿を上から下まで眺めては、うんうんと頭を振っている。
重苦しくなっていた部屋の雰囲気が一気に明るくなった。
「……ジェイド、何の用だ」
ディーから地を這う様な低い声が発せられた。
その声を聞いたわたしの口元はひくりと引き攣ってしまった。
何で機嫌が悪くなってんの…。
先程までは困惑の表情を見せていて怒っている様な感じはなかったのに、今は明らかに機嫌が悪くなっている。
こちらを向いていたディーが部屋に入ってきたジェイドさんの方を向いてわたしに背を向けた為、その表情は窺い知ることができない。
だが先程彼が発した低い声と、わたしからディーに視線を移したジェイドさんが眉根を寄せて困った顔をしたことでどんな表情をしているのか容易に想像がついた。
「何で怒ってるのさ」
「うるさい」
不思議そうに首を傾げながらディーを見ているジェイドさんと、彼をあしらっているディー。
その様子は険悪という程ではないにしろディーが不機嫌そうであることは間違いない。
わたしはそっと二人に近づいていき声を掛けた。
「すみません、何か気に障りましたか」
着替えて出てきただけなのにこんな状態ということは、やっぱりわたしのこの姿がいけなかったとしか思えない。
申し訳なさそうに恐る恐る話すわたしにディーは勢いよく振り返った。
「いや、そうではない!あ、…何と言うか……その…」
わたしの言葉に否定の意を見せるが、その後の言葉が続かずディーは口を開こうとして噤むを繰り返している。
「……?」
「―――っ!」
その挙動不審ともとれるような出で立ちに、わたしが困惑の表情で首を傾げて見せると彼は目を見開いて息を呑んだ。
わたしには彼のその様子がますます意味不明で眉根を寄せてしまった。
そんなわたしたちを見て、ジェイドさんがプッと噴出した。
「そんな難しく考えないで、一言綺麗だって言えばいいんだよ。あはははは」
お腹を抱えて笑うジェイドさんの様子にディーはますます不機嫌になる。
わたしはというと驚きに目を見開いて二人を見つめていた。
そんなわたし達を見る侍女さん達は微笑ましいものを見る様な穏やかな表情をしている。
「お気に召して頂けたようですし、私達は失礼させて頂きます」
侍女長の言葉にえ?と状況にいまいちついていけずおろおろしているわたしを尻目に侍女さん達は退出していってしまった。
部屋には未だ笑い続けているジェイドさんと彼を睨み付けているディー、どうしたら良いか分からず立ち尽くすわたしの三人が取り残された。
どうしようかと室内に視線を彷徨わせていると、ぼすっという音とジェイドさんのうぐっというくぐもった声が聞こえ、驚いてそちらを見る。
視界にお腹を片手で押さえ涙目のジェイドさんと、右手を握りしめているディーの後姿が入り込み慌てて二人に走り寄った。
「な、何してるんですか!?」
「…だいじょう、ぶ。そんな強くなかったし」
どうやら笑い続けるジェイドさんを黙らせる為に、ディーがお腹を一発殴りつけたらしい。
痛みよりも不意を突かれて驚いた方が大きかったようで、ジェイドさんはお腹を一撫ですると前屈みになっていた身体を起こした。
「ひどいよディクス」
「貴様が悪い」
たまにヒヤリとするやり取りをするこの二人だが、彼らにとっては慣れたものらしくて安穏とした空気が辺りに漂う。
一触即発かとすら思えた冷えた空気が和らいだことにほっと息を吐き出した。
「ディクス、いつまで彼女を立たせておくの?」
ジェイドさんの言葉にハッとしてディーはこちらを振り向き、きょとんとした表情のわたしと目があった。
小さく息を吐き出したディーがわたしに手を差し伸べてくる。
その手をじっと見つめてから、どうすれば良いのか分からずことりと首を傾げるとディーはまたも「うっ」と呟いた。
ディーを見れば、差し出している手とは別の方の手で口元を覆っている。
どうしたのだろうと目を瞬かせていると、またもジェイドさんが吹き出して控えめに笑っていた。
「手をのせてあげると良いよ。ディクスはエスコートしようとしてくれているからね」
ジェイドさんの言葉にディーを見れば、眉間には皺が寄っていて僅かに不機嫌そうだ。
そんな彼にエスコートしてもらうなんてちょっと恐れ多いのだけどと思って躊躇していると、ディーの方からわたしの手を取ってきた。
驚いていると軽く手を引かれ黙ってついていく。
ソファに促され、大人しく腰を下ろしてからディーを見上げればふいっと視線を逸らされた。
眉間の皺は消えていたが、どこか困惑の表情を浮かべているように見えた。
わたしの恰好がそんなに気に入らないのかなと思って僅かに唇を尖らせ口を開こうとすると、それよりも早くディーが話しかけてきた。
「食べられそうなら食事を用意させるが?」
そう言われて自分がまだ朝食を食べていないことを思い出した。
起きてすぐにお風呂に入り、着替えをして出てきたのでまだ何も口にしていない。
しかし、コルセットをきつく締められているせいもあってあまり欲しいとも思わなかった。
「食べられそうにないので、何か飲み物を…」
「わかった」
休憩室の方へと向かったディーが扉を開けると、いつから居たのかわからないが控えていた執事さんへ何かを伝えていた。
ちらりと見えた執事さんはスヴェンさんではなかった。
国王様が戻られるということだから忙しいのかもしれない。
執事さんが用意した飲み物を受け取ったディーが戻ってきてテーブルの上においてくれた。
いくつかの果物と野菜を混ぜてジュースにしてあるそれは甘酸っぱくて飲みやすく、とろりとした液体は十分にお腹を満たしてくれた。
そんなわたしたちのやり取りをジェイドさんはにこにこ笑顔で見守っている。
それを見たディーはまた少々不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何か用があってきたんじゃないのか」
ディーの言葉にジェイドさんはそうだったと相槌を打っている。
「国王様達、あと二時間ほどで到着するって」
「それを早く言え!」
のほほんとしたジェイドさんから告げられた内容は今日最も重要なことだった。
到着はいつ頃になるかと気にしていたディーを思えば怒鳴りたくなるのも分からないではない。
また後でねと手を振りながらジェイドさんが部屋を出ていくと、ディーは脱力したようにソファにどさっとその身を預けた。
そんな二人のやり取りをわたしは苦笑を零しながら見ていたのだった。




